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左沢 楯山公園 [旅行]

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山形駅から、
フルーツライン左沢線、7時4分発
左沢行き列車に乗りました。

単線なので、2両編成かなと思い、
プラットホームのどの辺りで待てばいいのかわからずキョロキョロ
地元のJKに伺ったら、ホーム全部止まるから大丈夫」だと
この列車6両編成、意外に長い

しかし、6両で走るのは寒河江までで、
4両は寒河江で切り離され、
山形行きの通勤・通学列車に変身し、引き返してしまうシステム。
左沢まで行くには、前の2両に乗らないといけないということが判明。 

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で、一番前の車両に乗りこんで出発

列車のフロントから車窓を眺められるので、
ニワカ鉄ちゃんと化し、車窓をカシャリカシャリと撮影。

この路線のハイライトは、最上川を渡る鉄橋です。 

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明治時代に建設された、全錬鉄製ワーラントレス橋という
詳しくは知りませんが、貴重な文化遺産だそうで、
確かに渡っている間、異空間にいる感じがしないでもない。 

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列車が寒河江に入り、線路が左にカーブすると
雪を被った山が見えてきます。

肉まんの上の方だけ出ているような、なだらかなスロープの月さん
ごつごつした感じの葉山、車窓がきれい!

二つの山は、寒河江駅からよく見えます。

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あと1週間早ければ、満開の桜を満喫できたのかもしれませんが
ちょうど散っている時期でしたね。

しかし、場所によっては、まだ残っていました。

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8時前に、終点左沢駅に到着。 

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ここから、1.5kmほど歩いた場所が、今回の目的地です。

土曜日の早朝ということもあるでしょうが、
それにしても駅前がさびしいです。

お店もない、さびしい線路際の道を北東へ向かってテクテク歩くと、  

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細い田舎道から、急な山道に入ります。

敢えて一気に山頂へ行く近道を選択しましたが、

夜行バスで睡眠が不十分だったせいか、
腿の筋肉にギシギシ負担がかかる。

本日、最初のメニューなのに、
ここで足を傷めては元も子もない。 

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休みながら、無理をせず、上ること約10分 

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見えてきたぜ 

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冒頭の写真の景色は、
ここ大江町の楯山公園からの眺めです。

いやぁ~ 絶景!絶景!

下の写真をクリックし、大きな写真で見てくださいな。↓ 

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ここ、大江町 楯山公園の真下で
北上していた、最上川の流れがヘアピンカーブを描き
南へと方向を変える。

遠くに蔵王が望めるのですが、

霞がかかりぼんやり見えている状態でした。 

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ところで、「左沢」という駅名。

東京の人間で読める人はは1%以下ではないかと思います。
有名な難読駅でして、

「あてらざわ」と読みます。

なぜ「左」と書いて「あてら」なのか?

大江町史編纂委員会の解説によれば

かつて寒河江の領主だった大江氏が、近郊の長岡山に登って西の方を見たとき
平の山の左に見える山谷を「あちらの沢」とよんだことが地名の由来・・・


と伝えられているとのことですが、諸説あるようです。

ちなみに「右沢」は何と読むか?

あちら じゃなないからこちら、

こてらざわ? 惜しい!

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かてらざわ だそうです。

ということで、

次の目的地へと向かいます。 

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山形 霞城公園 [街歩き]

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バスが山形駅に到着したのが、午前5時半
モンテディオ山形 対 FC東京の試合のキックオフは午後6時半
それまで丸半日ある。

この時間を、有効に使おうと思いまして、
山形を歩きまわる計画を立てました。

もしかしたら、
これからサッカー観戦で、山形遠征へ行かれる方のご参考になるかもしれないので

その軌跡を記事にしておくことにします。

今回はその1

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定刻通りに、山形駅西口の霞城セントラル前にバスが到着。

計画では、まず山形駅から列車に揺られ、
左沢まで行くことにしました。

しかし、左沢線の山形発始発は7時4分、
まだ90分ある。

お腹がすいた。

山形駅西口には、ありがたいことに
24時間営業のスーパー マックスバリューがありまして、
こちらで朝食用おむすびを購入。

地元スーパーの食料品売り場へ行くのも地方遠征の楽しみの一つ
東京で売っていない、地元にしかない食材や製品を見つけては面白がる

これも観光です。 

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始発列車の発車時刻まで
駅の近く、霞城公園をお散歩することにしました。

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山形市民の憩いの場、霞城公園
朝の5時台ですが、すでに元気なお年寄りの溜まり場と化していました。 

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現在、霞城公園では城の復元が進められているそうで
本丸のお濠の周りとか、なかなかいい雰囲気です。 

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朝日を浴びる 本丸一文字門 

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中では、現在発掘調査中だそうです。 

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室町時代初期、斯波兼頼が築城したと伝えられる山形城

兼頼の子孫、最上氏が代々お殿様としてここに居城しました。

中でも、のちの山形発展の礎を築いた人物が、
この馬に乗っている最上義光くん

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最上義光は関ヶ原の合戦時に武功をあげ、
そのお手柄として57万石
江戸時代の大大名に出世しました。

霞城の名前は、合戦のときに城郭が霧で隠れて見えなかったため
こう呼ばれるようになったとか。 

こちらは二の丸東大手門 

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霞城公園は、桜の名所だそうです。

あと一週間はやければ!
ソメイヨシノ満開だったようです。

花びらは概ね散ってしまいましたが、
その代わりにしだれ桜が見頃になっていました。

きれい!!

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ベンチに腰掛け、おむすびをほおばっていると、

朝の公園の常連さん?の、おかあさんから
どこから来たの?東京?怪我しないよう気をつけてね。

ありがとう

そんな、

ほのぼの山形の朝でした。 

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さよなら キンキン [ラヂオ]

キンキンが亡くなった・・・

肺がんだったそうで、享年80歳
大往生の部類かもしれませんが、
つい最近まで、テレビで元気なお姿を拝見していただけに
突然の訃報にビックリです。

キンキンこと愛川欽也さんは、
今でこそテレビの司会者のイメージがありますが、

私が彼の声に出会ったころは、
一度聴いたら忘れない声だけど、
特に人気が突出しているわけでもない
映画やアニメの吹き替え俳優の一人でした。

おはよう子どもショーのロバ君
確か、欽也さん自身が着ぐるみに入っていたんですよね。

♪らりほーらりほーらりるれろー・・・マイトの出番だバラッバラッバラ
アニメ「スーパースリー」のばらばらになるマイト・・・
と言っても、これわかる人いるのかな?(笑) 

もしかしてぇ~~ ニャンコ先生!! 

そんな、今でいう声優でくすぶっていた欽也さんをブレークさせたのは、
TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」でした。

欽也さんが火曜日の真夜中、
水曜パック第一部のパーソナリティーとして、
桝井論平さんのあとを受けて登場したのが1970年、ちょうど45年前です。

それからは、ナチチャコとともに
TBSラジオ深夜の看板パーソナリティーの一人でした。

番組のオープニングは「ルート66」
そして青春!これも青春!
スタジオH テトラ パパイヤ ジンジロゲ

当時の欽也さんはアラフォー、
ジャックレモンの吹き替えをしていたこともあり、
映画「幸せはパリで」の、カトリーヌドヌーブ扮する美女にあこがれる
うだつのあがらない中年男にご自分を投影させ、
「カトリーヌコーナー」なんて作っちゃってました。

⇒ The April Fool

当選はがきの抽選は、チラチラバルバルゥ~ 

カサブランカのハンフリー・ボガードにあこがれ、
大金つぎ込んで、映画「さよならモロッコ」を作ってしまい、、、

「死ね死ねブルース」。。。。。 はシャレになりませんね。

今頃、雲の上で、ナッチャンや林美雄さんと

「班長待ってたよ」

「おまっとさんでした」

なんて話しているんじゃないかな?

ああ、またさびしくなります。

さよなら、キンキン!

ありがとう

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合掌 

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