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露國大使館 [タイムスリップ]

明治時代の大使館巡り

5カ国目はロシアです。
日露戦争、レーニン、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキン

こういう単語がそのまま現代だった時代です。

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この古写真の場所の現在の地名は霞が関。

財務省の敷地です。

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では、現在のロシア大使館がある場所はどこかといえば、
港区 狸穴(まみあな)です。

緊張関係もある隣国ということで、
警備も厳重。
カメラを構えていたら、警察官に声をかけられました。 

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実は、カメラをもっての大使館巡りは、結構危険です。

今回、古写真の現場を訪ねながら、
警察官とお話しすること4回

中国大使館やアメリカ大使館の前
おまわりさんに睨まれながらカメラを構えるのは
勇気が要ります。

写真撮影は、事前に警備の人に断ったほうが
怖いおもいをしなくて済みますが、
スリルを楽しんでしまうもう一人の自分がいたりして。

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そうそう、

映画「三丁目の夕日」の映像を観たとき、
この、ロシア大使館の前の道、

狸穴から見える東京タワーを思いだしました。

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マイナーな話ですが、
FC東京のマスコットの東京ドロンパの故郷がここ、
狸穴。

この坂が狸穴坂
江戸時代からある道です。

麻布には狸坂もあるし、暗闇坂とか、
木々が鬱蒼と茂り、狸もたくさんいたのでしょうね。

00rusisia n5.jpg


ということで、霞が関から狸穴まで歩いたわけですが、
この一帯の開発の勢いは
尋常じゃないですね。

まだまだ、たくさん高層ビルが建てられそうです。
これからどこがテナントとして入るんだろう?
誰がマンションを買うんだろう?
景気が悪いなんてうそでしょ。

東京は常に変化している街です。

とはいえ、
こんな乱開発状態でいいのかなあ?

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セイ ヤング オールナイ トニッポン コンサート Are you ready? Oh! [ラヂオ]

1月29日、30日の二日間、日本武道館で
ニッポン放送の「オールナイトニッポン」と、文化放送の「セイヤング!」
この二つの深夜放送のパーソナリティを務めた
フォークシンガー4人がコラボしたコンサートがありました。

1日目が泉谷しげると谷村新司
2日目が南こうせつとさだまさし
ということで、その二日目に行ってきました。

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九段下の駅から、
40、50代のおじさん、おばさんの大行列。
私ら夫婦もその中にピッタリはまってしまいました。

コンサートの模様はあとでスカパーで放送されるそうなので、
ネタばれさせちゃいけないと思いますが、
少しだけ感想を書いておきましょう。

スタートは、午後4時、
時間が長かったけど、とても懐かしく
また、非常に楽しいコンサートでした。

第一部は、
こうせつさんとさださんの
交代で自分の作品を歌いながらのトークショー

途中からアルフィーの坂崎さんが加わり、
ものまねあり~の、音楽ギャグあり~の で
フォークルなど他のアーティストの作品の演奏もありました。

さださんが、もうくっちゃべって・・・・(^^)

ロック小僧としては、
「さだまさし」の歌を聴くのは焼きが回ったような気がして、
なかなか感情移入しづらい部分もありますが、

トークは最高におもしろいですね。
俺、もしかしたら、さだまさし好きかも・・・(笑)

それにしても、
あの幅の広さは一体何なんだろう、
借金が芸を磨き、器を大きくしたのかな
とか、思ってしまいました。

こうせつさんは、かぐや姫時代から、
トークが多く、コミカルなコンサートが有名でしたが、
さださんとタッグを組むと
吉本の芸人より遥かに面白いですな。

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第二部は、司会の斉藤安弘、吉田照美ご両人が登場
二人の司会進行で、懐かしい深夜放送の思い出話に花を咲かせました。

スクリーミン・ジェイホークスの「便秘のブルース」

懐かしいですねぇ。

1970年ごろの火曜日の真夜中
東京の男子中学生は、午前二時になると、
ニッポン放送にダイヤルを合わせたものです。

オールナイトニッポンのリスナーじゃなくても、
アンコーさんのオールナイトニッポンの「ムードコーナー」で、
う●この話を聴いてました。
途中、

アンコー「実は深夜放送はもう一つあって、赤坂の方の・・・」
照美「パック・イン・ ミュージックでしょ」
アンコー「それを言いたくなかったんだけど。」
照美「いいじゃないですか、いがみあっているわけじゃないんだから」

こんなやり取りがありました。

また、アンコーさんから、

上司から「下ネタはやるな」という厳命を受けてやらなかった。
やっていたのは、愛川欽也さんのパックで、
テトラ、パパイヤと言葉をオブラートにつつみながら・・・。

という話も出ましたが、

実は、アンコーさんのオールナイトニッポンは、
始ったのがキンキンのパックより4年も古く、

アンコーさんの初期、
唯一お色気が売りになっていたのは
金餅梅のナチチャコパックだったんですよねえ。
この日、「ナチチャコ」はNGワードだったのでしょうか? 
出演者の口から一言も出ませんでした。

今回の企画で、
”深夜放送の二大ブランド” という表現があって
なんとなく、歴史が歪曲されているような気がして・・・
おとなの話はいろいろありましょうが、

武道館のお客さんにはパックのリスナーもいるんだし、
もう少し、敬意を表してもいいのかな?
とか思いました。
 
もっとも、欽也さんのパックの件は
アンコーさんの裏番組だったという事情から、
こういう話になったのかもしれませんね。

ついでに言えば、
こうせつさんも、1975年から79年まで
オールナイトニッポンのパーソナリティをやりましたが、
その前1年半は、木曜パック担当だったんですよねぇ。

いやな思い出でもあるのか、
履歴から消してしまっているみたいです。
 
思えば、40年前
「深夜放送まつり」といって、
ニッポン放送、文化放送、TBSラジオにラジオ関東まで加わり

深夜放送のパーソナリティが一堂に会する催しがありましたよ。

そんなことを、思い出しました。

とにかく、TBSラジオがんばれ!!

002.jpg


第三部は、こうせつさん、さださん、
それぞれののライブ

最後は、フォークのライブ定番
「あの素晴らしい愛をもう一度」の合唱で締めくくりました。

4時間にも及ぶコンサートが終わり、
帰ろうとして立ちあがったら、
膝がガクリ。

ああ歳だなぁ、と思いました。

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