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だるま食堂 四文字熟女 ドドンパン [お笑い]

5月14日、なかのZERO小ホールにて、
3人組お姉さまコントユニット だるま食堂の単独ライブ
「四文字熟女 ドドンパン」を観てきました。 

この日を 一日千秋 の思いで待っていた。
というのは、若干の外交辞令が入っていますが・・・・

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ダルマのお姉さまたちは、今年も意気軒昂。

だるま食堂のメニューを美味しくいただき、
ごちそうさまでした。

満腹中枢

私にとってだるまのライブは年中行事

ですが、 

今回初めて観たというご友人は、壺にずっぽり
抱腹絶倒していました。

スリーミニッツは容姿端麗?
賛否両論

ネタが空中分解して四苦八苦

それをリーダーの森下さん、当意即妙・・・

えーーーと、あとは

三段論法、起承転結、四文字、四文字

だんだん面倒くさくなってきました。。。
 
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理屈不要。

面白かったです。

拍手喝采!!
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水前寺成趣園と熊本市電 [旅行]

九州篇 最後は熊本の名園

水前寺成趣園です。

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水前寺成趣園は、1636年(寛永13年)、
細川家三代忠利公により、創設された回遊式庭園です。
以後80年かけて完成。
桃山様式の美しい庭園は、陶淵明の詩に因み「成趣園」と名付けられました。

回遊式庭園とは、園内をぐるぐる回って観賞するお庭のことです。
今で言うテーマパークといったらわかりやすいでしょうか。

東京にも浜離宮、六義園など同じコンセプトの庭園があるので、
特に珍しいという感覚はありませんね。

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阿蘇山の伏流水、きれいな湧水を利用した美しい日本庭園。

この庭園を全国的に有名にしたのはやはりチータ、
水前寺清子さんですよね。

最近の人は知らないでしょうが、
そこそこの年齢の行った人はみな、
「365歩のマーチ」を歌えます。

ワンツー、ワンツー

小学生の時、パンツー パンツーと歌った記憶のあるオヤジもいらっしゃることでしょう。

熊本出身の彼女の芸名が、この庭園の名前からとってつけられたというのはあまりにも有名です。

ただ、清子の「清」の方は、加藤清正の清正からとったって知ってました?

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入園してすぐ、左方向
細川家の歴代の藩主を祀っているという出水神社があります。

鳥居をくぐってすぐ、左に「長寿の水」と呼ばれる
ご神水が湧きでています。
もとは茶の湯に使う水だったそうですが、

百薬の長があると、いまも信奉されているとのことでした。

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こちらは稲荷神社。

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パンフレットによれば、
成趣園は東海道五十三次を模して造られたと言われているそうで、

この盛り上がりは、明らかに富士山。

簡単に旅行が出来なかった時代に
日本一の霊峰富士山を拝みたいというニーズに応え

日本中に富士山と呼ばれる小山が造られました。

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園内の銅像は、この庭園を造った細川忠利公と、

細川家初代、藤孝公です。

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この辺りは、箱根山でしょうか?

正面に見える建物は「古今伝授の間」です。

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中世日本のライブハウス。

能楽殿

残存している建物は、
肥後八代の松井家が奉納したものだそうです。

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お土産はクマもんだらけでした。
何処へ行ってもほっぺの赤いクマばかり。

この水前寺成趣園で獲れるという
貴重な水前寺のりを買おうかと思いましたが、

高価! 

貧乏旅行につき、断念しました。

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ところで、
水前寺成趣園へは、市電を使って移動しました。 

路面電車が好きで、
走っている姿を見るだけで、テンションが上がります。

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熊本市は2系統です。青と赤の二本。

女性の車掌さんがいて、
私がのった電車では、新人の実地研修が行われていました。

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おまけは

馬刺し、レバ刺し、辛子レンコンの画像です。

どこで食事をしたらいいか、わからないまま繁華街をウロウロし、

花畑町の「すやむら」さんという
明るい女将さんのいる家庭的な居酒屋へ飛び込み、

お世話になってしまいました。

関東の人間は、馬肉を食べ慣れていないので、
やや抵抗感がありましたが、

スンナリ喉を通ってしまいました。
ごちそうさま。

熊本、また遊びに行きたい!!

ロアッソ熊本、J1に上がってきて!!

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旧細川刑部邸 [旅行]

熊本城の北
旧細川刑部邸です。 

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細川刑部家は、細川忠利公の弟、刑部少輔興孝が、1646年(正保3年)が興した大名家で、
ここはその下屋敷です。
お茶屋などの造作を施し、
名門としての格式を整える、
その礎となった邸宅だそうです。

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先ほどの正門から、屋敷の門まで
まずお庭を観賞

こちらは通用口ですかね。

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こちらが長屋門
怪しいものが侵入、左右に詰所と番所が。
ボディガードは詰所で待機。
詰所の左には鉄砲蔵=物置があって、
戦闘用具を保存していたそうです。

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さて、門をくぐって、屋敷の御玄関

唐波風の屋根は、建築当初は
モダンだったのかもしれません。

正直いいまして、
老舗旅館や銭湯でよく見ているイメージ。

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金屏風があるところは広間

来客をお通しした、今で言う応接室ですかね。

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奥方がいらっしゃった、化粧の間、御相ノ間などもそのまま
保存されています。

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銀箔を貼ったふすまのある銀之間
豪華で、刑部家自慢のお部屋・・・
だったんでしょうね。

下右が茶室

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刀の素振り?

あるいは使用人たちが洗濯?

画が浮かんできます。

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江戸時代の上級の武家の暮らしが伺えます。

熊本県重要文化財

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熊本城 [旅行]

島原から有明海を渡り、
熊本へやってきました。 

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熊本といえば、熊本城。

熊本駅からは、お城を周遊するバス
「しろめぐりん」で行くのが便利ですが、
市内観光もするなら、300円のしろめぐりんの一日周遊券よりも
市電にも乗れる500円のわくわく1dayパスの方がお得です。失敗しました。

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さて、熊本城。

熊本城へは過去に何度か、訪れたことがありますが、
ジックリと見て回ったのは今回が初めてでした。

二の丸駐車場でバスを降り

西大手櫓門から

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南大手櫓門

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天守への入口、頬当御門、
変な名前の門です。
天守閣が顔なら、門が甲冑の頬当てに見えることから
その名がついたとのこと。

現在はここがお城の正門みたいになっていますね。
頬当御門からは、1時間おきにガイドの女性が、
無料で城内を案内してくださいます。これもお薦め。

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熊本城は、加藤清正が1601年(慶長6年)から7年をかけて築いた巨大なお城。

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資料によれば、櫓49、櫓門18、城門も29あったそうで、
福岡城や島原城と比べ、圧倒的に規模が大きい。

城主は、加藤家は清正の息子の代に城を追い出されてしまい、
以後、細川のお殿様が11代務めました。

明治時代に廃城となりましたが、
西南戦争では、政府軍が拠を構え、薩摩軍を迎え討ちましたが、
その時に天守など、主要な建物が不審火で焼失。

 

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現在の天守は1960年に復元されたもの。

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明治時代に焼失を免れたのは、

宇土櫓など、数えるほどの建物だったそうですね。

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しかし、さすが名城と呼ばれるだけあって
見ればみるほど立派なお城ですね。


未だに櫓など復元が続ているし、

熊本の人たちの城にかける熱い想いも感じます。

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天守閣の真下の石垣は、表面がはがれて
凹んでいますが、

これは明治時代に高熱で焼けた跡だそうです。
ガイドさんの説明を聴き、へ~と感心

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本丸御殿の下の闇り(くらがり)通路

御殿が二つの石垣を跨いで造られているため、
このような地下鉄の通路のような場所が
出来てしまったそうです。

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熊本城観光、最大の目玉、天守閣

中は鉄筋コンクリートののビルです。

ただ、名古屋城や大阪城のようなのようにエレベーターがなく、
小天守閣に登って降りて
大天守閣に登って降りて

疲れます。

そういえば、名古屋城は木造でサイド復元するそうですね。

熊本もいずれそういう動きが出てくるのでしょうか。

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本丸御殿の大広間

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本丸御殿も復元された建物。

平成20年に落成され、
目玉は昭君の間

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中国、漢の時代

絶世の美女でありながら、絵師に賄賂を贈らず
醜く描かれたがため、匈奴へ嫁に出された悲劇の女性

と伝えられていますが、

これって中華思想丸出しの話で、
漢に残っていたからといって幸福だったとは限らない。
2000年以上も昔の話だし、
本当のところはどうだったのかわかりません。

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でも、なぜ昭君の故事だったのでしょうか?

説明を聴きましたが、
あまり納得感がなかったな。

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お次は宇土櫓

明治から昭和、平成と焼失せず、
江戸時代の姿のまま残っています。

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櫓の中は一般公開されているので、

熊本城観光で、ここは外せません。

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次は1989年(平成元年)に復元された数寄屋丸

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接待用に造られた建物で
お茶会や能などが、
ここで開催されていたと聴きました。

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石垣も見て歩きました。

立派です。

とにかく高い。攻めづらい。

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東竹の丸には、宇土櫓同様

西南戦争時にも焼けなかった
重要文化財の櫓があります。

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これは源之進櫓

ここに並ぶ櫓は武器庫になっていたようです。

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本殿の下、南側をぐるりと歩いて

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熊本城の石垣解説でよく登場する「二様の石垣」です。

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この二様の石垣は石の積み方が異なります。

傾斜の緩い方が築城初期、
傾斜が急な外側の石垣が後に造られたものです。

石垣も改良を加え、より急な角度に
なるよう工法を開発していったんですね。

ちなみに、石垣の外側は、細川忠利の代
本丸御殿を増築する際に、積み足したものです

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石垣絶景ポイント

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石段も、歩きづらくするため

段の高さを変えたりしたそうです。

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飯田丸五階櫓

この櫓も復元されたものです。

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二の丸の東、桜の馬場 城彩苑

腹ごしらえとお土産購入ができる複合施設です。

その中、湧々座には
お殿様、お姫様の衣装を身につけることができる体験コーナーや、

大型の紙芝居で、熊本の歴史を勉強できる設備があります。

撮影OK


休憩用にちょうどいいです。

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最後は加藤神社

ここから見る熊本城の姿が美しいとのこと。

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いかがでしょうか?

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島原 大名屋敷~島原城 [旅行]

島原駅で下車、
早速、城下町を散策しました。

まずは城の濠に沿って、
テクテクと大名屋敷ゾーンを目指します。

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島原城は、天守のある城の敷地の周りを
お濠が囲む造りになっています。

現在はお濠の3/4ほどは、水がなく、
北側の濠は菖蒲園になっていますが、
仮に水があったとしても、

敵に取り囲まれたら袋のねずみ
逃げ場がないですよね。
なんでこんな構造にしたのでしょうね?

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時鐘楼は、初代藩主松平忠房が、
人々に時刻を知らせ守らせるため
作らせたものだそうです。

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お城へ行く前に、
島原観光スポットの一つ

武家屋敷ゾーンへ行きました。

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ここは、中央に水路のあるメインストリートを挟み、
3件の武家屋敷が公開されています。

現存するのは、篠塚邸、島田邸、山本邸の三つ

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その一つ、島田邸。

 

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日本人にとっては、
知識がなければ
ただの古民家にしか見えません。

江戸時代の地方公務員住宅、
武家屋敷とはいえ、意外に質素です。

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武家屋敷のそばにある郷土資料館へ寄り、
島原の歴史、縁の人物について
資料館の方にお話をお聞きすることができました。

キリシタン迫害、島原の乱、火山災害など
常に悲劇の舞台になってきた島原で
たくましく生きぬいてきている人たちは
どこか芯が一本通っている感じがしました。

雲仙普賢岳による被害も未だに生々しく残っているし、

能天気でいられませんよね。

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お次は島原のシンボル、

島原城へ行ってみました。

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島原城は、江戸時代初期(1624年:寛永元年)
松倉重政によってされたお城です。

りっぱな石垣のある城ですが、石高が多くないこの土地に
分不相応な規模で作ってしまい、

これが後の大事件、島原の乱を引き起こす遠因となってしまいます。

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松倉重政、勝家、親子は
島原の暗黒時代の藩主として扱わされています。

幕府に実態より多い石高を報告、
今でいう粉飾決算。

赤字なのに多額の税金を支払うため
社員の給料を削り、厳しいノルマを過し
反対できないようパワハラで締めつける・・・

今風に例えると、こうなりますが、

実際は、そんな甘っちょろいものではなく、

農家への取り立ては無論のこと、
年貢を納められない庄屋の妻や娘を人質にとって
脅したと伝えられています。

さらに、熾烈を極めた
キリシタンへの迫害で有名。

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1637年に発生した島原の乱は、
キリスト教徒の反乱という単純なものではなかったんですね。

藩主の非道への不満は、
キリスト教徒だけのものではなかったし、
当時日本に拠点を設けようとしていた
ポルトガルとオランダの対立も絡み

複雑な事情があったようです。

この一連の不始末の責任を取らされ、
勝家は切腹ではなく、異例の斬首

そして、幕府はオランダ以外は出入差し止めにする
いわゆる鎖国政策を実施に移す。

この歴史的大事件が起きた舞台が島原なんですね。

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天守から眺める有明海は、波も静か。

そんな血なまぐさい歴史があった場所とは、
全く想像できません。 

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一方、天守から西を眺めると、眉山がデーーーン。
後ろは雲仙普賢岳。

1792年5月、
雲仙岳の火山活動の影響から発生した地震で、眉山の山腹が崩壊。
島原の町が土砂に飲み込まれ、大変な惨事になりました。

崩れた土砂は有明海に流れ込み、
これが大津波を起こし、対岸の熊本や天草に襲いかかった。

15000人以上が亡くなったという、
この歴史的大災害は、「島原大変 肥後迷惑」
という呼び名で現代に伝えられています。

平時、島原城みえる眉山は絶景。

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西望記念館

島原出身の彫刻家、北村西望の代表作60点が展示されています。
ご存じない方も、長崎の平和記念像の作者と聞けば、
イメージが沸くのではないでしょうか。

島原市内では、あちこちに彼の作品が置かれています。

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西の櫓は民具資料館

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そして島原城もキリシタン資料館になっています。
撮影禁止。

もっとも、撮影したくない展示物も多いです。

島原城は破風屋根がないので
シュッとした感じ。

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食事は、
城門のすぐ前にある姫松屋さんにお邪魔しました。

番号札をもらって並ぶほどの大繁盛

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目玉は島原名物、具雑煮です。

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島原の乱のとき、原城に籠城した勢力が、
兵糧として貯え、いろいろな材料を集めて雑煮を炊いたのが起源
といわれているそうですが、レシピが残っていないので定かではありません。

丸いお餅に、焼きアナゴ、うす焼きの卵、かまぼこ、レンコン、タケノコ・・・
土瓶蒸しを主食にしたような感じでしょうか。

ごちそうさまでした。

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最後は、大手門から南へ

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昔ながらの商店街

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私、地方都市では必ずこの手の商店街へ行きます。
シャッター商店街になっている場所が多いですが、

昭和の香りがして、癒されるんですよねぇ。

ところで、「イギリス」って何?

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長いアーケード街を進むと、

江東寺があります。

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島原城を築いた松倉重政の菩提寺です。

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島原大変後、この地に再建され

豊後の尼僧が手作りの大涅槃絵を奉納したと伝えられています。

この涅槃像は昭和32年に造られたものだそうです。

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涅槃像の横には、ひっそりと
松倉重政のお墓が置かれています。

島原に入封する前の、奈良五条では名君と呼ばれていたそうで
人間を一つの評価で決めつけてはいけませんが、

晩節を汚してしまったというのは事実でしょう。 

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さて、再び島鉄に乗り、

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島原外港へ

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フェリーに乗り

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熊本へ向かい、有明海を横断します。

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島鉄で島原へ [旅行]

GW後半の九州

二日目は、島原へ。 

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佐賀から、特急かもめに乗り、
諫早へと向かいました。

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諫早駅で、島原鉄道に乗り換え、

諫早湾にそって、ひらがなのつの字を書くよう
南東へと走ります。

島原鉄道は一両編成。
それでも車両にトイレがついています。

赤ちゃんを背負ったお母さんのイラストは
島原の子守歌のイメージですね。

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諫早駅を出発。
車窓から見えるのは、広い麦畑。

遠くの水門は、有名な潮止めのあたり。
座席でご一緒させていただいた
ご婦人から教えていただきました。

愛野の病院に入院されている
ご主人のお見舞いに行く途中とのことでした。

その愛野駅は、「愛の国から幸福へ」
愛野→幸福 の切符が縁起物として流行ったことがありますが、
あの愛野。

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ホームにサッカーボールのモニュメントがあるのは、国見。

FC東京ファンとしては、徳永悠平、平山相太、中村北斗、渡邊千真
縁の地ということで、列車の窓から合掌

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翌日が子供の日ということで、
こいのぼりのある景色や、
子供の名前が入った立派な幟(のぼり)が立っていたのが
新鮮でした。

がまだせ!有明の高校生
ガマ口出せよ、という意味ではないでしょうが、
いろいろ車窓を眺めていると面白いです。

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諫早から約一時間。

島原駅に到着。

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福岡城址 [旅行]

GWの連休は、九州へ行ってました。

例によって備忘録として記録しておきます。

第1回は、福岡城址

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関東の人間に、福岡で行きたい場所はどこかと聴けば、

博多の繁華街、
中洲、長浜ラーメン、
福岡ソフトバンクホークスが試合するヤフオクドーム
少し足を延ばして太宰府天満宮・・・・

普通「福岡城」は選択肢に入りません。

この日は博多港どんたく
お祭り初日で、
地下鉄も、天神の繁華街も、人、人、人

ひねくれ者の私は、
静かな場所を求め、
城址の大濠公園を訪れることにしました。

松本、彦根、熊本、姫路
観光の目玉になっているお城は
天守閣があります。

お城の知名度を上げるためには
天守を復元するのが一番手っ取り早いわけですが、
福岡城の場合は、どんな天守だったか、
そもそも天守があったかどうかも
ハッキリしないらしいです。

ただ、同じ九州の熊本城の人気ぶりには
福岡として、心中穏やかではないかもしれません。

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とはいえ、福岡城址は、
天守はなくても、十分タイムスリップ感を味わえる場所でした。

上の古い門は、16世紀、小早川隆景が建設した名島城の脇門、
名島門です。福岡市指定文化財。

江戸時代、筑前福岡藩初代藩主になる黒田長政が
福岡に城を移してからは、
重臣の一人の邸宅の門として、使用されていたそうです。

黒田長政の親父さんは有名な軍師 黒田官兵衛。

官兵衛は、その名を如水とも呼ばれますが、
彼が隠居していた三の丸は
現在、牡丹・芍薬園になっていますね。

訪問した日は芍薬が咲き始め、
とてもきれいでした。
ちなみに写真はルーズベルトという品種

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牡丹・芍薬園のある丘の下には

古い歴史的建物
旧母里太兵衛邸の長屋門があります。

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母里太兵衛?

誰?槍の名手?豪傑?
聞いたことないなあ、と思いましたが、

「酒は飲め飲め」の黒田節に歌われている人

と聴いて、ああ、そうなのか、と
勉強になります。

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その北

下之橋御門と塩見櫓

下之橋御門は三つあった福岡城の御門の一つです。
海側なので、ここから魚とか米とか入ってきたんでしょうね。

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この御門、
19世紀初頭に築かれましたが、
2000年に不審火で焼失
酷いやつがいたものです。

現在ある門は復元されたものです。

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お次は櫓。

福岡城には櫓が50近くあったそうで、
塩見櫓はその一つ

塩見櫓は、大正時代に黒田家の別邸に一回移築され、
1956年(昭和31年)、現在地に再移築したとのことです。

でも、調査してみたら、「塩見櫓」と呼んでいたが
福岡城の本当の塩見櫓は
どうもこの櫓ではないようだ、

そんな話になっているようですね。

とにかく、わからないことが多いのでしょう。

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ちょうど、櫓の中が公開されいたので、
これ幸いと見学してみました。

要するに、倉庫。
特にどうってことなかったです。

蛍光灯もあったし。。。

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案内のボランティアの方々が、
親切に説明下さいまして、

大変勉強になりますね。

名札が黒田さんだったりすると、

思わず、お殿様はこういう方だったのかな、
とか想像してしまいます。

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次は天守台の方へ行ってみました。

来年のNHKの大河ドラマが黒田官兵衛、
V6の岡田准一が主役を演じるそうで、
あちらこちらにのぼりが観られました。

今はお城を訪れる人はまばらですが、
これからたくさんの観光客やってくる。

ボランティアの方たちの笑顔から
そんな期待感も伺えました。

石垣が立派ですね。

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上は表御門櫓があった場所
もっと建物があったのでしょう。

下の写真は、祈念櫓
鬼門封じを目的に建てられたとか。
建立は幕末、1860年だそうです。

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天守台へと上がる石段

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マヤ遺跡みたいな感じもしないでもない。



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天守台からの眺め。

いい景色じゃないですか。

大都市福岡のど真ん中に、
こんなに高いところがあるとは知りませんでした。

歴史資料があれば、天守を復元したい。

実際、店主があれば、様相がまるで変わるでしょうし、
その気持ち、よくわかります。

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最後は二の丸

残存する櫓としては、
最も大きい多聞櫓へ行ってみました。

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江戸時代から残る
貴重な建物の一つですが、

この櫓も19世紀に建て替えられたものだそうです。

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第二次世界大戦後は、
大学の寮としても使っていたそうです。

内部が非公開だったのは残念。

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観光地としての福岡城は、

これからでしょうね。

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城内、平和台球場があった場所では、

現在、鴻臚館の発掘調査が進んでいました。

ここで金やんとビュフォードの乱闘があったんだよなぁ。

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鴻臚館は、平安時代の外交および海外交易の施設

今でいう迎賓館。

福岡城とは、全く時代が違いますが、
これから何が発掘されるか、楽しみですね。

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それまでは 

とりあえず、毎日を楽しく生きましょう。

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