伊國大使館 [タイムスリップ]
明治時代に撮影された写真の現場へ行ってみる
タイムスリップ定点観察シリーズ
大使館シリーズの最終回は、
サッカー日本代表、ザッケローニ監督の国 イタ~リア。
この明治のイタリア大使館の写真を最初に観たとき、
きっと、現在の大使館のある場所、
港区三田の台地の上の景色だろうと思いました。
しかし、調べたところ、
当時のイタリア大使館は三田ではなく、
霞が関にあったんですね。
その経緯については、
イタリア大使館のHPにくわしく記載されています。
→ 東京のイタリア大使館
記事によれば、
1872年(明治5年)東京の虎ノ門の南西部分の2310坪の敷地に定着、
現在の場所に移転したのは1932年(昭和7年)から
ということになります。
ここでいう「虎ノ門の南西部分」とは、
先般登場した、”露國大使館”の西隣の土地。
現在の農林水産省の建物の辺りです。
では、古写真の撮影現場はどこなのでしょうか?
実は、よくわかりません。
現地を訪れてみると、
そこは三年坂の途中の起伏のある場所で、
冒頭の古写真から受ける平らな印象と違います。
当時は、西側の六本木通りがなかったので、
撮影場所は敷地が削られた道路上
ではないかと推測しました。
イタリア大使館は、明治時代、何回か火災や台風の被害に遭い、
1919年(大正8年)には、本館の大部分を火災で焼失したそうです。
1922年(大正11年)、
紀尾井町の旧オ-ストリア・ハンガリ-帝国大使館の所有権を取得。
しかし、この建物も翌年の関東大震災で倒壊。
前の記事の”墺國大使館”の建物が、
一時とはいえ、イタリア大使館だったんですねぇ。
これは意外。
現在のイタリア大使館は、
閑静な三田の丘の上にあります。
先日、敷地の中が「ブラタモリ」で紹介されていました。
こちらの場所の方が古写真のイメージに近いです。
下の写真は、イタリア大使館の南
綱坂から坂の上の方を見た景色ですが、
下のリンク先のNo.1443の写真と見比べると、面白いですよ。
「島原藩下屋敷 」 F.ベアト
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