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3列は混乱しませんか? [雑感]

先日、東京メトロ日比谷線上野駅で電車待ちをしていたら、

気になる看板がありました。

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普段、上野駅を使わないのでよくわかりませんが、
これって守られているんでしょうかねェ?

日比谷線を走る03系と呼ばれる車輌は、扉が3か所しかなく、
以前、北千住駅を利用していたとき、
ラッシュで中に押し込められると、降りられなくなる恐怖の電車でした。

その時のことを思い出せば、降車する人優先で、
きっちりとルールを守ろうという思想はわかるのですが、

これ、たぶん守れない。

なぜなら、最近は3ドアだけではなく、5ドアの車輌もあるからです。

現在の日比谷線のホームは、
どこに立ったらいいのかよくわかりません。

2009013102.jpg 2009013103.jpg

それに、上の並び方では、
一番右の列に並んでいる人はストレスが溜まりますよね。

左の列の後ろの人がどんどん中へ入ってしまうし、
ローカルルールを知らない左から乗りこむ輩もいるだろうし、

かえって、混乱を招くのではないでしょうか。

 

そもそも、3列に並ぶのは合理的じゃないですよね。

始発電車に乗るとき、結構混乱します。

東京のJR、私鉄の場合、
4ドアで、座席が対面式の7人がけになっている車輌が多いので、
このタイプの車輌の始発電車が来るケースを考えてみます。

車内は下図の通り、ドアから左右に7×4=28
28人分の座席が用意されています。

左右のドアからも人がドドドッと乗り込んでくるので、
半分の14が当選人数になります。

この場合、並んでいる15人、①~⑮のうち、
前から4人は当選確実で、5人目は当落線上です。

①~⑤は左、⑪~⑮は右を共通して意識しているので席を確保しやすい。
ところが、真ん中の列⑥~⑩は、結構混乱します。
特に前のがモタモタしていると、
にいても座れないことがあります。

に立っているのに、自分の指定席でもあるのか
右へ行くバカたれがいたりするともう大混乱です。

seiretu2.jpg

途中駅の場合も同じです。
降車する人の出口をあけるため、
①~は左、⑪~⑮は右に流れて待機しますが、
⑥~⑩は居場所がなくなって、後ろへ戻されてしまったりします。

こういう混乱があるので、最初の上野駅の並び方になったのでしょうね。

駅の混雑状況、ホームの奥行、スペースなどそれぞれ駅の事情もあるので、
一概には言えませんが、

私は2列に並ぶべきだと思います。
その方がストレスが少ないです。

実際、最近は2列で並ぶ駅があるし、
乗客も学習したのか、
2列で並ぶことが増えたように感じます。


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Jさん一家の2万円 [雑感]

最近、めっきり老けたと感じるJさんの一家の資産は600万円。
しかし借金が900万円ある。

不足分の300万円は今のJさんにとって、1年や2年では返せない大金である。

普通なら破産しておかしくない状態だが、
Jさんにお金を出すのは、ほとんどがJさんの家族たち運命共同体だから、
Jさんがどんなに貧乏になってもお金を出し続けなければならない。

節約しろと言う家族もいるが、いろいろしがらみがあるんだよなァ。
しかし、このことをみんなに伝える奴はピンボケだし、
家族もおバカタレントとかで喜んでいて能天気だから、
あまり気にしていない。
いざとなれば、もっと金をくれ!と言えばいいのだ。

ただ、これをうかつにやるとみんなの態度が豹変するのでうまくやらないといけない。
でも、いずれみんなにつけが回るのだ。

去年、お得意先のAさんが株や債券で大損した。
そのあおりを食って一家もムードが暗い。

困っている孫も出てきて、暮れに元気にしてやろうと思い2万円配ることにした。
そのことを家族に言ったら、
「もっと違うことに使いなさいよ。」
「2万円くらいじゃ元気出ないよ」

散々だ。

「どこにそんなお金あるのよ。」と言われている。

そこで、女房にお金を出してもらおうと思った。
女房に渡している金は特別会計といって
毎年全部使い切ったことになっている。

その中から、Aさんとの商売で損が出た時の準備とか
その他200万円積立ていると聞いているが、
実際は何に使ったかわからないお金もある。
きっと、へそくりがあるに違いない。

しかし、女房はいろんな理由をつけて見直ししてくれない。
2万円くらい出してくれてもいいだろうと思うのだが・・・。

でも、出すと決めちゃったからな。
何とかなるだろ。

あーあ、暮れに「モチ代だ」と言って出せば、
孫にもいい恰好できたのになァ・・・。


お金の単位を万から兆に変えると、
気分が悪くなるかもしれません。
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品川停車場 [タイムスリップ]

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品川駅の西側、高輪口です。

近年は駅の東側の方の開発が著しく、高層ビルが林立する
オフィス街に変貌しています。

でも、その辺りは明治時代には海だったんですよね。

そんな昔の「品川停車場」の写真がこれです。

sinagawa2.jpg

写真は、明治末期の東京を写した写真集(東京名勝図絵)からの拝借。

品川停車場については、次のコメントがついています。

 高輪南町に在り、東海道線の第二驛にして山手鐡道の分岐点に当り、
 上野、新宿、赤羽方面へ向かう者の乗換所なり。
 現在の建物は明治二十九年の建築に係る。

折角なので、定点比較してみましょう。

コメントには駅の「現在の建物」とありますが、
どう見ても波打ち際ですよね。
当時は今より路線の数が少なかったはずだから、
駅の港南口に近い方でしょうね。

遠くに見える小高い丘は?愛宕山かな?
今は見えないので

そうなると、横須賀線のホームのあるあたりか。

というわけで、上の写真から100年後の「品川停車場」からの景色。

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≪過去のタイムスリップ定点比較シリーズ≫


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CMのときはなぜかアナログ表示されない [雑感]

NHKのテレビ画面右上に「アナログ」の文字が
表示されるようになったのが去年の7月。

この嫌がらせみたいな文字に、
やっとあきらめ気分になっていたのに、
今月から民放も揃って表示するようになりました。

こちらはNHKより「アナログ」の文字が大きい。
青や緑など、背景が濃い色のときは特に目立ちます。

しかも、CMの時にはなぜか表示されない。

なぜか・・・て、理由は大方想像できますけどね。

B-CASカードもそうだけど、
放送する側の勝手な都合で事が進む理不尽に腹がたちます。

出来ることならテレビを捨てて、
スカイツリーの方角に向けアカンベーしてやりたいけど、
テレビっ子だからそう簡単にいかない。

いずれデジタルにするけど、
3台あるテレビ全部をデジタルに買い換えるなんてまっぴら御免です。

それにしても、
こんな将軍さまの論理がまかり通るのも、
私を含め、バカにされるような視聴者しかいないってことなんでしょうね。


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ババアとハケン [雑感]

今朝(1月7日)の読売新聞のテレビ欄にこんな投書が載っていました。

60歳の女性からのもので、要約すると

クリスマスの日に放送される小田和正の「クリスマスの約束」を
毎年心待ちにしているが、今年は途中でテレビを消した。
愛と平和を歌う小田さんの口から出たババア発言が嫌だった。
「ババア」で笑えるのは毒蝮三太夫と綾小路きみまろだけだ。

「クリスマスの約束」を私も観ていました。
番組恒例、小田さんがツアーで行った先での「ご当地紀行」のビデオ。
小田さんがオバチャンの一団の遭遇し、
その厚かましさに「ババア」と発言したことを問題にしているのでしょう。

毒蝮ときみまろだけババア発言を許すというくだりとか、
ネタかと思いましたが、
「同様の投書8通」と書いてあるところを見ると、
不愉快に感じる人がたくさんいたのでしょう。

googleで検索したら、すでに物議を醸していたようで、
ババア発言についての記事がたくさんでてきました。

私は、毎回大笑いしながら見ています。
「ご当地紀行」の小田さんは、毎回毒吐きまくりで、
この投書の人物には「去年はどうしたんですか?」
と突っ込みを入れたくなりました。

要するに正直な感想を述べただけで、
少年がそのまま還暦のジジイになったような
むしろ純粋さがあっていいと思いますけどね。

甘い声で歌う姿と、口の悪いジジイとのギャップの大きさに
ショックを受ける気持ちもわからないではありませんが、

こんな言葉狩りのようなことはやめて、
鷹揚に構えてほしいものです。

だからといって、「ババア」発言封印なんてしないでほしいですね。

『「でももうババアはいらない」 あっババアじゃなくて花だった。でも、これは康さんの作品ね。

くらい毒を吐いてほしいけど、無理でしょうねぇ。


私はむしろ、

最近テレビから聞こえる「ハケン」という言葉が耳障りで仕方ありません。
言葉の使い方が不愉快なんです。

派遣切り、派遣村、犯人は派遣社員の××。。。

派遣村、
なぜ「派遣村」という名前なんですか?

ボランティアの人たちには頭が下がりますが、
周囲に政治利用しようとする人たちが群がっていて、
素直に受け入れられません。

”犯人は派遣社員の××”
何か事件が起きると、「ハケン」と一括りで報道するメディアにも
不純な意図を感じてしまいます。

粋より無粋、純より不純

小田さんも大変だなあ。


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ヤングタウンTOKIO [ラヂオ]

暮れに「ヤングタウン東京」についてのコメントをいただき、
懐かしくなり、ヤホーで調べてみました。

ウィキペディアに記述があったので、参考にさせていただきます。(ヤングタウンTOKYO ) 

ヤングタウンTOKYOは、1969年に放送を開始した
TBSラジオの若者向け公開番組です。
69年、70年ころといえば、若者向けの公開番組や電話リクエストなど、
参加型の番組が人気で、どの局も似たような番組を制作していました。

その代表的番組が、関東では文化放送の「ハローパーティー」。
当時、司会の土居まさるはアイドル的人気がありました。
関西は毎日放送(MBS)のヤングタウン。
若手落語家の桂三枝が人気者になっていました。
後の「ヤングOH!OH!」はこの番組のテレビ版ですよね。

TBSラジオは、土曜の夜、ナイター中継の後の番組として、
ヤングタウンの関東版、「ヤングタウン東京」をスタートします。

司会には、桂三枝を起用。
今は当たり前になってしまいましたが、
当時は上方の落語家が東京で司会をするのが珍しく感じられました。

70年ごろ、関東で関西の空気が流れる時間帯はたとえば日曜日の午後。
「がっちり買いましょう」のいとしこいし、ダイビングクイズの若井はんじけんじ、
など限られていました。

今は、関東でもテレビをつけると、関西のお笑い芸人がウンザリするほど登場しますが、

桂三枝は彼らにとってパイオニアでしょうね。

 20090103 yt.jpg

桂三枝の東京進出の足がかりになった番組が、この「ヤングタウンTOKYO」でした。

私の手元に残っている資料は、1970年のもの。

ナイターシーズンが終わったその年の冬は、放送開始が夜の8時、
司会は8時から北山修、10時から桂三枝、
番組名も”TOKYO”ではなく、「ヤングタウンTOKIO」でした。

番組の冒頭で、小島一慶アナウンサーの掛け声で、観客に番組名を叫ばせるベタなパターン。

20090103 ytikkeis.jpg

「サアー 土曜の夜は・・・」

「ヤングタウントーキョー!!」

関西の方には、東京の斉藤努アナだと言えばわかりやすいかもしれません。(ほんまかいな?)

他にはアシスタントが女優の島かおり。
しばらくして、マリ・クリスチーヌと交替しました。

他にも、うつみみどり、なべおさみ等が出演していたようですが、
記憶がありません。


いろいろなコーナーがありました。

ふるさと電話、11,000,000人の音楽、テレフォンデート・・・

どんな内容だったか、忘れてしまいましたが、
男の声で、「♪テレフォンデート」とかいう歌が流れていました。

オノマンのヤングメイツ情報

確かに、小野満春さんという記者が出演されていました。

歌は杉田二郎、赤い鳥。

私は赤い鳥のファンでした。
当時は、「河」「誰のために」「竹田の子守歌」をよく演奏していた記憶があります。

20090103 ytakaitori.jpg

1972年秋、ラジオ関東が、「全米TOP40」を放送開始。

アメリカの音楽チャート、ビルボードの最新情報が得られる
洋楽ファン待望の番組に、私も飛びつきました。

「ヤングタウンTOKIO」は、この番組と放送時間が被っていたので、
73年以降はあまり聴かなくなりました。

鈴木ヒロミツ、かまやつひろしが司会の「女の子だけで満員御礼」
中村メイコの「私のロストラブ」
毒蝮の大放送 等

模様替えを繰り返しながら1986年まで続きました。

太田裕美やキャンディーズの歌を、この番組で聴いた人もたくさんいるでしょうね。


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年の始め ~紅白歌合戦の感想など~ [出来事]

あけましておめでとうございます。

年末年始いかがお過ごしでしょうか?

今年は事情により、1月2日の初詣となりました。

写真は根津の権現様ですが、元旦と違い2日は行列もなく
ゆっくりとお参りできました。 

2009010204.jpg

ところで、去年の話になりますが、
大みそかの紅白歌合戦はご覧になりましたか?

私は途中眠ってしまい、目が覚めたときには
北島三郎が船に乗っているところでした。

特にハプニングはなかった・・・
というか民放が絡むハプニングらしきものも
予定調和になってきた感がありますね。

この番組を長年見ていますが、最近思うことがあります。

それは

中継の歌はやめんかい!!


去年はEXILEとミスチルがNHKホールで歌いませんでした。
3年前はユーミンが上海から。
中島みゆきなんか、わざわざ黒部ダムまで行く必要あったんすか?

私の記憶に間違いがなければ、歌の「中継」が始まったのは1990年。
第41回の紅白歌合戦で、バスタブに浸かった宮沢りえと、
ベルリンで歌った長淵剛からだと思います。

長淵剛の歌には、テレビに向かって「なげ~よ!」と文句を言った覚えがあります。
サブちゃんが特別扱いに怒ったという翌日の新聞記事に激しく共感したものです。

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中継は、

ステージの緊張感やスリルがないので、
紅白歌合戦の醍醐味が半減します。

それに、演奏を楽しみにNHKホールへ来た観客への裏切り行為ですよ。

アーティストとの力関係、紅白歌合戦の番組としてのステイタスの低下、
いろいろ事情はありましょうが、
ENYAが口バクでもええんや、ということにはなりませんよ。

普通、現場にいるから”出場”なのであって、

いないなら、今年の目玉みたいな宣伝の仕方するなよ!

と言いたくなります。


で、

紅白歌合戦が終わり、
除夜の鐘が聴こえ
年が変わり、

そのままチャンネルをNHKのままにしていたら

画面に紅白歌合戦に不出場のさだまさしが登場しました。
「年の初めはさだまさし」という番組でした。

私は民放に回そうと思っていたら、

「紅白に出場しなかったその分歌います」って(笑)

おもしろそうなので、そのまま観てしまいました。

個人的には、さださんの歌には苦手なところがありますが、
トークは大変面白かったです。

視聴者からのハガキを読みながら番組が進行するスタイルは
昔のラジオの深夜放送のようで、
中高年には親しみやすかったでしょうね。


まあ、そんなわけで、
紅白歌合戦ももう普通の音楽番組になったのだと思えば、

腹も立たないのでしょうが、古めの日本人なので、つい文句の一つも・・・。

2009010205.jpg

2009年がスタートしてしまいました。

こういう雑駁なブログですが、

今年もよろしくお願いいたします。<(_ _)> 


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