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さよなら キンキン [ラヂオ]

キンキンが亡くなった・・・

肺がんだったそうで、享年80歳
大往生の部類かもしれませんが、
つい最近まで、テレビで元気なお姿を拝見していただけに
突然の訃報にビックリです。

キンキンこと愛川欽也さんは、
今でこそテレビの司会者のイメージがありますが、

私が彼の声に出会ったころは、
一度聴いたら忘れない声だけど、
特に人気が突出しているわけでもない
映画やアニメの吹き替え俳優の一人でした。

おはよう子どもショーのロバ君
確か、欽也さん自身が着ぐるみに入っていたんですよね。

♪らりほーらりほーらりるれろー・・・マイトの出番だバラッバラッバラ
アニメ「スーパースリー」のばらばらになるマイト・・・
と言っても、これわかる人いるのかな?(笑) 

もしかしてぇ~~ ニャンコ先生!! 

そんな、今でいう声優でくすぶっていた欽也さんをブレークさせたのは、
TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」でした。

欽也さんが火曜日の真夜中、
水曜パック第一部のパーソナリティーとして、
桝井論平さんのあとを受けて登場したのが1970年、ちょうど45年前です。

それからは、ナチチャコとともに
TBSラジオ深夜の看板パーソナリティーの一人でした。

番組のオープニングは「ルート66」
そして青春!これも青春!
スタジオH テトラ パパイヤ ジンジロゲ

当時の欽也さんはアラフォー、
ジャックレモンの吹き替えをしていたこともあり、
映画「幸せはパリで」の、カトリーヌドヌーブ扮する美女にあこがれる
うだつのあがらない中年男にご自分を投影させ、
「カトリーヌコーナー」なんて作っちゃってました。

⇒ The April Fool

当選はがきの抽選は、チラチラバルバルゥ~ 

カサブランカのハンフリー・ボガードにあこがれ、
大金つぎ込んで、映画「さよならモロッコ」を作ってしまい、、、

「死ね死ねブルース」。。。。。 はシャレになりませんね。

今頃、雲の上で、ナッチャンや林美雄さんと

「班長待ってたよ」

「おまっとさんでした」

なんて話しているんじゃないかな?

ああ、またさびしくなります。

さよなら、キンキン!

ありがとう

P1010024.JPG

合掌 

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馬場こずえの深夜営業 [ラヂオ]

1970年代、TBSラジオの土曜深夜
「馬場こずえの深夜営業」という番組がありました。

真夜中にバーボンを片手に、
たばこをくゆらしながら・・・といった雰囲気で
選曲はウェストコースト中心
馬場さんの裏表ない人柄がにじみ出た、
知的でちょっとおしゃれな番組でした。

9年前、メモ代わりに書いたつもりのこの記事

こずえの深夜営業

に、100件近くのコメントをいただきまして、
それが今も続いていて、重くなってしまいました。
そこに馬場こずえさんに関する貴重な情報が多く含まれていることから、
改めてここにまとめてみました。

頂戴した情報は、基本的にはそのまま転載しています。
記述に誤り等あればご指摘いただけるとうれしいです。

新しい情報があれば、随時更新していきます。

*******************************


1.NHK 若いこだま

こずえさんは、深夜営業を担当する以前、
1970年ころNHKの「若いこだま」火曜日の担当でした。

1970年ごろ彼女は火曜日の担当で毎週ゲストを招いての対談でした。この頃は夜10時30分からの30分番組だったと思います。ゲストに北山修が出たことがあり、そこから木曜パックの存在を知ることになるのですが。
1971年ごろになると15分延長されて夜10時のニュースが終わってからの10時15分開始となります。彼女は今度は月曜担当となり一つのテーマに関してデンスケをかついで渋谷の雑踏で街頭インタビューを始めます。1972年頃になると街頭インタビューはやめて全てスタジオ収録となります。

こずえさんはジャズっぽい曲が好きだったみたいです。
曲名もプレーヤーも今となってはわかりませんが、メロディー自体はいまでもよく覚えています。
トランペットがよくきいたインストルメンタルの曲をよくかけていましたね。
あと、サイモン&ガーファンクル、CCR、CSN&Y、メラニー、ジリオラチンクエッティー、ミッシェルポルナレフあたりもよくかかりました。

何度かこずえさんに葉書を読んでもらいました。
ラジオから自分の書いた内容がNHKで全国に紹介される瞬間というのはなんか背中がぞくぞくする感じがしましたね。
次の日学校で誰かに何か言われたらどうしよう、などと多少有名人になったような気分であくる日学校へ行くと、結局誰も聴いてなかったという現実にがっかりした記憶があります。

毎日夕方6時45分からNHK総合テレビで、その日のよるの番組を紹介するコーナーがありました。
6時からの子供番組と6時55分からの天気予報に挟まれたこの番組はいつも生放送でした。
あるときラジオの「若いこだま」をこのコーナーで紹介する週があり、馬場こずえさんを初めてテレビで拝ませてもらいました。とても普通の顔のお方で、多分街の中で出会ったとしても、気づかずに通り過ぎてしまうタイプの方でした。
こずえさんの次の日だったと思うのですが、森直也さんの番になって、大変な事が起きてしまうのでした。
もともと森直也さんってちょっと斜めに構えているところがあって、自分の番組紹介を普通に紹介したらつまらないと思ったのでしょう。ちょっと一般受けしないものを放送してしまいました。
自分の番組の一部を録音したものを流し、その間、画面はオープンリールのテープレコーダーが回っているところを延々と映し、そして新聞を広げている森直也さんを映し(森直也さん自身は新聞に隠れて見えない)、その新聞には真ん中に穴が開いていて、そこから森直也さんの片目がじっとテレビカメラをにらんでいて、最後にたしか一言、「つまんねえ番組、クソして寝よっ」と言って画面から消えるのでした。
これがNHKのお偉いさんの怒りに触れ、森直也さんは即刻「若いこだま」を首にされてしまうのでした。
(ラボリスさんからの情報)


たしか馬場こずえさんの「若いこだま」でスタジオライブを何度かやったことがあったように記憶しています。
若き日の上田正樹率いるサウス・トゥ・サウス、四人囃子、デビュー直前の金子マリとバックスバニーなどが出ていましたね。
当時、森直也さんと馬場こずえの若いこだまだけは欠かさず聞いていました。
懐かしいなぁ
(もりたろうさんからの情報 2007-05)

中高時代に!実はNHK「若いこだま」も聞いていました。ラジオを父からもらって聞き始めたのは「若いこだま」からだと思います。乱魔堂の「ちぇっ」を聞いたのも、ヘビーロックを初めて聞いたのもNHK「若いこだま」それも、馬場こずえさんから聞いたと思います。
(@kidmanboさんからの情報 2010-12)


2.パック・
イン・ミュージック 木曜第二部

「若いこだま」のあと、こずえさんは
TBSラジオの深夜放送 パックインミュージック木曜第2部
別名は「粗忽パック」「浪人パック」?
(ちなみに第1部は吉田拓郎)の担当となります。

以前のコメントに”ソコツ”パックと自称してた・・・とありましたが、”浪人”パックとも言っていましたよね。ソラマメさんのリスナーが”大学に合格しました”というハガキを寄せてくるのとは対照的にこずえさんのリスナーは”浪人決定しましたというハガキが多数派でした。深夜営業最終回から2年後、私も一浪したのですが、”これで真のこずえストになったなぁ”と思ったもんでした。
(南 立夫さんからの情報  2010-07)

① 放送時期 1971.04 - 1974.08  

② オープニング

吉田拓郎の放送が終わると、3:00からニールヤングの"Till The Morning Comes"とともに番組が始まりましたね。
(dixiefeverさんからの情報 2007-02)

ロギンス&メッシーナのグロウインもテーマでしたね。あとニール・ヤングの"Till the morning come"も。後者はメロディーが先斗町小唄(お座敷小唄)に似ていると、話題になってました。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)


③ エンディング
 

 「引き潮(Ebb Tide)」
 演奏は多分フランク・チャックスフィールドかと・・・?
(gucci-kotaさんからの情報)

④ 選曲
 

1974年8月22日放送「こずえパック」

OP曲 ニール・ヤング 「ティル・ザ・モーニング・カムズ」
1 モンキーズ 「すてきなブルーグラス」
2 ビル・ヘイリーと彼のコメッツ 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」
*映画「アメリカン・グラフィティ」試写会(久保ホール)招待募集あり
3 ジョルジュ・ムスタキ 「ヒロシマ」
4 フランク・シナトラ 「マイ・ウェイ」
*自由提出課題(レギュラーコーナー)
テーマ「こんな時あの人が居てくれたらなあ・・・と思うとき」
5 エリック・アンダーソン 「おいでよ僕のベッドに」
*アルバム紹介 アーロ・ガスリー 「家路」(ワーナーパイオニアP-8466)より
「もうすぐ会えるよ」「ノスタルジア・ラグ」「サボテンの花が咲くころ」「ゴー・ダウン・モーゼス」「ラスト・トゥ・リーヴ」
6 ジョニ・ミッチェル 「ヘルプ・ミー」
7 ジェイムス・テイラー 「兵士たち」
8 ニール・ヤング 「ハート・オブ・ゴールド」
9 ザ・バンド 「オールド・デキシー・ダウン」
10 メラニー 「心の扉を開けよう」
11 リタ・クーリッジ 「アイル・ビー・ヒア」
ED曲フランク・チャックスフィールドと彼のオーケストラ「引き潮」
にのせて「それじゃね、また来週。さよなら」のエンドコール

1974年8月29日放送「こずえパック」最終回
OP曲ニール・ヤング 「ティル・ザ・モーニング・カムズ」
*冒頭、木曜パック1部の小室等氏(居残り)とのオープニング・トークあり
1 ニール・ヤング 「ザ・ローナー」
2 ニール・ヤング 「アイル・ビー・ウェイティング・フォー・ユー」
3 ニール・ヤング 「シュガー・マウンテン」
4 ニール・ヤング 「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」
*自由提出課題(レギュラーコーナー)テーマ「今にちの放送界に与えた馬場こずえの多大なる影響について」
5 馬場こずえ 「きれいなこのは」
6 ニール・ヤング 「テル・ミー・ホワイ」
7 ニール・ヤング 「ドント・レット・イット・ブリング・ユー・ダウン」
*次週からの新番組を「歌うヘッドウェイ」と紹介して、サブから「ライト!」と訂正が入ります
8 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「サザン・マン」(4ウェイ・ストリートから)
9 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「ヘルプレス」
10 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「デジャ・ヴ」
11 ニール・ヤング「自由の値」
12 ニール・ヤング「孤独の旅路」
13 ニール・ヤング「オールド・マン」
14 ニール・ヤング「アバウト・トゥ・レイン」
15 ニール・ヤング「オンリー・ラヴ・キャン・ブレイク・ユア・ハート」
16 ニール・ヤング「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」
17 ニール・ヤング「ティル・ザ・モーニング・カムズ」
ED曲フランク・チャックスフィールドと彼のオーケストラ「引き潮」

⑤ その他

「来週からも、あの、宜しくお願いします。それではまた来週。お元気でね、さよなら」のエンドコール
最終回の寂寥感は全く感じられません。(前任の郷司淑子さんが泣いた話をしていたにも関わらず)
多分、来週からも同じ時間帯で後続番組をやることが決まっていたからだと思います。
ただ、この時はこずえさん自身も「歌うヘッドライト」の構成意図が、良く分かっていなかったのだと・・・
(gucci-kotaさんからの情報)

論理学講座より以前には、確かパック二部の時に「自由提出課題」という投稿コーナーがあったと思います。
また、「深夜営業」の前に流れる 3時迄の放送で、今は亡き落語家の桂文朝さんの番組があったのですが、その中の或るコーナーにもこずえさんが出ていらっしゃいました。
(ゆめなまさんからの情報 2008-11)

大学時代大ファンで水曜深夜のパック2部をよく聞いていました。
あの頃は明け方まで起きていたのが当たり前みたいな生活でした。
選曲の良さもありましたがソコツさのにじみ出たオシャベリが大好きでいつもニヤニヤしながら聞いていたことを思い出します。
確かご自分で「ソコツ・パック」とおっしゃっていた記憶があります。
( こずぇストさんからの情報 2009-05)

高校から大学にかけてTBSの深夜放送を良く聴いていました。
宮内鎮雄とか、小島一慶とか、林美雄とか、なつかしいです。
木曜パックを最初に聞いたのが1972年の正月です。
吉田拓郎の1部にゲストで出て、そのまま2部を始めた時の放送です。1部ではアイスクリームの歌というのを歌わせられていました。その後、4回連続して聞いたのですが、深夜まで起きて聴くのはキツくて、やめました。
ちなみに、そのころ麻梨子産業株式会社を毎日聴いていました。これはすぐに終わってしまって悲しかった思い出があります。その1年半くらい後に、録音して聴くというテクニックを編み出して、それからずーっと聴いていました。
(「映画好き」さんからの情報 2006年11月)

こずえさんのパック二部が最終回の時、番組が何故終るのか?と言う問いに対して、彼女が『あなた達が悪いんだからね』と言われたと思います。確かに僕達がもっと葉書をたくさん出していたらあの番組は続いていたかもしれません。しかし、あの番組にはスポンサーが付いていなかった(と思う)。民放にとってこれは痛いですよね。
(yasさんからの情報 2009-07)

TBSパックで小室等の2部を担当していたのが馬場こずえさんとは、このページで気づきました!!びっくり!小室等さんとおそろいのハッピを来てパック夏祭りに出たと思います。なつかしいなぁ!
当時愛媛県大洲市という田舎の盆地にいました。昼は太陽が邪魔してTBSは聞けませんが、深夜12時から朝5時ごろは何とかラジオは真ん中950キロサイクルTBSが聞けました。
(@kidmanboさんからの情報 2010-12)



3.歌うヘッドライト

1974年8月、パック第2部が惜しまれながら終了、
こずえさんは、そのまま後番組の「歌うヘッドライト」の担当になりました。

「歌うヘッドライト」は、いすゞ自動車提供のトラック野郎をターゲットにした番組で、
選曲は演歌などの歌謡曲中心でした。
洋楽好きな、こずえパックのファンはみんなガッカリしました。

1974.09 - 1975.03 歌うヘッドライト 木曜日



馬場さんの歌うヘッドライトで”一日一曲だけ外国の歌を聴こう”というコーナーが出てきたとき悲しくて泣けてきました。それだけに、のちの深夜営業での復活を知った時の喜びは大きかったです。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)


4.馬場こずえの深夜営業

①放送時間 

土曜深夜 27:00 ― 29:00 (日曜午前3時~5時)

②放送期間 

1975年10月5日~1978年4月2日

歌うヘッドライトは聴くに耐えなくて駄目でしたが、深夜営業に復活してからは再び聴くようになりました。1978年3月31日(たしかそうだったと思う)にとうとう終わってしまって、かなり悲しかったです。泣いてしまいました。翌日は社会人になる入社式.。青春が終わってしまったと思いました。たしか、その5月に良くリクエストしていたSandy Dennyが死んでいるのです。その頃は、もう絶望的なシーズンだったわけです。
(映画好き さんからの情報 2006-11)

③ ネット局

全国ネットではなかった(と思う)
私のわかる範囲では、
TBC東北放送、新潟放送、四国放送、RSK山陽放送、RKB毎日(福岡)、RBC琉球放送で放送されていました。
TBS ではお休みで、他局のみ放送されたこともあります。その時は、論理学講座はお休みでした。
私は普段、四国放送で聴いていましたが、CM中の穴埋めは独自の曲で、TBS で流れていたこずえさんの「ここらでちょっと一息・・・」等はありませんでした。
(ゆめなまさんからの情報 2010-05)  


⑤ オープニング

オープニングテーマは大瀧詠一さんのイメージが強いですが、
当初は??
Jesse Colin YoungのMorning Sun、Song for Juli説あり。
ただし、大瀧詠一さんの前は、Steve GoodmanのIt's a sin to tell a lieでした。

メインスポンサーがなかったので、この曲はブレークタイムにも使われ、
そのときのこずえさんのセリフが印象的でした。
「水割り一杯呑みたいなァなんていうとき・・・」
「何にもすることがないとき、でもまだ今日に心残りがあるようなとき、
何の役にも立たないけれど日曜3時から5時まではここにいます・・・」

住まいが関西なので深夜になるほど遠くの電波がよく届いて、午前3時から始まる「こずえの深夜営業」を毎週楽しみに聞いていました。
ビートルズ一辺倒だった僕にはウェストコーストの音楽は始めて聞くものばかり。世界が広がりました。
矢野顕子も尾崎亜美もこの番組でデビューを知りました。
僕は大瀧詠一さんのテーマソングも好きでしたが、それ以前に使われていたオープニング曲が大好きでした。一度番組の中でフルにかかったことがあったのですが誰の曲かわからず、数年前にIt's a sin to tell a lieという曲名だけで何とか探し当ててamazonで購入しました。
ミュージシャンの名前はSteve Goodman、CDタイトルはJessie's Jig & Other Favoritesといいます。この曲は番組の間のジングルにも使われていて、こずえさんの「あー疲れた。ここで煙草をちょっと一服というついでにさらさらっとお葉書をどうぞ」というセリフの後ろにもかかっていました(と思います)。
(shinさんからの情報 2008-12)


「It's A Sin To Tell A Lie」ですが、数年前にこずえさんから電話があり、「あの曲について教えて?」と聞かれたので、説明した後amazon経由でCDをプレゼントした経緯があります。私もレコードしか持ってなかったもので、自分用に購入しました。
 フィルモアで有名なビル・グラハムの音源を扱っている「Wolfgang's Vault 」というHPがあります。70年代の膨大な音源がありますが、そちらでSteve GoodmanのIt's A Sin To Tell A Lie(アレンジがレコードとだいぶ違います)が、聞けます。70年代の多くのミュージシャンのLIVEが聞けますが、膨大で全部聞くのに何年かかかりそうです。
(shigeさんからの情報 2009-02)

Steve GoodmanのIt's a sin to tell a lie。
有名な曲ですが、この一人弾きアレンジは衝撃。好きになりました。
でも、以後も他の番組で聴く機会はありませんでしたね。
10年ほど前に無性に懐かしくなり、彼のCDを入手。嬉しかったです。
ネット上で同曲は見つかりませんでしたが、雰囲気的にはこれが…。
http://www.youtube.com/watch?v=h0mNOxvYK9A
この番組のおかげで若い時に国内外の良い音楽を聞くことができました。
こずえさん、スタッフの皆さん有難うございました。
(りよまさんからの情報 2010-09)

北海道でも「若いこだま」から「深夜営業」まで放送されていました。
馬場こずえさんの番組のオープニングというと、深夜営業の大滝詠一さんの曲以前では、Jesse Colin YoungのMorning Sun、Song for Juliの印象が強かったのですが、オープニング曲じゃなかったですか?
( きたからさんからの情報 2010-12)

◆大瀧詠一さんの軽快なメロディー

放送の途中から、大瀧詠一さんの軽快なメロディーで始まるオープニングに変わりました。このテーマソングは、後に大瀧さんのCMソングを集めたアルバム「ナイアガラCMスペシャルvol.1」に収録されました。
1975年5月、大瀧さんが「深夜営業」にゲスト出演し、その時に「テーマを作りましょうか?」と話したことがキッカケでできました。演奏はピアノが坂本龍一、ギターが山下達郎、伊藤銀二という超豪華メンバー。
歌詞の1番は「3am TBS 950 on your radio・・・」
2番は「明けりゃもうすぐ、楽し日曜日 花のアンパンこずえさん 土曜の夜の恋人に・・・」
でしたが、ご本人からのクレーム(笑)により、「花のあんぱん」が「荻窪美人」に歌詞が変更されました。

♪バババ、馬場こずえのシンシンシン深夜営業(繰り返し)馬場こずえ~
3AM、TBS、Nine fifty(950) on the radio 君の耳元で、今日も元気な笑い声、バババ、馬場こずえのシンシンシン深夜営業、馬場こずえ~♪」
ちなみに番組中でこずえさんは、「君の耳元で」の所をずっと「君の魅力で・・・」とソラミミしていたと言ってました(^^;」
まだ無名だった(と思う)頃の南 南佳孝の「おいらギャングだぞ」とか、マイナーな曲がよくかかっていた事もありましたよね?
(てるるさんからの情報 2009-03)

私の記憶では、大滝さんの番組テーマソング提供の発端は新アルバムの宣伝(当時は大滝さんも営業していた)で深夜営業に来られた折、話が弾んだことだったと思います。なぜ覚えているかというと、その時、衝撃的な質問が馬場さんからあったからです。
たしか、「アルバム作成には時間がかかりますから途中で嫌になったことはありませんでしたか?」と聞いたように記憶しています。
大滝さんは、絶句しました。ラジオを聞いていた私も目が覚めました。
そんなこんなで、話が盛り上がりテーマソング提供の約束があったように記憶しています。ただし、約束はなかなか実行されず、
「まだこない」と、馬場さんが番組で愚痴っていましたね。
(四国松山さんからの情報 2010-09)

 大滝さん作のテーマソングができる前のテーマは、たしかスティーブ・グッドマンの"it's a sin to tell a lie"だったと記憶しております。スティ-ブ・グッドマンのテーマも新しくその前のテーマから変わったばかりで、わずか2週目ぐらいで大滝さんのテーマが出来てきたので、非常に短命のテーマだったように記憶しております。こずえさんは大滝さんのテーマを大変気に入り、テーマソングとして使ったり、番組本編のなかでも再度かけたりしていましたね。
(南 立夫さんからの情報 2010-09)


⑤ エンディングテーマ

エンディングは、佐藤奈々子さんの「真夜中のロックンロール」


番組の最後は「起こさないで早起き鳥~♪」という歌詞の歌だった記憶があります(てるるさんからの情報 2009-03)

佐藤奈々子の曲は「ファニー・ウォーキン」の中の“〜真夜中のロックンロール”だと思います。当時、マリア・マルダーにハマっていて馬場さんに薦めたと思います。
大瀧さんの「起こさないで、早起き鳥」は、1stソロアルバムに入っている「朝寝坊」という曲です。当時、大瀧さんの大ファンだった私のプッシュということで。「ナイアガラ・トライアングル」の発売ゲストに大瀧、達郎、銀次の御三方が出演された時にアルバムにいただいたサインは家宝になっています。
(shigeさんからの情報 2009-03)

 

⑥ こずえ式論理学講座

毎週、こずえさんが課題を出し、読者がその課題をもとに投稿する深夜営業の名物コーナー

こずえ式論理学講座 判明している課題

1977年
8.14 左うちわの起源
8.21 器量の適量
9.18 勘違いの計算違い
9.25 飽きのこない秋の夜長の過ごし方
10.16 人間の証明書
10.23 お金の借り方、返し方
10.30 プロとアマの境目
11.6 渋柿の自己主張の甘さ
11/13 円高ドル安ちょっと一言言わせてもらえば
11/20 正しい勤労感謝の日の過ごし方
11/27 この秋損する人、得する人
12/4 出世のための接待基準
12/11 宵っ張りの早起き方
12.18 お歳暮とお中元の中身の違い
12/25 年の瀬の昆がらがった時の心の解し方

1978年
1/1 [なし]
1/8 [なし]
1/15 酒とタバコと男と女
1/22 ご町内の震源地
1/29 3分前、3分後
2/ 5 遊びの内申書
2/12 愛と贈り物の関係
2/19 保守と革新の境目
2/26 迷い道現在未来
3/ 5 喫煙権、嫌煙権
3.12 名刺の出し方とその効用
3.19 電話のかけ方受け方
3.26 ?
4/2  預金通帳の中身(最終回)
( ゆめなまさん、bechanさんからの情報)

論理学講座(論理欠く講座、ともいわれてましたよね)で、”笑うに笑えない時の笑い方”というお題が出た時、藁と雲丹と朱鷺を登場させて物語を完成させたハガキが読まれました。こんな裏技もアリでしたね。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)


⑦ 常連さん

都内練馬区桜台、溶けないコーヒーシュガーさん、
京都市左京区ミスターフェイラーさん、
習志野の低級遊民さん、
多摩丘陵のスーザンヤングさん、
磯子のかしこさん、etc...
(bechanさんからの情報)


ニールヤングの妻だか嫁だかいう人(このペンネームに言及しているのを、何かのサイトで最近見ました)と地下鉄のザジさんくらいしか思い出せません。
地下鉄のザジというのは映画の題名で、当時、知らなくて何だろうと思っておりました。
(「映画好き」さんからの情報)

サンディ・デニーが大好きで良くリクエストを出されていた方で「クロサワ」さんも思い出されます。深夜営業が終了して、しばらくして「パノラマワイドヨーイドン」というような題名で同じ時間帯に林美雄さんと放送していたと思います。深夜営業とは異なる内容ですが、こずえさんが毎週手紙を書いてそれを読んでいたと思います。懐かしいです、こずえさんはお元気なのでしょうか。
(bechanからの情報)

最終回で、夢を夢見るなまけもの、さんは、こずえ式論理学講座が開始から終了まで135講あったことをかぞえたり。その日のお題”預金通帳の中身”では、オリンピックの記念硬貨を普通預金に入れてしまったおばあちゃんの話が読まれたり、大活躍でした。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)

ゆめなまさんのような有名人ではなかったですが、私も「月のさばくのうさぎ」というペンネームでけっこうはがき出しました。週の日曜から火曜ぐらいまでは、論理学講座のお題のことばかり考えてるみたいな感じでしたね。けっこう読んでもらいました。ボツも多かったけど。一番よかったのは96.5点だったかな?あの点数もけっこういい加減でしたよね。もちろんそれがよかったけど。
あの頃はよくリクエストしたけど、今でもニールヤング好きです。来るとコンサートに行きます。あの人年とってはげたけど、元気ですね。(どこか大人げないとこもあいかわらず)こんなにニールに入れ込んだのは、馬場こずえさんの影響かも。
(うさぎさんからの情報 2010-01) 
 

⑧ 選曲

当時、かかった日本の曲を、揚げてみましょう。
細野晴臣、風来坊、相合傘。大滝詠一、外は好い天気。吉田美奈子、レインボウ・シーライン。尾崎亜美、私は何色。憂歌団、繁華街のはんぱ女。南佳考、おいらギャングだぞ。西岡恭三、プカプカ。オレンジ・カウンティー・ブラザース、曲名覚えていません。山崎ハコ、曲名覚えていません。山崎ハコさんはゲストで出演してましたね。鈴木慶一とムーンライダース、マスカット・ココナッツ・バナナ・メロン。山下達郎、ラスト・ステップ。ティン・パン・アレイ、チューチューガタゴト’75.。鈴木茂、レディー・ピンクパンサー。
当時、既にナイアガラーだったので、日本の曲のコーナーが楽しみでした。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)

この番組でよくかかった曲で好きだったのは
ガイ・クラーク…汽車を待つならず者のように
ジョン・セバスチャン…ワンステップ・フォワード・ツーステップス・バック
トム・ウエイツ…アイスクリーム・マン等々
最終回では、こんな曲もかかったんでしょうか?
( だんなさんからの情報 2009-04)

ある日の深夜営業で、馬場さんがアフリカの月、という日本人女性が歌う、ブルースなのかシャンソンなのか、記憶が朦朧としてわからないが素晴らしい曲をかけてました。
(しろうさんからの情報 2011-08)

毎週聴く、という熱心なリスナーではなかったのですが、それでも良く聴いていました。
論理学講座のお題で「借金取りを入れる鳥カゴは?」のテーマに反応し、「こずえ」や「こづえ」が出てくる話を読んでもらい、狂喜した覚えがあります。
当時はギターが好きで、テーマ曲について葉書で問合せたところ、直接返事の葉書を貰ったりしたのも嬉しかったです。
教えて貰ったのは、アサイラムの輸入盤で、銀座山野楽器の輸入盤コーナーで一発ゲットしました。
放送の中で、「他のアーティストは3/4拍子なのに、これは4/4拍子なのよね」
と言われていたのを思い出しました。
フィービ・スノウなんかもかかってましたよね。
「若いのに凄い歌詞を書くなって思ってたら、意外に年齢がいってるのを知って安心した」とか。
J.D.サウザーとかちょっとフツーの音楽番組ではかからないアーティストを教えて貰い、勉強になりました。
( た さんからの情報)

⑨ 番組に登場したゲスト

山崎ハコ、小室等、南佳孝、丸山圭子、
ナイアガラトライアングル(大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次、ロッキード事件国会喚問の真似で盛り上がっていました)、
斉藤哲夫、金子マリ、絵夢、細野晴臣、尾崎亜美、五堂新太郎、鈴木茂、
ジョン・セバスチャン、はまのさとる、いとうあきお、しまだそうじ、
大上留利子、とおやまあきら、宇井純、麻田浩、鈴木慶一、あがた森魚、
梅垣達志、憂歌団、大塚まさじ、佐藤奈々子、館ひろし、五輪真弓、
まつだいらただあき、加藤和彦
字のわからなかった人はひらがなで書いています。
また、こずえさんの扁桃腺や新婚旅行で代役 DJ を務められた方には、
岡田富美子、襟川恵子、及川弘子
各氏が居られます。
(ゆめなまさんからの情報 2009-07)

⑩ その他の情報

こずえさんの人となりについてなど、
こずえさんは、巨人のシピンのファンでしたね。
ちなみに、馬場こずえさんの息子さんは歌手 山本海太郎さん

馬場こずえさんは「同行二人」でしたよ。
FMにご登場の頃、北海道の稜線で、熊避けに大音量でビバークを。。満天の星を眺めながら聞いてましたっけ。。それとジリオラチンクエッティー。マイコロカセットに採って持ち歩いていましたが。。
(nickさんからの情報 2006-10)


こずえさんの新婚旅行の行き先は確かスペインでしたよね。
(yasさんからの情報 2009-07)


細野晴臣のクラウン・イヤーズというCDボックスセットが発売されて、その中に「泰安洋行」発売時点での、馬場こずえさんの「深夜営業1976/8/8」が収録されています。
内容は細野さんとの対談(インタビュー)です。
(dixiefeverからの情報 2007-02)


「深夜営業」の頃は田舎の中学生でした。
朝まで聞きとおして、フラフラ状態で学校に通ってた記憶があります。
エンディングの曲が流れると、夜明けの薄明かりのなか、「人生」を考えてしまったものです。
そんな中学生が、大学生になり下北沢に住み始めたのが70年代後半のことでした。
たぶん馬場こずえ的人生の行路がたどり着かせたのでしょう。
あのころの下北沢が、ほんとの下北沢?みたいな時代でした。
上田正樹は普段はとても物静かな人でした。
金子マリは弱いくせに酒ばかり飲んでよくトイレで倒れていました。
カルメン・マキの住んでいたマンションの1階が銭湯で、
遠藤ミチロウと一番風呂狙いで通っていました。
本田さんは時々ビールをおごってくれて、
「今度大きな劇場建てるんだ」と赤ら顔で語っていました。
「深夜営業」の影響ばかりではないのですが、そういう時代にどっぷりの自分がありました。
あの時代のあの世界が30年前!
(クロンシュタットさんからの情報 2008-02)


高校から大学にかけて、よく聞いていました。「スーザンヤングさん」「低級遊民さん」、懐かしいキーワードがいっぱいで感激しています。
大瀧詠一のことを知ったのもこずえさんの番組でした。
「深夜営業」の時はどうしても寝てしまいそうになるので、60分カセットでラジカセ 2台、一時間ずらしたタイマーでなんとか録音したこともありました。
論理学講座は私が投稿にたまたま書いたタイトルがコーナーの名前になったもので、嬉しくてよく出していましたが、どうしても他の投稿者のセンスには追いつけなかった気がします。
(ゆめなまさんからの情報)


ある日馬場さんはあるリスナーのハガキを読んでいました。ハガキの内容は忘れましたが、そのリスナーはハガキの最後を”馬場さん愛してる”としてしめくくりました。普通、こういわれると、リスナーを傷つけないように、”あら嬉しい”とか”どうしましょう”とか言って、その場を取り繕うものですが、馬場さんは”私はあなたがどういう人か知らないし、好きでも何でもありません”という意の回答をいたしました。当時中2でしたが、この人すごい人だと子供心に思ったものでした。
( 南 立夫さんからの情報 2009-07-15)


深夜営業で鮮明に覚えているのは、テーマ曲の「ばばば、ばばこずえのしんしんしんしんやえいぎょう♪♪」の最後が、「ば、ば、こずえ~♪」とハモリのようになって終わるのをもじって、「ばかこじえ」と書いてきたハガキがあり、最初は笑って受け流していたのが、何回か重なってきて、マイクの前で本当に怒っていた馬場さんの様子です。あのころは、レモンにしてもナチチャコにしても、あるいはキンキンにしても、好き嫌いや喜怒哀楽を、割とそのまま電波に乗せていた時代でしたが、悪ふざけでからかわれて、本気でむかついているのが、何とも深夜の3時過ぎにして、異常に新鮮に感じられたものでした。
(hiroponnさんからの情報 2010-04)

こずえさんと、初対面の女性との会話
女性:馬場さんのラジオ番組ってどんな曲がかかるんですか?レッド・ツェッペリンとかかかります?
こずえさん:かからないなあ。
女性:じゃあ、エアロスミスとかどうです?○○とか?▽▽とか?・・・?
こずえさん:かからないなあ。
女性:ええ~っ、そんな趣味の悪い番組あるんですか?
こずえさん:・・・・。
(Travellerさんからの情報)

⑪ 馬場こずえの深夜営業、最終回
 
最終回は、1978年4月2日。
その前週、3月26日は、こずえさんが腰痛で、クロさんこと襟川恵子さんが代役を務めました。

最終回間際の3月19日の放送
こずえさんが、深夜営業の4月2日終了を初めて口にしました。
論理学講座については、「今週出しまして来週読みますところの課題」が最後となり、
最終回は論理学講座無しと言われていたのですが、翌週にこずえさんが欠席(クロさんが代役)したため、論理学講座は最終回に持ち越されました。クロさんは代役を務めた際にこずえさんの事を「輪ゴムで髪の毛まとめて仕事してる。もっとおしゃれしなさいよ!」とかおっしゃってました。

1978年3月26日は、こずえさんが腰痛で、クロさんこと襟川恵子さんが代役を務めた

こずえさんの腹痛(?)の件、覚えています。
クロさんが当初、こずえさんになりすまそうと試みたけど、30秒くらいでお手上げになったような気がします。
(Mashi☆Toshiさんからの情報)

最終回の選曲は、主にThe Bandの「Last Waltz」のアルバムからでした。

The Band(アルバム「Last Waltz」から) 
Old Dixie Down
Coyote
Down South In New Orleans
久保田麻琴と夕焼け楽団 シケモク暮らし
大瀧詠一 みだれ髪
 The Band(「Last Waltz」から)
 Helpless
 stagefright
 Forever young
キャロルキング It's Too Late
デビット・バスキン When I Need You Most Of All
キャロルキング Natural Woman
The Band(「Last Waltz」から)
 Ophelia
 The Wright
 Such A Night
 I Shall Be Released
憂歌団 嫌んなった
南佳孝 おいらギャングだぞ
Neil Young Till The Morning Comes
(bechanさんからの情報)

いろいろな方が、いろいろな想いで「深夜営業」を聴いていたんですね。
コメントありがとうございました。
(2014.4.25記)


2014年3月21日のパック イン ミュージック [ラヂオ]

3月21日、TBSラジオ主催のイベント
「我が青春のパック・イン・ミュージック」に参加するため、
赤坂BLITZへ行ってきました。

TBSラジオでは、3月18日から4夜連続で
小島一慶さん、白石冬美さん お二人の司会で
2時間の特番を組み、イベントに向け雰囲気を盛り上げていました。

私は昼の部に行きました。

会場は中高年でいっぱいでしたね。
このブログもあることだし、記録を残しておきましょう。

    002.jpg

出演者は、司会が小島一慶、兵藤ゆき のご両人
ほかに、山本コータロー、白石冬美、永六輔、堀内孝雄、山崎ハコ、小室等。

パックインミュージック(パック)が放送されていたころ
70年代の思い出話と、当時の懐かしい歌で2時間半、
しっかり楽しませていただきました。

司会の一慶さんのパックへの思い入れは半端じゃないですね。

直前のラジオの特番でも熱く語り続け、
この日は、前説で登場した途端に涙腺決壊(笑)
後で兵藤ゆきさんにいじられていました。

しかし、一慶さんの熱弁は、会場のパックメイトにではなく、
パックインミュージックという番組の意味を知らない世代の
TBSのスタッフに向けられているように聴こえました。

土曜パックの山本コータローさん。
ヒット曲の「走れコータロー」と「岬めぐり」を熱唱。
番組で人気だったタイコメ(逆さに読むと放送できない文章)コーナーを再現しましたが、
会場の反応がイマイチ。
当てが外れたという感じでした。

そりゃそうですよ。
当時だって、自分の部屋で一人クスクス笑うネタだし、
第一、みなさんもう他愛のないことで喜ぶ中学生じゃないですからね(笑)


金曜パックのチャコ(白石冬美)さん。
ナッチャン(野沢那智)との思い出、
雪の日に同じホテルの部屋に泊まった話などをされていました。

パックのリスナーで、那智チャコ(ナッチャコ)を知らない人はいないし、
欲をいえば、ナッチャンが生きているうちに、
こういうイベントを開催してほしかったです。

会場では金曜パックの1972年の音源を収録したCDを販売。
ラジオショッピングでは、1セット15000円もするCDが、
1日で300セットも売れたとの話でした。

    005.jpg


次に車イスで登場したのが、日曜パック担当の永六輔さん。
パーキンソン病を患い、歩けないとのことでした。
滑舌は悪くなりましたが、話のキレは衰えていませんね。
この日一番会場を沸かせていたかもしれません。

永さんといえば、中村八大さんと手がけた
NHKテレビの「ステージ101」が懐かしいですが、
この番組のパイロット版の司会が那智チャコなんですよね。


堀内孝雄さんといえばアリス、
アリスといえば谷村新司さん
谷村新司さんといえば、文化放送の「セイヤング」
となるし、会場にはベーヤンファンもいて
やや場違いな感じがありましたが、

落語家のような客いじりで笑いをとるところはさすが。
個人的には「遠くで汽笛を聴きながら」は好きなので、
生で聴くことが出来てよかったです。


ミドリブタこと、故林美雄さんが世に出した山崎ハコさん。
以前、NHKの番組でハコさんを数十年ぶりに観たときは
その姿に驚きました。
声が出ていないし、観ていて痛々しかったのですが、

http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2006-09-03


今回は、声に張りがあるし、歌も全然問題なかったです。
演奏曲は「飛びます」と「気分を変えて」
ご主人との共演でした。

1975年のパック祭りで、観客が泣いてしまったという伝説の歌
「さよならの鐘」を聞きたかったですが、

http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2006-08-18

感動しました。

最後に登場したのは、木曜パックの担当だった小室等さん。

木曜パックは、北山修、吉田拓郎、南こうせつ、と
後のフォークの大御所になる人たちがパーソナリティーを務めていましたが、
みんなTBSラジオを離れて行ってしまいましたね。
今回木曜パックが一番影が薄かったです。

小室さんの木曜パックは地味で、私も印象に残っていないので、
何となく申し訳なかったです。

「雨が空から降れば」「比叡おろし」を
しっとり歌いあげていました。

で、最後は「出発の歌」でエンディング・・・・



3月21日はお彼岸の中日。
このイベント、中高年にとっては厳しい日程でしたね。
招待客も多かったらしいですが、
それでも、よく集まったと思います。

会場が赤坂BLITZ
ラジオ番組とのコラボしているため近場がいい。
不動産屋TBSの思惑?
正直、ライブハウスは中高年に向いてないです。
私の隣の席の知人は、ライトが眩しいとぼやいていました。

ドリンク500円
これはなしにできなかったんでしょうかね。
私の知人は、行列が長くて諦めたと言ってました。

司会の兵藤ゆきさん
出演者に、間のいい合いの手とツッコミをいれ、
進行が上手だと思いましたが、

「シバの女王」が流れた意味がわからず、
会場の”パックメイト”を唖然とさせてしまいました。
スタッフがレクチャーしなかったんでしょうね。
お気の毒でした。

でも、一慶さんやチャコさんに会えたし、
非常に楽しかったです。

今回のイベント。
日程の都合がつかず、行けなかった方も多いし、
パックには大村麻梨子さんや、馬場こずえさんなど、
語るべきパーソナリティーはまだまだたくさんいらっしゃいます。

形は変わっても、
次回があってほしいと思います。

一慶さ~ん、がんばってください!!

    003.jpg


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我が青春のパック・イン・ミュージック [ラヂオ]

パソコンの重さと、多忙な毎日に
面倒くさくなってしまい、ブログを仮死状態にしてしまいました。

しかし、深夜放送ネタの多いこのブログ。
やはり、この話題に触れておかないとまずい!

ということで、

我が青春のパック・イン・ミュージック

puckin.jpg

3月21日の 春分の日、
赤坂BLITZにて、
「パック・イン・ミュージック」のイベントがあります。

チケットはまだあります。
http://ticket.pia.jp/pia/event.do?eventCd=1353787

3月18日からは、4夜連続で特番を組むとか。
TBSラジオも本腰を入れたか、
楽しみにしておきましょう。

思い起こせば13年前!!

2001年4月20日、渋谷公会堂
TBSの放送開始50周年記念イベントが開催されました。

司会は今は亡き、林美雄さん、ナチチャコも出演。
パック・イン・ミュージックの時代を音楽とともに振り返る企画。
「五つの赤い風船」再結成イベントのようなところもありました。
その時の演目の記録を見ると、

 山本コウタローとウイークエンド 岬めぐり、
 永井龍雲 道標ない旅、
 三浦和人 愛はかげろう、
 太田裕美 雨だれ
 沢田聖子 シオン
 山本潤子 卒業写真
 斎藤哲夫 今のキミはピカピカに光って
 高田渡  生活のがら
 杉田二郎 戦争を知らない子供たち
 山田パンダ(PANDA/SON) 僕の胸でおやすみ
 マイク真木 バラが咲いた
 ムッシュかまやつ どうにかなるさ
 小室等 雨が空から降れば
 西岡たかし(五つの赤い風船)恋は風に乗って
 全員で♪ 遠い世界に
 ゲスト:野沢那智・白石冬美+林美雄&山本コウタロー(パック談議)

今回もこんな感じになるのかな?

当時、かつてパックのリスナーだった人
特に一部の金曜パックのファンがこのイベントで
盛り上がりまして、どうしたら金曜パックを復活できるかなど
真剣に考えていた時期がありました。

2006年の特番、「甦る伝説 那智チャコパック」も、
今回発売される金曜パックのCDーBOXも、
このときの盛り上がりがなければ、なかったように思います。

個人的には、今回のイベント開催についても、
パック終了時の中学生男子がただ純粋に、
「もう一度金曜パックを聴きたい!」と思い立ちあげた
”奇跡の”ウェブサイトが、大きな力になったように感じています。

ただ、残念なことは、
林美雄さんと、野沢那智さんが故人になってしまったこと。

6-7年遅えんだよ!


ま、贅沢を言うのはやめましょう。

一慶さんにも頑張ってほしい。
いろいろあったけど、自分から希望して、パックのパーソナリティーになった人だから、パックのリスナーに募る思いを発信してほしいと思います。


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林美雄 空白の3分16秒 [ラヂオ]

昨年12月27日TBSラジオで
「林美雄 空白の3分16秒」という特番がありました。

私はリアルタイムで聴けなかったのですが、
YouTubeにアップした方がいらっしゃって
そちらの方を拝聴しました。

感謝! 感謝!です


1980年9月30日、林美雄さんのパックインミュージック最終回
エンディングのトークで、林さんの声が突如途切れ
3分16秒間、BGMの「青春の蹉跌」だけが流れた

そのとき一体何が起きたのか
空白の時間で林さんは何を伝えたかったのか

劇作家の宮沢章夫さんの企画進行で
関係者の証言を交え、その空白の意味を探ろうという内容でした。

感想は・・・・・・ 

林さんとしては、

1970年に久米さんの病気降板を受けての起用に始まり、
途中中断があっての約10年間
好きな音楽、好きな映画、好きな演劇を紹介し
自ら楽しみながら力を注ぎ込んだ番組
その番組が終了する無念さを
リスナーに伝える手段として、沈黙を選択した

そういうことで、

特別大きな意味はなかったんじゃないでしょうかねぇ。

ユーミンの音楽、タモリの密室芸、ロマンポルノやATGに陽を当てた
林さんのパックをキッカケにメジャーになったサブカルは多いし
林さんが時代の目利きの一人であったことは間違いないでしょう。

しかし、サブカルの元祖扱いだったり、
林さんの番組の終了が時代がシフトする象徴
とかいうような、意味づけをするとしたら、

それはちょっとやりすぎ、違うかなァと思います。

ミドリブタパックをリアルタイムで知っているリスナーの中には
ピンとこなかった、という人もいるのではないでしょうかね。


ところで、

番組内でも告知されていましたが、
今年の3月21日、赤坂BLITZにてパック絡みのイベントがあるそうです。

我が青春のパックインミュージック

2001年4月にも渋谷公会堂で、
林さんがMCの同じようなイベントがありました。

あれから13年(笑)
その間に、林さん、野沢さんが故人になってしまいました。

今回は一慶さんが司会?

パックメイトの方は、足を運んではいかがでしょうか。


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大瀧詠一さん [ラヂオ]

能天気に年末年始を過ごし、
新年にいろいろニュースを確認している中
J-POPの巨匠の訃報にびっくりしました。

大瀧詠一さん

65歳でしたか。。。

70年代は、伝説のバンド はっぴいえんどのボーカルとして
現在のJ-POP隆盛の礎を作り

ソロ「大瀧詠一」としての成功は、
80年代の「A LONG VACATION」からが本番だったでしょうかね。
「君は天然色」
「さらばシベリア鉄道」
「冬のリヴィエラ」
「夢で逢えたら」

♪にっこにこ顔 しかめっ面 きみはお天気や~さ~

はっぴいえんどが日本語になった「幸せな結末」などなど

それぞれがすぐに 「あ!大瀧詠一だ!」とわかる
覚えやすくてハッピーなサウンドでした。

まだまだ行けたのに、本当に残念です。

ご冥福をお祈りいたします。

************************

なお、個人的にはこの番組のテーマが懐かしいです。
(しばらくしたら消しますので m(__)m) 

→ こずえの深夜営業


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トレイシー [ラヂオ]

1カ月以上更新をさぼってしまいました。

いつのまにか、2013年も50%が終わってしまい、
7月になりました。

その間、
仕事が忙しかったり、体調崩したり、、
都議会選挙があったり、サッカーの大きな大会があったり、
スパムコメントと静かな知恵比べをしていたり、

いろいろありましたが、
とりあえず元気です。

7月、8月、この季節になると、
このブログで過去何度も取り上げている、
70年代の深夜放送のことを思い出します。

ミドリブタこと林美雄さんの命日は7月13日。
早いもので、11回目の夏が来ました。

その林さんが人気者になったTBSラジオの深夜放送
パックインミュージックが放送を開始したのが、
1967年の7月31日の真夜中。

終了したのは、その15年後の7月31日でした。

林さんの番組は語り中心でしたが、

彼が番組を担当する少し前、
1969年、70年ごろの深夜のラジオは
洋楽中心の音楽番組が人気でした。

ハガキに、シカゴやストーンズのヒット曲を書いて
リクエストしていた、
というオヤジさんも多いんじゃないですかね?

ゴー・ゴー・ゴー・ゴーズ・・・オン!!

この手の番組のDJでは、
ニッポン放送はオールナイトニッポン
糸居五郎さんが有名。

パック・イン・ミュージックは、
火曜日の福田一郎・中村律子コンビ、
水曜日が若山弦蔵、八木誠コンビ、
が洋楽番組でした。

福田さんの番組はどちらかといえば、
ブルースなど渋めの選曲
若山、八木コンビの方は、
よりポップな歌を取り上げていたように記憶しています。

yagi.jpg 


で、

今日知ったのですが、

八木誠さん、一昨年に亡くなられていたんですね。

当時は軽妙に語る若手DJという感じでしたが、享年65歳。
近年、音楽系の出版物で名前をお見かけしていましたが、
2011年6月、東日本大震災の3か月後に他界されていたとは。

当時の八木さんのお薦め曲。。。

Cuff Links の Tracy

を思い出します。

トレイシーは、1969年10月
ビルボードTOP10に入ったヒット曲。
アーチーズの「シュガー・シュガー」、トニー・オーランドの「ノックは3回」など
明るくて軽快なメロディーが流行りだったですね。

この歌もトニー・オーランドに歌わそうという
目論見があったやに聴いています。

では、遅ればせですが、謹んで拝聴します。

合掌


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ラジオパープル [ラヂオ]

最近、早朝4時台に目が覚めることが多くなりました。
齢ですかね。
そんなときは、ラジオをつけます。

今年、2013年4月から、
TBSラジオは、平日、4:00~5:00の時間帯に
「ラジオパープル」という番組をスタートしました。

柴田秀一、清水大輔、吉川美代子、長峰由紀、浦口直樹
いずれもお馴染みのTBSのベテランアナウンサー5人が
日替わりでリスナーからのはがきやメールを紹介したり、
自分のお気に入りの曲を流したりする、
何の変哲もない番組です。

この時間、3月までは、
女性パーソナリティが日替わりで担当する
「あなたへモーニングコール」という番組でした。

11年続いたそうですが、3月をもって終了。
個人的には、スポンサーが宗教団体だったので
やや引く部分がありました。

TBSラジオのこの時間帯で思い出すのは、
やはり、女性パーソナリティが日替わりで担当していた
「歌うヘッドライト」ですね。

コックピットのあなたへ・・・・

放送は1974年から。

さらにその昔、60年代末期は
深夜放送 「パックインミュージック」の第二部でした。 

最初の担当は、
宮内鎮雄、小川哲也、麻生雅子、遠藤泰子、二村義子、桝井論平

その後、久米宏、林美雄など、
日本のテレビやサブカルチャーに影響を与えた
名物アナもパーソナリティーをつとめましたが、

いずれも、東京放送のアナウンサーでした。

そう考えると、な~んだ。
あの時代と一緒じゃん!! 

当時も、メールはなかったけれど、番組の空気はこんな感じでした。

「ラジオパープル」は

TBSラジオの先祖返り、と感じます。

関連記事 : パック第二部


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ナッチャンの命日に [ラヂオ]

おばんでやんす。

早いですねぇ

ナッチャンこと野沢那智さんが亡くなって、
今日でちょうど2年。

最近は、40年前のラジオの深夜放送について
語られることが少なくなったように感じます。

でも、今夜くらいは、
しんみりと金曜パックのことを思い出しましょうかね。

・・・・・・・・。

La Reine de Saba

では、おげんきよう 


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やっこパック [ラヂオ]

先日、BS-TBSの関口宏の昭和青春グラフィティという番組で、
昭和のラジオを特集していまして、

那智チャコパックなどTBSラジオの往年の番組や、
TOKYO-FMの「ジェットストリーム」の音源が
関係者の証言とともに紹介されていました。

ゲストが毒蝮三太夫さんと遠藤泰子さん。
長年TBSラジオで活躍されているお二人です。
しかし、みんな歳とっちゃいましたね。

とくに目新しい内容ではありませんでしたが、
金曜パックのディレクターだった熊沢さんの証言や、
ジェットストリーム草創期の城達也さんのエピソードなど、
興味深い裏話も出ていました。

遠藤さんは若かりしころは、TBSラジオの深夜放送
パックインミュージックのパーソナリティーをされていました。
”やっこパック”と呼ばれていました。

1969~70年頃は、ナチチャコパックの後ろ、
午前3時からの第二部担当でしたね。
途中で火曜日の深夜、水曜パック第二部に異動しました。

リスナーから来たお便りを読んで、洋楽を流して、
特別なコーナーはなかったと記憶しています。
ちなみに、当時の水曜パック一部は、八木誠、若山弦蔵コンビ。

40年も昔の話ばかりをテーマにするわけにいかないとは思いますが、
ときどき、こういう番組をやってほしいですね。

では、

さわりだけですが・・・

水曜パック 第二部(1971.3.17)


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