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箕面 西国街道2 [街歩き]

171号を渡り、箕面市の西国街道を東へ東へ、
京を目指して歩いています。  

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しばらくして、右に広い畑が現れました。

正直、昔の「街道」という価値
意味を知らなければ、ただの郊外の畑のある風景。

ただ、下の写真の場所、
段差が気になります。 

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ときどき現れる土蔵

昔からこの地域は経済的に豊かだったんでしょうね。 

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桜井駅から東へ約3キロ

だんだん街道ぽくなってきました 

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浄土真宗のお寺
浄園寺の高い石垣 

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この付近の地名は、箕面市萱野になります。 

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萱野とは、この地にに領地をもっていた豪族萱野家
赤穂藩士、萱野重実の姓に因んでいるもの
と理解しましたが、

古くからこの地は萱野村と呼ばれていたそうで、
地名が先か、名前が先か、由来はわかりません。

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萱野重実、通称 萱野三平は、48人目の赤穂浪士と伝わっています。
俳人として知られ、多方面で優れた人物だったようです。

「三平」と聞いて、正直、
古くは「どうもすいません」の林家三平と、
あまり売れていないバラエティタレント
しか思い浮かびませんでしたが、

今回、勉強させていただきました。

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萱野三平の旧邸は、現在 萱野三平記念館「涓泉亭」として
箕面市の観光施設になっています。

邸宅は明治時代に取り壊されましたが、

土塀の一部と長屋門が保存され、大阪府から史跡に指定されています。

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吉良義央のパワハラに切れた 主君 浅野長炬が、
「てめえ、このやろ」と殿中刃傷事件を起こし、
切腹させられた経緯は、あまりにも有名。

三平が早かごで、赤穂に一報をもたらしたあと、
この建物の一室で自害したと伝わっています。

庭には、彼の辞世の句碑が残されていました。

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さて、さらに東へと向かいましょう。  

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大分、都市化が進んできていますが、

まだまだ田舎という感じ  

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 そして、ところどころに、

由緒ある建物や祠などが現れます。

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