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榎本喜八を知ってるかい? [スポーツ]

榎本喜八さんの訃報が入ってきました。

元プロ野球の榎本喜八さん死去

千葉ロッテマリーンズが大毎オリオンズと呼ばれていたころの大打者です。
打順は4番山内一弘で、榎本さんは主に3番を打っていましたね。

左バッターボックスで、真剣を構えるかのように
バットを額の前あたりに斜めにピシッと置き
フルスイングでライトへライナーを放つ。

そんなイメージが残っています。

構えと言えば
てんびん打法と呼ばれたヘンテコリンな構えの大洋、近藤和彦。
目の前でバットをウニウニ動かす近鉄時代の土井正博
左手でぶらぶらバットを振ってからサッと構える南海の広瀬叔功

一本足打法の王貞治もそうですが。
当時の野球選手の多くは、バットの構え方が個性的でした。

小さい頃だったので忘れてしまいましたが、
榎本さんの構えも、ほかの男の子がするように真似したのではないかと思います。

榎本さんが活躍したころは、
巨人を中心とするセリーグがわが世の春を謳歌していた時代でした。

大毎オリオンズが所属するパリーグは、観客数がセリーグの半分以下で、
ニュースがメディアにほとんど取り上げられない不人気状態でした。

しかし、オールスターゲームになると、
パリーグは意地もあってセリーグに大きく勝ち越していたので
「実力のパ」と呼んでいました。
また、西鉄の稲尾、南海の杉浦など、
パリーグに大エースがいた時代でもありました。

その時代に、
榎本喜八は、1シーズンに170本も180本も安打を製造するバッターでした。
張本勲のように、レフトに流して打率を稼ぐようなことはしない。
あくまでもジャストミートで引っ張る。

結果ではなく内容にこだわる求道者ぶりは、
現在のイチローと被る部分があって
お元気だったら、一度対談でもしたら面白かったのにと思います。

もっと知られていてもいい選手なんですがねぇ。

ご冥福をお祈りいたします。


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今出川通 [街歩き]

週末、京都を歩きました。

目的は神戸でのサッカー観戦でしたが、
移動に夜行バスを使ったため、到着するのが朝。

途中下車し、試合までの時間を、
京都の町で過ごすことにしました。

とはいえ、ノープラン。

とりあえず、いままで行ったことがない銀閣寺をめざそう!
そう思ったものの開園までまだ時間がある

少し街をぶらぶら歩いてからと思い、
京都駅から地下鉄で烏丸通を北上。

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5つ目の今出川駅で下車。

ここから、通りをひたすら東へ歩けば銀閣寺に突き当たるはず。
大まかな地図を頭に入れましたが、
急に決めたので、予備知識ゼロのまま地上に出ました。

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まず、目に飛び込んで来たのが、赤レンガ造りの建物。
ほお、同志社大学ってここにあったのかぁ、
と、完全なお上りさん状態ですが、

通りに沿って、一目で歴史的建造物とわかる建物がズラリと並んでいます。

後で調べたら、重要文化財だらけなんですね。
上は有終館、下の写真右は同志社女子大学の建物、栄光館だそうです。
ほかにも、趣のある建物がいっぱい。
赤レンガマニアにはたまらない場所でしょうね。

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歩きだしたのは、今出川通。
以前お参りしたことのある北野天満宮から、
東の銀閣寺まで東西に真っすぐ伸びる通りです。

東に向かい、左は同志社、右は木々が茂る京都御所。
ちょうど京都御所の北の外れに当たります。

その入口、今出川御門です。
京都御所は広いなぁ。

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リアクション 昔稲川 今出川

思いついた しょ~ぉもない五七五を口ずさみながら直進。

大きな通りを渡ると、長い橋が見えてきました。

加茂大橋 

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なるほど。
この橋の北側で賀茂川と高野川が合流し、
鴨川となり京都市内を北から南へと縦断するんですな。

橋を渡り出して、ふと河原を見下ろすと、
おやおや、飛び石があるじゃん。

おもしろそう。

折角だからこちらを渡ることにしましょう。

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橋の上からは穏やかに見える鴨川も
近くによると水流が早く、意外に怖いですね。

流されでもしたら悲惨なことになるので、
足を踏み外さないよう、慎重に横断しました。

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もう少し、天気がよかったらなぁ。

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渡りきった東の土手の上には、
なかなか風情のある柳の並木があります。

したがって、京阪電車の駅の名まえも出町柳。

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さらに東へ歩きましょう

このあたりは田中という場所だそうで、
田んぼだったんでしょうかね?

デザインが妙に気になる公団住宅。

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百萬遍交差点にきました。

立て看板が並んでいるのは京都大学。

最近、大学のそばを通ることが少ないですが、
こんなに立て看板がありますかねぇ?

なんかこの景色は、45~50年前にタイムスリップしたような感覚があります。
いろいろなことで、伝統を守っているいるのが京都なのかもしれません。

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地図を見たら、百萬遍の交差点で、今出川通とクロスするのは東大路通なんですね。

京大が 面する道は 東大路

どうでもいいんですけど。なんとなく詠んでみました。

さて、交差点を渡り、百萬遍知恩寺を覗いてみました。
法然上人ゆかりのお寺です。

京都には、金閣寺、南禅寺、清水寺など
ビッグネームの神社仏閣がゴロゴロしていますが、

さらに、私のような関東の人間にはなじみのない神社仏閣でも
大きなお寺がたくさんあるんですよね。

京都は、お寺を巡るだけでも面白そうなのですが、
入場が有料のところが多いので、お金がかかるのがネックです。

知恩寺のようにフリーで入れる大きなお寺はありがたいです。

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今から645年前に起きた応仁の乱。

「乱」という言葉は、私の場合クーデターのイメージですが、
応仁の乱は京都を舞台にした内戦ですよね。

今出川通の辺りも、きな臭い場所だったのでしょう。

志賀越道との別れ道にある石仏。
子安観音とありましたが、いつ頃作られたものでしょうか。

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ふ~ぅ

京都ッて広いな。

大文字が見えてきました。
銀閣寺まではあと少し。

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永代橋の桜 [自然]

東京に桜の季節がやってきましたよ。

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写真の桜の花、場所は隅田川。永代橋の両岸の大寒桜です。

永代橋は、赤穂浪士が討ち入りのとき渡った橋として知られていますが,

彼らが渡った橋は、
現在の場所よりもっと北側に架けられていました。

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永代橋の桜は、早咲きで有名。

例年は3月10日すぎには見ごろになりますが、
今年は寒かったせいでしょう、

開花が遅れ、3月15日に来たときは
つぼみのままでした。

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で、今日3月26日。

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満開ではありませんが、咲いていました。

花曇りでちょっと残念でしたが、
やはり桜の花は、人の心に高揚感を与えてくれます。

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さて、永代橋にはもう一本早咲きの桜の木があります。

3年前の記事 → 永代橋の寒緋桜

江東区側、交番の横にある桜。
こちらは満開です。

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きれいでしょ?

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東京は、次々新しい建物が造られる、
常に変化する町です。

今年も新しい景色の中、東京の桜は咲くのでしょう。

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恋はフィーリング [音楽]

「恋はフィーリング」は、英国のソフトロックグループ、
ピケティウィッチ(Pickettywitch)の1970年のヒット曲です。

The Same Ole Feeling / Pickettywitch


ピケティウィッチが活躍したのは、1969年から1970年代の初頭。

当時はインターネットなどというものはなかったので、
海外の音楽情報は、ほとんどがラジオからでしたが、
紹介される洋楽の多くは、ビルボードやキャッシュボックスなど、
アメリカのヒットチャートに顔を出すものでした。

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ピケティウィッチのような、英国オンリーの人気のアーティストは、日本では大きく取り上げられなかったので、私もずっとノーマークでした。

「恋はフィーリング(The Same Old Feeling)」については、赤い鳥がアルバム(Fly With The Red Birds)の中で歌ったカヴァーバージョンの方を先に知っていまして、
オリジナルは後追いで知りました。

調べてみると、オリジナルバージョンも、日本でヒットしたそうで、

当時の文化放送の人気カウントダウン番組
 オールジャパン ポップ20 の記録には、ちゃんと痕跡が残っていました。

ピケティウィッチのヴォーカルで紅一点のポリー・ブラウンは、
声がダイアナロス似で(顔はややLILICO似)、
英国ではアイドル的人気があったようです。

1969年、70年ごろ、日本の男子が飛び付いた英国の音楽は、末期のビートルズであり、ディープパープル、レッドツェッペリン、ピンクフロイド、キングクリムゾンなどの、プログレやハードロックで、

ピケティウィッチや、1910フルーツガムカンパニー、エジソンライトハウスなど
のバブルガムサウンドと呼ばれたポップな音楽は、ティーンズ向け、ガキっぽいイメージでコピーの対象ではありませんでした。

そんな中、この系譜につながっていると感じられるグループが
初期の「赤い鳥」でした。

彼らは、フォークグループのイメージがありますが、
デビュー当時は、この「恋はフィーリング」も歌う、ソフトロックグループでした。

プロデューサーは村井邦彦さん。
きっとこういう音楽を日本でもやりたかったんでしょうね。
たとえば、

Till The Last Trace Of Loving Has Gone / Valverde Brothers
 

The Last Trace Of Loving Has Gone / The Red Birds


彼らの初期のアルバムはもっと評価されてもいいのではないかと感じます。


さて、アメリカ進出ができなかった、ピケティウィッチですが、

ボーカルのポリーブラウン(Polly Brown)は1972年にグループを脱退、
黒人シンガーとSweet Dreamsというユニットを組み、
ABBAのナンバーをカヴァーしたり、試行錯誤を続けますがイマイチ。

ところが、74年突然のように
アメリカのディスコブームの中で
ビルボードのTOP20に入るヒットを出します。

Up In A Puff Of Smoke / Polly Brown

したがって、全米ヒットチャートに詳しい方は、
ピケティウィッチの名前は知らなくても、
ポリーブラウンの名前は記憶していると思います。

昔の歌のことを調べていると、
意外なところで意外なアーティスト同士のつながりが見つかったり
面白いです。


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0.1%を考える [雑感]

ときどき、昔、自分が通った小学校のことを思い出します。
800人くらい生徒がいたと記憶しています。

いい子、悪い子いろいろな子供がいましたが、
私のクラスには、極端に何か目立つという子はいませんでした。

ところが、学校全体となると、
1人くらいは、全学年の誰もが知っている
特徴のある子がいましたよね。

極端に思想が偏っているとか、乱暴だとか、
あるいは、天才だったり、すごい美形で後に芸能人になったとか。

1000人に一人くらいの割合でいる子供です。
比率にして0.1%。

これが、私たちが身近に感じる0.1%でしょうかね。

このイメージを頭に置いて、世の中の出来事を見ると、
”それって本当かなぁ?” と、疑問が湧いてきたりします。

たとえば、中国人の0.1%くらいは、日本に対して
ものすごい反感を持っているかもしれない。

中国の人口は13億人以上だから、
13億人×0.1% =130万人  は大都市の人口に匹敵します。

さらに、この中の0.1%の1300人が過激な行動を取ったとしたら、
もう中国は反日運動で大騒ぎ、というニュースになります。

日本の学校を1000個集めても1人いるかいないか
という人間の行動によって、そういう印象を与えられます。


人口10万人の地方都市の
市民の0.1%が行政のやり方が気に食わないから抗議電話をかける。

10万人×0.1%=100人

100件の電話がかかってくれば、
抗議電話が殺到!ということになります。


メディア、特にテレビは、
視聴率の0.1%は無視しますが。
この手の0.1%は切り取って
いかにも普遍的な事象であるかのように報じます。

NHKでも、

「女性の間で静かなブームになっている。」

というフレーズがよく聴こえます。

でも、これって、0.1%じゃないの?
99.9%がやっていないこともブームと呼ぶのかな?

とか疑って観てしまいます。

もちろん、99.9%の意見が必ずしも正義とは限らないし、
0.1%の意見が尊重されなければ、
どこかの半島の国のようになってしまうし、

また、0,1%の人たちが世の中を変えてきた
という歴史があることも否定はしませんが、

なんかねえ。テレビを観ていると、
0.1%から発信される情報で、視聴者を振り回しすぎなんじゃないか、
という気がするんです。

メディア・リテラシー教育がどうの、
とよく言われますが、

要は、小学校のときの変わった子をあなたはどう見ていたか?
それを思い出せばいいのではないか、

最近、そんなことを感じます。


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東京事変ライヴツアー 2012 Domestique Bon Voyage [音楽]

2月29日、日本武道館の東京事変最後のライブへ行ってきました。

いやあ、凄いライブでした。 

『東京事変 live tour 2012 Domestique Bon Voyage』

と題された今回のツアー。

2月14日の横浜アリーナを皮切りに、3か所、6回だけのライブ。
この日の日本武道館はオーラス、
東京事変の演奏もこれで見収めということで、

九段下の駅の改札を出たら、
「チケット譲ってください」のカードをもった女子がずらり。

みんな悲壮な顔をしていて、
前を通りすぎる私と娘は申し訳ないと同時に
自分たちがいかにラッキーだったか思い知らされ、1年分のツキを使ってしまったような
そんな気分になりました。

会場は、開始前から異様な空気。
演奏は開演時間を15分ほど過ぎて始まりました。

舞台の一段高くなったところから、
一階席へまっすぐ伸びる青いレーザーの花道
そこに現れた林檎嬢は、白地に原色をちりばめたド派手な衣装

歌は「生きる」

いきなり、おおおおお!!、という感じで言葉がでない。

2曲目「新しい文明開化」で、もう会場のボルテージはMAX
紙吹雪が舞うわ、悲鳴は聞こえるわ、血圧あがるわで
これから2時間も自分の身体が持つか心配になりましたよ。

水兵ファッションのオーケストラの演奏

PVの破廉恥感がたまらなかった「OSCA」のダンサーのパフォーマンス

林檎嬢がピンクのショーガール姿になって歌った「絶体絶命」
これ最高!

もう、かっこいいのなんのって!!

メンバーの男子4人のパフォーマンス
真っ赤なスーツで歌って踊る「アイスクリームの歌」

まあ、豪華な余興だこと!

赤いドレスで歌った「女の子は誰でも」はいまや林檎嬢の代表曲になりましたね。

休みなしの、立ちっぱなし~ので、盛り上がりっぱなし、
熱気で、途中気分が悪くなりかけましたが、
このまま倒れたとしても、冥土の土産にちょうどいいや、
とか考えていましたよ。
ちょうど「天国へようこそ」のあたりだったかもしれません。

なお、今回のツアー、カラーはブルー。
東京事変のライブで旗は必須アイテムですが、
数千の青いフラッグが右へ左へ揺れる景色は壮観でした。

林檎嬢がそのフラッグと同じ色のミニスカート姿で演奏する
「電波通信」や「閃光少女」もよかった。

ということで、年甲斐もなく興奮してしまいました。

最後だから、やりたいことみんなやっちまえ!
みたいな?
毎度あり~の大感謝祭状態

「生きる」からアンコールの「透明人間」まで全部で28曲(ですか?)
とにかく豪華なライブでしたね。


「教育」に始まって、「アダルト」「バラエティ」「スポーツ」「大発見」
と続いた東京事変の”放送”は最後に砂嵐になっておしまい。 

そういえば、7年半という活動期間は、
ビートルズがデビューしてから解散状態になるまでの期間とピタリと一致、
これは偶然なのかなあ?
RINGOだけが知っているということかもしれませんね。


素晴らしかったです。


Bon Voyage!!

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