大崎下島 御手洗 [旅行]
瀬戸内海、大崎下島の東岸にある御手洗地区です。
御手洗は、江戸時代「風待ちの港」と呼ばれる場所でした。
17世紀 瀬戸内海の物流は、
それまで、本州の海岸沿いの航行から
航海技術の進歩により沖を航行できるようになり
地形的に潮の流れが静かな御手洗は、
海がしけた際の、航海者たちの寄港地として
発展した場所です。
現在も当時の古い町並みを残しており、
国の重要伝統的建造物群保存地区 にも指定されています。
地名の「御手洗」の由来は、諸説あるそうです。
神功皇后が三韓征伐の際、この地で手を洗った。
戦後の教育では、神功皇后という人物について学校で教えないので、
多くの日本人が「だれ?」となりますが、
彼女が実在したかどうかは別として、
日本人なら一度は
自分で目で調べて記憶しておきましょう。
また、901年、菅原道真が大宰府に左遷されたとき、
この地に立ち寄り、手を洗った井戸があり、
その故事が現在の「御手洗」の地名の由来になっているとも言われていますが、
上記のように、町として発展したのは江戸時代中期のことです。
上の画像、天満宮にその井戸があるとのことですが、肝心の井戸の画像は撮りそこないました。。。
では、町をぶらつきます。
町といっても、そんなに広いところではないので、
30分もあれば一周できます。
まず、天満宮への参道の入口のところ
町が繁栄していた当時の町年寄を務めていた金子さんの屋敷跡。
続いて、そのはす向かいにある若胡子屋跡
若胡子屋は、広島藩公認の待合茶屋、
御手洗には4件の茶屋があったそうですが、
この若胡子屋はそのうちの最大の待合茶屋で、
一説には100人もの芸妓がいたとのことです。
現在は資料館になており、自由に内部を見学できます。
建物は鉄骨で補強されていますが、
いわゆる観光地の施設っぽさがなく雑然とした感じですが、
それがまたいいですね。
繁栄した当時の姿がそのまま残っており
船乗りが娼妓と遊んでいた時代
昔の遊郭ってこんな感じだったんだろうな、
中庭なんかなかなか情緒があります。
関東では、こういう屋敷がなくなってしまいましたね。
狭い土地に、網の目のように広がった町には
漆喰の壁のある家が多く
これがまた、タイムスリップ感を味合わせてくれます。
この時計店も風情があります。
というか、新光時計店、古くは松浦時計店として
観光案内のパンフレットにも載っている
現存する日本最古の時計屋さんではないかと言われている
有名な時計屋さんです。
お次は乙女座
この施設も江戸時代のものではなく
昭和初期に開設された映画館です。
こういうモダン建築は、
東京では関東大震災で破壊されてしまったり、
戦後、再開発で取り壊されてしまったり、
希少価値になってしまいましたね。
こんな遠くの島の中に現存しているのが何か不思議です。
一時休刊していましたが、
2002年に劇場として復元され、
現在で、は映画や演劇などで現役の劇場です。
アニメ「たまゆら」の登場人物 桜田麻音の出身地が
御手洗ということになっているそうで、
そのコラボ企画の告知ポスターなども貼られていました。
七卿落遺跡
1863年に京都から公家7人が追放され、そのうち5人が長州に逃れる途中に
この地に立ち寄って宿泊したという故事から
七卿落という名前がついている住宅
元は御手洗町年寄の屋敷。
そのすぐ前
恵比須神社は小さな神社です。
いや、参道が海に向かっているので、
本当は大きいのかもしれません
正面、右が岡村島、中央が中ノ島
大崎島々と岡村島の間にかかる三本の橋がここから眺められます。
こういう古い木造住宅が多く並びます。
なまこ壁
船宿
高燈籠
開運の神様 住吉神社
海辺にある、ちょっと変わった神社です。
千砂子波止は、江戸時代に築造された
石積みの波止場です。
波止場の突端から見た御手洗の町
レトロな洋館
ふるさと学園
満舟寺
荒神社の階段
先ほどの恵比須神社のあたりから、
細い路地が放射状広がっているので
地図をみていないと方角がわからなくなります
こちらがメインストリート
常盤町どおりには、漆喰のある木造家屋が並んでいます。
潮待ち館
なぜか、伊能忠敬測量絵図館があります。
佐原の記念館へ行ったこともあるので何か不思議な感じがします。
狭い地区ですが、見どころがたくさんあって面白いです。
歴史が好きな方には絶対おすすめ
何よりも景色が美しい!!