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ローマ字回文 #24 [ローマ字回文]

久しぶりにローマ字の回文を作ってみました。

テーマは、最近のニュース ・・・ぽい

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新しいタイプの大学不正入試?

しかし、入学試験の最中に、携帯を使えるなんて、
器用ですよねぇ?

おや?2問ネットに載ってんの 見なよ
OYANIMONNETTONINOTTENNOMINAYO
 


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グラビアアイドルが逮捕されました。

NHKのニュースでも報じていましたが、
そんな大騒ぎするほどのタレントかなぁ??


売れるグラビア ライバルぐれる
URERUGURABIARAIBARUGURERU
 

011.jpg


昔は正義感だったと聴いたことがありますが、
権力を持つと人間、変わりますからねぇ。

テレビを見ていると、実際に会ったことがあるという人が
誰も彼を褒めませんね。

当分、リビアから目が離せません。

嗚呼 カダヒー はだか~
AAKADAHIIHADAKAA
 

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メディアが世論を扇動し、
政治を追い詰めていく姿は
戦前の日本とよく似ているような気がします。、

でも、民主党も自民党も私心を捨て、
国益についてもっとよく議論してほしいものです。
少しはお互いの立場を考えてはどう?


内部抗争 総クビ案
NAIBUKOOSOOSOOKUBIAN
 



みんな、うんざりしていますよ。

ああ、こんな解散なし!アカンのかぁ?
AAKONNAKAISANNASIAKANNOKAA
 


今回は、ここまでです。

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2011.2.26 国分寺市にて撮影


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武蔵国分寺 [街歩き]

鉄道の駅名には、いくつかお寺に因んだものがあります。

首都圏の私鉄では、祐天寺、妙蓮寺、弘明寺、
JR中央線には、高円寺、吉祥寺、国分寺・・・

しかし、普段 その駅を使っていても、
お寺の場所がどこかわからないという人は、
結構、多いのではないでしょうか。

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私もそんな一人で、

JR中央線の国分寺駅は、
何度も乗り降りしていますが、

駅名の由来となった国分寺へは行ったことがありません。
そこで調べてみました。

かつてここには武蔵国分寺があり、
今は当時の建物は現存していない。

この一帯は、自然が豊富で、
散策コースとして人気がある、

ふむふむ

陽気もよくなったことだし、行ってみるかぁ。

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ということで、やってきました国分寺。

しかし、駅は昔と様変わりですね。
平屋だった駅舎も現在は大きな駅ビルに変わってしまいました。
接続する西武線のホームの位置も違うし、

以前はJRのプラットホームから空が見え、
視界にタツノコプロの看板が映っていた記憶があります。


さて、

南口を出て、
S字の坂を下り、歩くこと約5分、

野川にかかる不動橋に到着。

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ここで右折し、台地の崖線に沿って西へ進みます。

閑静な住宅街ですが、まだ畑も残っていて、
みかんや野菜の販売所を見かけます。

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しばらくすると、
きれいな小川がに沿った遊歩道に入ります。

「お鷹の道」といいます。

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この付近は、江戸時代、
尾張徳川家のお鷹場だったそうで、
その”鷹”に因み、「お鷹の道」と命名したのだそうです。

小川にはホタルのえさとなるカワニナが生息している
とのことでした。

水がきれいです。

崖線から出る湧水は、
名水百選に選定されていて、
この日も、何人かペットボトルに水を汲んでいる人がいました。

033.jpg 

 

さて、目的地の武蔵の国分寺へ向かいましょう。

お寺は、「お鷹の道」の西の終点にあります。
下の写真が国分寺の本堂。

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こちらは楼門

014.jpg 

現在の本堂は1733年の建立だそうです。
江戸幕府の社寺保護政策に基づき復活した・・・

ということは

かつてこの地にあった国分寺とは別のお寺なんですね。

崖の上の薬師堂
17世紀に製作された木造薬師如来像が収められています。

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鐘楼

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薬師堂のある台地から、階段を下りたところにある仁王門

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門の左右に安置されている仁王様の口は
右が「あ」左が「うん」、

阿吽の呼吸のあの「あうん」ですね。


007.jpg 008.jpg

ここで日本史の教科書を紐ときますと、

国分寺が歴史に登場するのは奈良時代。

平城京に遷都(710年)したものの、
飢饉や大地震の発生(734年)、
疫病の流行により藤原不比等4兄弟など
政府の高官が次々と死亡(737年)。

この惨事の連続に、当時仏教に深く帰依していた聖武天皇は
全国に国分寺建立の詔を発布。
それが741年。


各地の国分寺の中でも、
武蔵国分寺は最大規模だったそうで、
境内には巨大な本堂のほか、七重の塔があったそうです。

017.jpg


お鷹の道の途中にある武蔵国分寺跡資料館へ立ち寄ると
模型があって全貌がイメージできます。
大きなお寺だったんですねぇ。

当時の土器や瓦なども展示されています。

本堂のあった僧寺跡では、現在も発掘調査が続いています。
大発見があるといいですね。

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東京の住民は、
自分の土地の歴史について考えるとき
江戸時代より昔にさかのぼることはほとんどありません。

それだけに、奈良時代へとタイムスリップする武蔵国分寺は
東京の人にはあまり意識されていない。
盲点のようなスポットになっていますね。


その武蔵国分寺は、1333年

鎌倉幕府滅亡を決定的にした
分倍河原の戦いの際に焼失してしまったとのことです。

ここが七重の塔があった場所。

今は時間だけが静かに流れています。

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モヤさま [テレビ]

先日、同世代の友人とお酒をのんだときの話で、
面白かったのは

全員が「モヤモヤさまぁ~ず2」を見ていたことです。

「モヤモヤさまぁ~ず」
通称モヤさまは、テレビ東京で日曜夜7時から放送している
さまぁ~ずの二人と大江麻理子アナウンサーの3人が
ただ、東京の街の中をぶらぶらしているだけの番組です。

この時間帯は以前、
「鉄腕ダッシュ」、「さんまのからくりテレビ」、「平成教育予備校」など
の他局の番組を観ていましたが、

「モヤさま」が深夜の時間から移動してからは、
チャンネルはテレ東。
最近では、カミサンまで、他のチャンネルが映っていると
「モヤさまは?」とチェンジを要求します。

とにかく、大江さん、

オヤジに大人気!

品があって、愛嬌もあって、
今、東京で一番人気の女子アナではないすかね。

あと、さまぁ~ず

齢を重ね、いい味が出てきました。
関西系の攻撃的なお笑いや体育会系ののりには飽きました。
今は、さまぁ~ずの脱力感の方が心地良いです。

演出も多いかもしれないけれど、
三人と絡むシロート衆のナチュラルなリアクションが魅力。

お金をかけなくても面白い番組は作れるという見本でしょう。
テレビ東京の面目躍如といったところかな?
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アル ジャマーヒーリーヤ・アル アラビーヤ・アッ リービーヤ・アッ シャアビーヤ・アル イシュティラーキーヤ・アル ウズマー [出来事]


何かの呪文のようですが、国名です。

アラビア文字では
الجماهيرية العربية الليبية الشعبية الإشتراكية العظمى

日本での表記は、
大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国 
だそうです。

通称「リビア」

チュニジアで火がついた民主化デモが、
リビアに飛び火してしまいましたね。


リビアについての知識といえば、

トリポリ、ベンガジと二つの首都があって、
季節によって首都が変わるという変わった国・・・

というのは古~い知識で、

現在の首都はトリポリのみで、
トリポリは人口160万人の大都市です。

ニュースでは、イスラム色の強いベンガジで
大規模なデモが発生した、と報じていますが、
この地域は キレナイカ と呼びます。

キレちゃったじゃん。

1969年に、カダフィ大佐が最高指導者となってからは
テロ支援等で国際的に孤立したこともあり、
日本で国内の情報が流れることはまずなかったですね。

カダフィについても、
残忍な独裁者というイメージを刷り込まれた時期があります。
実際はそうでもないようですが、
アメリカのプロパガンダの影響を受けたということでしょう。

とはいえ、チュニジアといいエジプトといい
長く続いた政権が倒れる

そういう時代の節目にいることは間違いなさそうです。

そんな世界の中で、日本はといえば・・・・。

うまく変われるのかなぁ。
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ナッチャンなごり雪 [ラヂオ]

2月14日、
都内で、昨年10月に亡くなった野沢那智さんのお別れの会がありました

当日は声優のお仲間、劇団関係者に、
ナチチャコパック時代からのファンも加わり、
しめやかないいお別れ会になったそうです。

私は出席できませんでしたが、

会の終了後、会場近くのパブで
パックメイト組に合流、
お酒を飲みながら、一緒に故人を偲ばせていただきました。

金曜パック

ナチチャコあるいはナッチャコ

番組が終了して、今年で29年になります。

私は金曜パックのヘビーリスナーではありませんでしたが、
それでもよく覚えています。

ラジオから「シバの女王」が聞こえてくると、
今でも脳内でチャコさんの「お元気よう」が自動再生されます。

2011年の丸の内に存在しているパックメイトは、
みんなが共通の「広場」を体験しているとはいえ、
お互い接点のないまま長い時を超えてきました。

なのに、まるで昨日会った同級生のように
楽しく酒を酌み交わしている。

中にはかつてナチチャコとリスナーたちに
愛されたキャラクターだった方もいて、

彼らがナッチャンの想い出を語っていると、
まるで、ココロのボスやバカボンのパパが
赤塚不二夫を語っているかのような不思議な気分になります。

金曜パックについては、
奇跡のようなホームページがあったとはいえ、
ナチチャコパック自体、奇跡的な番組だったような気もします。

いつまでも、話は尽きません。

しかし、夜も更けてきました。
雪も激しくなってきたし、もう家に帰らなきゃ

東京駅で中央線に乗り込んだところで、

あれ?

駅のアナウンスが騒々しいぞ。

「八王子駅のポイント故障で、しばらく運転を見合わせます」

おやおやおや、

真冬の空にいたずら好きの妖精がいて、
ここで、もっとパックを語れということなのかいな?

泣けるぜ ナッチャン 

なごり雪かよ。
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贅沢言うな [テレビ]

大手電機メーカーが、
TVのCMを自動的に飛ばす機能のついたレコーダーの生産を中止するそうです。

 CMカット機種、生産中止へ…民放批判に配慮

”民放に配慮して”とのことですが、
最近は見たいと思う番組も少ないし、
私はこの機能がついたレコーダーを欲しいとは思わないんですけど。
このタイプのレコーダーの方が売れるのでしょうかねぇ?

大した影響ないんじゃないの?
読売新聞の一面を飾るような記事とは思えません。

私なんかむしろ、CMの方が面白かったりします。

贅沢いうな!

大森南朋さんの、本当は気が弱い贅沢言うな男、
あれ面白いっすね。

他にも宇宙人ジョーンズ篇などありましたが、
サントリーの缶コーヒーのBOSSの一連のシリーズは
保存して後でまとめてみたいくらいです。

ところで、大森南朋さんの父親って麿赤児さんなんですね。
最近まで知りませんでした。

よく、怪物ランドの赤星さんと混同してしまいますが、
あのスキンヘッドの怪優さん。

芸能系の血統にやたら詳しいうちのカミサンに確認すると、
名前は知っているが顔が浮かばない、とのこと。

そこで、説明のため、
う~んと、テレビでよく観たよなぁ
どの番組に出演されていたっけ・・・・・・・

そうだ!そうだ!
娘が幼稚園児だったころ、

有言実行三姉妹シュシュトリアン に、神様みたいな役で出ていたぞ。」

「そんなの覚えてないわ」

みたいな会話がありまして・・・

思い出した「シュシュトリアン」。

娘は、雪子、月子、花子の三姉妹の使用グッズを
パパは最後のアクションシーンのパンチラを
それぞれ楽しみに観ていた記憶がありますが、

思えば、あの番組のキャストって、
麿さんを筆頭に異彩を放っていました。

フライドチキン男は、今や性格俳優として活躍の吹越満さんだし、
三姉妹のお母さんはかつてにっかつロマンポルノで人気の日向明子さん。
正直びっくりしました。
敵役の猫姫、ふせえりさんは
最近AKB48のPVに、先生役で出演されています。

今考えると、子供向けとはいえ不思議なドラマでしたね。

そんなことを考えていると、テレビもそれなりに面白い。

贅沢は言わないよ!


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伊國大使館 [タイムスリップ]

明治時代に撮影された写真の現場へ行ってみる
タイムスリップ定点観察シリーズ

大使館シリーズの最終回は、
サッカー日本代表、ザッケローニ監督の国 イタ~リア。 

イタリア大使館.jpg

この明治のイタリア大使館の写真を最初に観たとき、
きっと、現在の大使館のある場所、
港区三田の台地の上の景色だろうと思いました。

しかし、調べたところ、
当時のイタリア大使館は三田ではなく、
霞が関にあったんですね。

その経緯については、
イタリア大使館のHPにくわしく記載されています。

→ 東京のイタリア大使館

記事によれば、

1872年(明治5年)東京の虎ノ門の南西部分の2310坪の敷地に定着、
現在の場所に移転したのは1932年(昭和7年)から

ということになります。

ここでいう「虎ノ門の南西部分」とは、
先般登場した、”露國大使館”の西隣の土地。

現在の農林水産省の建物の辺りです。

00iralia n.jpg


では、古写真の撮影現場はどこなのでしょうか?

実は、よくわかりません。

現地を訪れてみると、
そこは三年坂の途中の起伏のある場所で、
冒頭の古写真から受ける平らな印象と違います。

当時は、西側の六本木通りがなかったので、
撮影場所は敷地が削られた道路上
ではないかと推測しました。

00italia n2.jpg 

イタリア大使館は、明治時代、何回か火災や台風の被害に遭い、
1919年(大正8年)には、本館の大部分を火災で焼失したそうです。

1922年(大正11年)、
紀尾井町の旧オ-ストリア・ハンガリ-帝国大使館の所有権を取得。
しかし、この建物も翌年の関東大震災で倒壊。

前の記事の”墺國大使館”の建物が、
一時とはいえ、イタリア大使館だったんですねぇ。

これは意外。


現在のイタリア大使館は、

閑静な三田の丘の上にあります。
先日、敷地の中が「ブラタモリ」で紹介されていました。

こちらの場所の方が古写真のイメージに近いです。

イタリア大使館3.jpg

00italia n3.jpg


下の写真は、イタリア大使館の南
綱坂から坂の上の方を見た景色ですが、
下のリンク先のNo.1443の写真と見比べると、面白いですよ。

「島原藩下屋敷 」 F.ベアト

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東京私鉄 梅めぐり [街歩き]

ときどき、おバカな企画を考えます。

先週、東京に梅の花が開花したというニュースが流れました。
三月下旬の陽気となり、天気もいい
週末、家でゴロゴロしていても仕方がない、
よし、去年ふと思いついたことを実行に移してみるか

で、その思いつき とは、

「梅」のつく駅に梅は咲いているか

東京の鉄道には、「梅」のつく駅がいくつかありまして、
それを梅の花が咲くころに一気に回って
本当に梅の花が咲いているか確認してみよう、
というものです。

アホでしょ?

検証日は2011年2月5日です。

ではスタート


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墺國大使館 [タイムスリップ]

古い写真の現場を訪ねるシリーズ。
明治時代の大使館巡りをしています。

7カ国目は、オーストリア・ハンガリー帝国の大使館。
立派な建物ですね。

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この写真の今は・・・・

この辺りではないかと思います。
紀尾井ホールのある場所。

2011020402.jpg

所在地「麹町区紀尾井町」は、現在の千代田区紀尾井町
紀尾井町の紀尾井は、紀伊、尾張、井伊の
三つのお屋敷があったことからついた地名で範囲が広い。

私の持っている明治時代の東京の地図にも、
「墺國大使館」の表示がありません。

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ネットで検索したところ、

越取さんのホームページの中に、
「墺國大使館」の建物について

「かの鹿鳴館を建てたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルによって,
紀尾井坂(麹町区紀尾井町7番地)に立派な建物が落成しました。」

との記述がありました。
紀尾井町7番地は、現在上智大学のキャンパスです。

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四ツ谷駅の南東にある大きな敷地で、
南の境界が紀尾井坂になります。

下の写真が現在の紀尾井坂。
古写真を見ると、右の方が下っているように見えます。
ということは、この坂を上りきったあたり、
紀尾井ホールが建っているあたりでしょうか。

2011020401.jpg

紀尾井坂の上からの眺めはこんな感じです。

左が紀尾井ホール、右がホテルニューオータニです。

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オーストリア・ハンガリー帝国は、
第一次世界大戦発火の舞台となり、
以後、二つの大戦を経て、
現在はオーストリア共和国となっています。

冒頭の立派な大使館の建物は
1923年の関東大震災で倒壊。

第二次大戦後、オーストリアの大使館は、
新しく麻布に建てられました。

麻布十番から少し西へ行ったところ、

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現在のオーストリア大使館は、麻布の暗闇坂の途中にあります。


00austria n6.jpg

 ♪ ももんが ももんが

はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」 
を口ずさみたくなりますが、
今はももんがはいないでしょうね。

 

00austria n7.jpg


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清國公使館 [タイムスリップ]

明治時代の写真の現場に行ってみる
タイムスリップ定点比較シリーズ。

100年前に大使館があった場所を巡っています。

今回が6カ国目。
レンガの塀がしゃれている、清国公使館です。
大使館ではなく公使館となっています。 

清国大使館.jpg

1900年、義和団事件の混乱の中、
清朝は国内の外国勢力排除の動き利用し列強に宣戦布告
しかし、連合軍にあっさり敗北。

清朝政府は莫大な賠償金の支払いと、
北京への外国軍駐屯を飲まされることになりました。

中国東北部を占領していたロシア軍が、日本に追い出されると、
今度は中国各地で武装蜂起が発生しました。

そして、1910年、武昌で革命政府が樹立。

清朝から、この革命の鎮圧を命じられた袁世凱は、
革命勢力側に寝返って、自分が帝位につこうとして・・・・

冒頭の写真は、
そんな中国の歴史が大きく動いていた時代に撮影されたものです。

では、写真の場所が現在どうなっているか

こんな感じです。

00 china n4.jpg


地名は、千代田区永田町。
建設中の巨大な建物は議員会館。

00 china n1.jpg


すごいところにあったんですねぇ。 

清國公使館の場所が、そのまま中国大使館だったら、
門の目の前が国会議事堂ということになっていました。

今はおまわりさんがいっぱい。

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現在の中国大使館は、六本木ヒルズの近所
港区元麻布にあります。 
下の写真が、その入口。

こちらも、おまわりさんだらけ。

写真に写っていませんが、横には警察車両が並んでいて、

物々しい雰囲気でした。

中国大使館.jpg


余談ですが、

かつて清國大使館があった場所に
建設中の議員会館は、
北から巨大な目に見つめられています。

現場で見ると、国民の目のように思えてきますが・・・

民主党の看板が邪魔。 

00 china n5.jpg


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