東海道新幹線から浜松城は見えるか [旅行]
ほんの一瞬ですが、見えます。
やっと証拠写真を収めました。
見えましたか?
拡大します。
東海道新幹線から見える城の天守は16 確認されています。
うち15 を制覇。
あと一つ。
もしかしたらまだあるかもしれませんが、
次はいつになるか
大崎下島 御手洗 [旅行]
瀬戸内海、大崎下島の東岸にある御手洗地区です。
御手洗は、江戸時代「風待ちの港」と呼ばれる場所でした。
17世紀 瀬戸内海の物流は、
それまで、本州の海岸沿いの航行から
航海技術の進歩により沖を航行できるようになり
地形的に潮の流れが静かな御手洗は、
海がしけた際の、航海者たちの寄港地として
発展した場所です。
現在も当時の古い町並みを残しており、
国の重要伝統的建造物群保存地区 にも指定されています。
地名の「御手洗」の由来は、諸説あるそうです。
神功皇后が三韓征伐の際、この地で手を洗った。
戦後の教育では、神功皇后という人物について学校で教えないので、
多くの日本人が「だれ?」となりますが、
彼女が実在したかどうかは別として、
日本人なら一度は
自分で目で調べて記憶しておきましょう。
また、901年、菅原道真が大宰府に左遷されたとき、
この地に立ち寄り、手を洗った井戸があり、
その故事が現在の「御手洗」の地名の由来になっているとも言われていますが、
上記のように、町として発展したのは江戸時代中期のことです。
上の画像、天満宮にその井戸があるとのことですが、肝心の井戸の画像は撮りそこないました。。。
では、町をぶらつきます。
町といっても、そんなに広いところではないので、
30分もあれば一周できます。
まず、天満宮への参道の入口のところ
町が繁栄していた当時の町年寄を務めていた金子さんの屋敷跡。
続いて、そのはす向かいにある若胡子屋跡
若胡子屋は、広島藩公認の待合茶屋、
御手洗には4件の茶屋があったそうですが、
この若胡子屋はそのうちの最大の待合茶屋で、
一説には100人もの芸妓がいたとのことです。
現在は資料館になており、自由に内部を見学できます。
建物は鉄骨で補強されていますが、
いわゆる観光地の施設っぽさがなく雑然とした感じですが、
それがまたいいですね。
繁栄した当時の姿がそのまま残っており
船乗りが娼妓と遊んでいた時代
昔の遊郭ってこんな感じだったんだろうな、
中庭なんかなかなか情緒があります。
関東では、こういう屋敷がなくなってしまいましたね。
狭い土地に、網の目のように広がった町には
漆喰の壁のある家が多く
これがまた、タイムスリップ感を味合わせてくれます。
この時計店も風情があります。
というか、新光時計店、古くは松浦時計店として
観光案内のパンフレットにも載っている
現存する日本最古の時計屋さんではないかと言われている
有名な時計屋さんです。
お次は乙女座
この施設も江戸時代のものではなく
昭和初期に開設された映画館です。
こういうモダン建築は、
東京では関東大震災で破壊されてしまったり、
戦後、再開発で取り壊されてしまったり、
希少価値になってしまいましたね。
こんな遠くの島の中に現存しているのが何か不思議です。
一時休刊していましたが、
2002年に劇場として復元され、
現在で、は映画や演劇などで現役の劇場です。
アニメ「たまゆら」の登場人物 桜田麻音の出身地が
御手洗ということになっているそうで、
そのコラボ企画の告知ポスターなども貼られていました。
七卿落遺跡
1863年に京都から公家7人が追放され、そのうち5人が長州に逃れる途中に
この地に立ち寄って宿泊したという故事から
七卿落という名前がついている住宅
元は御手洗町年寄の屋敷。
そのすぐ前
恵比須神社は小さな神社です。
いや、参道が海に向かっているので、
本当は大きいのかもしれません
正面、右が岡村島、中央が中ノ島
大崎島々と岡村島の間にかかる三本の橋がここから眺められます。
こういう古い木造住宅が多く並びます。
なまこ壁
船宿
高燈籠
開運の神様 住吉神社
海辺にある、ちょっと変わった神社です。
千砂子波止は、江戸時代に築造された
石積みの波止場です。
波止場の突端から見た御手洗の町
レトロな洋館
ふるさと学園
満舟寺
荒神社の階段
先ほどの恵比須神社のあたりから、
細い路地が放射状広がっているので
地図をみていないと方角がわからなくなります
こちらがメインストリート
常盤町どおりには、漆喰のある木造家屋が並んでいます。
潮待ち館
なぜか、伊能忠敬測量絵図館があります。
佐原の記念館へ行ったこともあるので何か不思議な感じがします。
狭い地区ですが、見どころがたくさんあって面白いです。
歴史が好きな方には絶対おすすめ
何よりも景色が美しい!!
とびしま海道 橋巡り [旅行]
広島県、「とびしま海道」へ行ってきました。
瀬戸内海の●●海道といえば、「しまなみ海道」がメジャーですが、
その西側にある島々を東西に渡る「とびしま海道」もなかなか。
「裏しまなみ海道」という呼び名もあるそうですが、
広島県呉市から愛媛県の岡村島まで7本の橋が架かっていまして
訪れたときは幸い天気が良かったこともあり、
いやあ絶景の連続でした。
裏なんて失礼ですよ。
呉から橋を渡って点々と
一番東にある岡村島まで
海峡と橋のある美しい景色を堪能しました。
ということで、その画像をアップしておきましょう。
まずは、本州と下蒲刈島を結ぶ安芸灘大橋です。
下の写真は、下蒲刈島へ渡り、振り返った景色。
安芸灘大橋は、1175mの美しいつり橋です。
安芸灘の海がきれい。
豊かな漁場で、大型船舶も航行することから
橋げたの高い大きな吊り橋になったそうです。
本州側、呉線からも美しい橋の姿が眺められますね。
下蒲刈島にわたり、
北東を海沿いに走ると、ドドーーンと2番目の橋が現れます。
巨大なトラス橋、蒲刈大橋です。
蒲刈大橋は、下蒲刈島と上蒲刈島橋を渡す橋。
橋を上蒲刈島へ渡ったところに
「であいの館」という施設がありまして、
上の画像は、そこの駐車場から観た蒲刈大橋です。
美味そうなお海産物や果物が、
土産で売られていましたが、
帰り道に寄ることにし、先を急ぎましょう。
ブルーの安芸に浮かぶ島々
左が豊島、正面が尾久比島。遠くに見えるのが斎島かな?
その豊島へ上蒲刈島から渡る大きな橋
豊島大橋です。
カーブしたトンネルを抜けると、いきなり橋が現れます。
903mの吊り橋
ここの海峡も、大型船舶も航行できるよう、
高さ50mの吊り橋になったとのことでした。
美しい長い橋です。
豊島の北側を、ミカン畑を横目にみながら
ぐるりと海沿いに走ると、
左の車窓に海峡の絶景が現れます。
長さ540mのトラス橋
とびしま海道、4番目の橋 豊浜大橋です。
橋を渡ると、大崎下島
大きな島です。
大崎下島には、江戸時代からの古い町並みが残る
「風待ちの港」御手洗があります。
御手洗の写真は別にご紹介するとして
大崎下島からさらに東。
岡村島へと渡りましょう。
大崎下島と岡村島の間には
平羅島、中の島と小島を二つ挟み
三つの橋がかかっています。
その最初の橋が平羅島との間にかかる平羅(へいら)橋
長さ98.5m
この橋から先は、そこまで走ってきた道と比べ、
クルマの通行量がぐっと減ります。
急に淋しいところへ来たという感覚になります。
平羅島が無人島ということもあるのかな?
橋を渡るとき、「ここから先はおまえのくる場所ではない」
的な空気を感じましたね。
平羅島から中の島へ渡る、中の瀬戸大橋
しかし、絶景
対岸には、御手洗の集落が見えます。
中の瀬戸大橋と双子のような
7番目の橋、岡村大橋。
この橋が、広島県と愛媛県との境界になります。
岡村島からは、まだ橋でつながっていない大崎上島
あるいは、東の大三島へと橋をかけ
最終的に、しまなみ海道とつなげる計画があるようですね。
そうなるとクルマでますます気軽に、
この美しい景色を見にこられるようになる
これからもっと変化するんでしょうね。
古いものと新しいもの
うまくバランスを保ってほしいと思います。
今はまだミカンの木ばかりが目に入り、
ホテルなどの近代的なビルもほとんどありません。
巨大な橋が、海峡の主役として
回りの島々と美しく調和していますが、
観光開発が進むと、どうなるのかな?
この絶景も今のうちかもしれません。
ふと目に留まった
鉱山マニアへのおすすめスポット
上蒲刈島にある採石場
島の南側、幹線道路沿いにあります。
最後の画像は
上蒲刈島、海鮮料理の有名店、かつらの海鮮丼
もちろん、魚が新鮮で美味しかったです。
駐車場は満杯
訪問した時は大繁盛でした。
なお、こちらで食事をすると
安芸灘大橋の通行割引券がもらえます。
羽前高松 慈恩寺 [旅行]
左沢駅から2駅もどり、羽前高松駅で下車しました。
羽前高松駅からは、かつて出羽三山駅へと参詣客を運ぶ
三山線が出ていましたが、
今はその面影はなく、駅員がいない、自動販売機もない
バスの待合所のような小じんまりした駅舎がポツンと置かれているだけです。
駅で下車したのも私一人。
人影がない。
見かけたのは、列車に乗り遅れて青い顔でスマホを入力する男子高校生ただ一人
次の列車まで1時間以上あるもんな、そりゃ青くもなるでしょ。
さて、羽前高松で下車した理由は、
北へ20分ほど歩いた場所にある古いお寺、慈恩寺を観に行こうと思ったからです。
まずは10分ほどで、寒河江川にかかる橋
慈恩寺大橋に到着
橋の上からの眺め、いい景色です。
遠く見える白いなだらかな斜面を持つ山が月山
春のみちのくは、街道沿いのレンゲやタンポポがきれい
有名な観光地へ行かなくても
町はずれを歩くだけで、
十分観光になりますね。
また山登りだ。
坂道を上り
最初に現れたのが 善蔵坊と呼ばれる施設
慈恩寺には、本堂の他に
修験の場所として、
●●院と呼ばれる施設が3つ
●●坊と呼ばれる場所が17か所あるそうです。
●●坊はかつては48あったそうで、
僧侶たちがそれぞれの場所で、見張りをしたり、役割が与えられていて
企業でいえば、●●株式会社の●●センターとか●●課みたいなものだと解釈していますが、
慈恩寺の規模、勢力の強さを伺い知ることができます。。
こちらは3院の一つ 最上院
本堂へ向かいましょう
さらに階段を上ります。
慈恩寺の山門
月の初めに、境内に音が響き渡る舞楽奏上などのイベントがあるそうですが、
特に何もない土曜日ということで、
静寂の中、門をくぐりました。
慈恩寺の山門は1736年に築造されたもので、
県の指定有形文化財
イベントも一度見てみたいですね。
そのときは楽屋で使われるとのことでした。
本堂は1618年、当時のお殿様 最上氏が築造したもので
こちらは国の重要文化財です。
慈恩寺は奈良時代、724年に行基が開山場所としてこの地を選び
都に帰り聖武天皇の勅命をもらい、
746年に寺院が開基されたと伝えられています。
奈良時代と言えば、畿内で地震が連発し、世の不安を治めるため
奈良では大仏が造られ、全国に国分寺が設置されていた時代。
東北地方も火山だらけで地震の多い場所だけに
天災やらいろいろあったかもしれません。
天台大師堂
ただし、奈良時代の寺の建て方と違うので、
創設されたのは平安中期の10世紀との説もあるようです。
慈恩寺は歴史的に非常に奥が深く、
素人が知ったかぶりで語れるようなお寺ではないです。
平安時代の荘園の地頭や、戦国大名、明治政府
時代時代の権力者の庇護を受けあるいは翻弄されながら
独特の宗派、慈恩宗として発展
釈迦堂
ここが本山になっているということ。
御本尊が弥勒菩薩だけではなく全部で5神あり、
各宗派仲良くしましょうというスタンスがユニークです。
三重塔
仏像を拝みたかったのですが、
先を急がねばならないので
時間をかけての参詣は次回にしました。
現在は舗装された道路が走り、
敷地の中に今風の住宅も見られますが、
かつては山の中の秘境のような場所だったんでしょうね。
不動堂
3院の一つ宝蔵院の表門へ上る階段
造りは室町様式
門には江戸初期の修験僧の護摩札が多く貼られていたそうです。
県の指定文化財
宝蔵院
東に隣接する子安地蔵尊
階段の上の丸い座布団のような石は、
「男はつらいよ」シリーズ第16作のロケで
渥美清がこの石の上に座り、
しばらく景色を眺めていたことから
「寅さんの腰かけ石」という名前がついているそうです。
ロケがあったのは1975年
寅さんが座ってから、40年後の景色はこうなっています。
子安地蔵尊
奥にある、華蔵院
最上院が天台宗側、宝蔵院、華蔵院が真言宗側
なんかおもしろいですね。
テーマパークみたいなお寺だったのかもしれませんね。
さて、羽前高松駅に着いたのが9時3分
次の列車は10時28分、さらにその次が12時53分
最終目的地の天童へは、
寒河江から天童市の市バスで行くと早いということを知り
時刻表を観たら、寒河江駅バスセンター発13時となっています。
12時53分羽前高松発の列車が寒河江に到着するのが12時59分
えーーーー間に合わないよ。
2時間に1本しかないバスと、2時間に一本の列車の接続で
一分しか余裕がないなんて!!
そんなご無体なぁ~
絶対に間に合わない。
太川陽介の苦労がよくわかりました。
もっとも北山形で奥羽本線に乗り換えればいいのですが
これまた、つながりが微妙なんです。
そこで、10時28分に乗り、
13時のバスまで寒河江をぶらつくことにし
急いで下山しました。
白い花がきれいですよね。
プラムの畑です。
知ってました?
再び、寒河江川を渡り
10時28分 羽前高松発 山形行き
先ほど下車した列車の
次の便に乗りました。
左沢 楯山公園 [旅行]
山形駅から、
フルーツライン左沢線、7時4分発
左沢行き列車に乗りました。
単線なので、2両編成かなと思い、
プラットホームのどの辺りで待てばいいのかわからずキョロキョロ
地元のJKに伺ったら、ホーム全部止まるから大丈夫」だと
この列車6両編成、意外に長い
しかし、6両で走るのは寒河江までで、
4両は寒河江で切り離され、
山形行きの通勤・通学列車に変身し、引き返してしまうシステム。
左沢まで行くには、前の2両に乗らないといけないということが判明。
で、一番前の車両に乗りこんで出発
列車のフロントから車窓を眺められるので、
ニワカ鉄ちゃんと化し、車窓をカシャリカシャリと撮影。
この路線のハイライトは、最上川を渡る鉄橋です。
明治時代に建設された、全錬鉄製ワーラントレス橋という
詳しくは知りませんが、貴重な文化遺産だそうで、
確かに渡っている間、異空間にいる感じがしないでもない。
列車が寒河江に入り、線路が左にカーブすると
雪を被った山が見えてきます。
肉まんの上の方だけ出ているような、なだらかなスロープの月さん
ごつごつした感じの葉山、車窓がきれい!
二つの山は、寒河江駅からよく見えます。
あと1週間早ければ、満開の桜を満喫できたのかもしれませんが
ちょうど散っている時期でしたね。
しかし、場所によっては、まだ残っていました。
8時前に、終点左沢駅に到着。
ここから、1.5kmほど歩いた場所が、今回の目的地です。
土曜日の早朝ということもあるでしょうが、
それにしても駅前がさびしいです。
お店もない、さびしい線路際の道を北東へ向かってテクテク歩くと、
細い田舎道から、急な山道に入ります。
敢えて一気に山頂へ行く近道を選択しましたが、
夜行バスで睡眠が不十分だったせいか、
腿の筋肉にギシギシ負担がかかる。
本日、最初のメニューなのに、
ここで足を傷めては元も子もない。
休みながら、無理をせず、上ること約10分
見えてきたぜ
冒頭の写真の景色は、
ここ大江町の楯山公園からの眺めです。
いやぁ~ 絶景!絶景!
下の写真をクリックし、大きな写真で見てくださいな。↓
ここ、大江町 楯山公園の真下で
北上していた、最上川の流れがヘアピンカーブを描き
南へと方向を変える。
遠くに蔵王が望めるのですが、
霞がかかりぼんやり見えている状態でした。
ところで、「左沢」という駅名。
東京の人間で読める人はは1%以下ではないかと思います。
有名な難読駅でして、
「あてらざわ」と読みます。
なぜ「左」と書いて「あてら」なのか?
大江町史編纂委員会の解説によれば
かつて寒河江の領主だった大江氏が、近郊の長岡山に登って西の方を見たとき
平の山の左に見える山谷を「あちらの沢」とよんだことが地名の由来・・・
と伝えられているとのことですが、諸説あるようです。
ちなみに「右沢」は何と読むか?
あちら じゃなないからこちら、
こてらざわ? 惜しい!
かてらざわ だそうです。
ということで、
次の目的地へと向かいます。
東海道新幹線の車窓から見える天守閣はいくつあるか 2014総集編 [旅行]
東海道新幹線の車窓から見えるお城の天守はいくつあるか?
歴史上存在しなかった模擬天守を含め
確認されているもので、16あります。
2014年、そのすべてを写真に収めようと狙いましたが、
宿題を2つ残し年末を迎えることとなってしまいました。
最近はなかなか新幹線に乗る機会がないのですが、
来年は頑張って目標を達成しようと思います。
では、
その16のお城を復習しておきます。
東京から新大阪へ向かい順番に行きましょう。
1.小田原城 (海側)
2.熱海城 (海側)
3.小山城 (海側)
4.掛川城 (山側)
5.浜松城 (山側)
2016年3月17日撮影
豊橋では吉田城が見えるかもしれないと研究中。
6.岡崎城 (山側)
7.名古屋城 (山側)
8.清洲城 (山側)
9.小牧山城 (山側)
NO IMAGE
10.岐阜城 (山側)
11.墨俣一夜城 (山側)
12.大垣城 (山側)
13.長浜城 (山側)
14.彦根城 (山側)
15.伏見桃山城 (海側)
16.大坂城 (海側)