SSブログ

日比谷大神宮 [タイムスリップ]

1912年(明治45年)に発行された
「東京名勝図絵」という写真集の撮影場所を訪ねる、
タイムスリップ定点比較シリーズ

今回の写真は日比谷大神宮です。

035日比谷大神宮.jpg

日比谷に大神宮?
そんな神社あったっけ?
そう思われる方も多いでしょう。

それもそのはず、
日比谷大神宮とは、現在の東京大神宮。 

006.jpg

東京大神宮といえば、
縁結びの御利益がある神社として
彼氏欲しい女子がたくさん訪れる
パワースポットとしてよく知られています。

私が参拝した日も、
若い女性がひっきりなしに訪れていました。
女性たちが必死にお祈りしている姿を観ていると
場違いな感じがして
列に並んでいても落ち着きませんでした。

005.jpg

東京大神宮のある場所は、
飯田橋の駅から歩いて5分程度、
山の中腹に位置しています。

ところが、
上の古写真の社が建てられている場所は明らかに平地。
場所も飯田橋で日比谷じゃない。
どうやら写真が撮影されたのはこの場所ではなさそうです。

そこで、東京大神宮のウェブサイトで確認してみました。

 最初日比谷の地に鎮座していたことから、
 世に「日比谷大神宮」と呼ばれ、
 関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは、
 「飯田橋大神宮」と呼ばれ、
 戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至っております。
 (東京大神宮 ホームページより)


001.jpg

やはり、写真が撮影された場所は
飯田橋ではなく、日比谷です。

そこで、明治時代の地図で確認。

ありました。

018.jpg
(人分社刊 古地図ライブラリー別冊 古地図・現代図で歩く 明治大正東京散歩より引用)


日比谷公園の東側に「大神宮」の表記が見られます。

日比谷通りを挟んだ公園の向かいに
大神宮の境内があったようです。

行ってみましょう。

ここが現在の日比谷公園。

016.jpg 

で、その向かいは・・・・

あれま、工事中でした。

017.jpg

この場所には、かつて三信ビルディングと、
旧三井銀行の本店ビルが建っていました。

現在はすべて取り壊され、更地になっています。

ご神木でしょうか?
工事現場の奥の方に2本の木が見えます。
ちょうど、あの辺りに社が建っていたものと推測されます。
工事中につき境内だった場所へは入れませんでした。

三信ビルディングといえば、
1929年(昭和4年)に建設され
2007年(平成19年)に解体されるまで
日比谷のシンボル的な建物でしたね。

アールデコ調の昭和時代の歴史的建造物で、
解体時には保存運動も起きましたが、
今は跡かたもなくなってしまいました。

014.jpg

南北に走る通りは、
昭和時代、日本有数の映画街になっていました。

上の写真が帝国ホテルから晴海通りへと続く
かつての映画街のメインストリート。
この道の両側に、スカラ座、日比谷映画、みゆき座など
独立した映画館が軒を連ねていました。

011.jpg 010.jpg

映画好きの東京港区民は、
日曜日になると都電に乗り、日比谷停車場で下車、
三信ビルディングを左に見ながら進み、
家族連れでごった返す映画街に足を踏み入れていました。

その光景はいまではこうなっています。

007.jpg

上記の古地図を見て思ったのですが、
この昭和時代に賑わった映画街のメインストリート。
明治時代は日比谷大神宮の参道だったのではないでしょうかね。

日比谷大神宮は、関東大震災で焼失、
昭和3年に飯田橋に移転
翌年、境内の跡地に三信ビルディングが建てられ、
参道は映画街として発展していった。。。

とすると、

古写真の撮影場所はこの辺りかもしれません。

008.jpg

035日比谷大神宮.jpg

痕跡が何もない。。。

古写真の解説を読んでみましょう。

 神宮奉斎会本院は、明治5年の創設に係る。
 初め神宮教院といい、明治13年今の神殿即ち奉斎所を建築す。
 32年以来財団法人となれり
 境内桜樹多く近来此の社殿に於いて結婚式を挙くる者多し
 日比谷大神宮この中に奉祀せらる。

江戸時代、全国から多くの参拝客を引き寄せた
超人気パワースポット伊勢神宮。

明治の世になり、神道が国策に採り入れられる過程で、
伊勢神宮の御利益を東京でも受けられるようにと
創設されたのが日比谷大神宮。
その関係から、東京大神宮は、
現在でも「東京のお伊勢さま」と呼ばれていますね。

002.jpg

日比谷大神宮には官幣大社のような社格がありませんでした。
戦前の社格制度上は「神社」ではなかったわけです。
戦後になり、大手の神社を意味する別表神社に
数えられるようになったということです。

特別扱いだったんですね。

1901(明治34年)に嘉仁親王(後の大正天皇)のご結婚の儀を基本に
日比谷大神宮で模擬結婚式が開催され、
これが、現代の神前結婚の始まりだとか。

その後、多くのカップルがここで結婚式を挙げるようになり
式のスタイルが全国に広がっていったとのことです。

境内には桜の木が植えられ、春は大そう綺麗だったそうですが、
関東大震災ですべてが変わってしまった。。。

005.jpg

東京という都市は変化が激しいです。

日比谷では、明治時代どころか、
昭和時代も消えていきつつあるようです。

ゴジラの背中も少しさびしそう。

001.jpg


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 2

たぬき

元来は、天皇や皇室が京都から江戸、改め東京(東(アズマ)の京都)に奠都
(遷都ではない。
今の今まで正式な手続きを踏んで京都から東京に遷都したと天皇陛下が発布なさったり、法令を制定した事はありません
(なし崩しで首都に既成事実化しているだけ。)。
日本国憲法にも何故か首都条項はありません。なので、法的?には天皇、皇室に置かれましては何時でも京都や奈良に還禦なさってもOK。京都迎賓館=御所(皇居)ですから)

したことで、
皇室や公家の伊勢神宮の遥拝施設として発足。

遥拝施設ですから、神社ではなかった。

後に、伊勢神宮の特段の配慮を以て分霊を奉迎しました。(芝大神宮も同様)
分霊は陸路、汽車でご来臨なさりました

因みに日比谷/皇居から富士山(天照大神(女神)が隠る神山) の山頂を拝むと、
それ即ち、伊勢神宮を遥拝することになっています。
厳密には外宮のラインですが、、

夏至の早朝、伊勢の二見浦 女夫岩(イザナギ、イザナミ(天照大神)の神岩)を通して
富士山(女神の隠るお山)の頂きから御来光。

古代の出雲族はこの様(女神の隠るお山の頂きから刺し昇る朝日(御来光))を
正に、「太陽の女神/大日霎貴尊(天照大神(女神))」と崇拝しました。

夏至の日は太陽の力が最大と考えられていたこと等から
伊勢のこの場所に神宮が営まれた理由ではなかったか?
by たぬき (2021-03-29 18:02) 

Cliff

たぬきさん、コメントありがとうございます。神社ではなく遥拝施設であったという点については勉強になります。日比谷のこの場所になった理由は皇居に近いという他に何かあったのか、富士山は見えたのかなぁ?8年前の記事で工事中だった場所も日比谷シャンテになり、様変わりしています。
by Cliff (2021-04-29 18:12) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

寒い冷たい歌皇居周辺 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。