墺國大使館 [タイムスリップ]
古い写真の現場を訪ねるシリーズ。
明治時代の大使館巡りをしています。
7カ国目は、オーストリア・ハンガリー帝国の大使館。
立派な建物ですね。
この写真の今は・・・・
この辺りではないかと思います。
紀尾井ホールのある場所。
所在地「麹町区紀尾井町」は、現在の千代田区紀尾井町
紀尾井町の紀尾井は、紀伊、尾張、井伊の
三つのお屋敷があったことからついた地名で範囲が広い。
私の持っている明治時代の東京の地図にも、
「墺國大使館」の表示がありません。
ネットで検索したところ、
越取さんのホームページの中に、
「墺國大使館」の建物について
「かの鹿鳴館を建てたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルによって,
紀尾井坂(麹町区紀尾井町7番地)に立派な建物が落成しました。」
との記述がありました。
紀尾井町7番地は、現在上智大学のキャンパスです。
四ツ谷駅の南東にある大きな敷地で、
南の境界が紀尾井坂になります。
下の写真が現在の紀尾井坂。
古写真を見ると、右の方が下っているように見えます。
ということは、この坂を上りきったあたり、
紀尾井ホールが建っているあたりでしょうか。
紀尾井坂の上からの眺めはこんな感じです。
左が紀尾井ホール、右がホテルニューオータニです。
オーストリア・ハンガリー帝国は、
第一次世界大戦発火の舞台となり、
以後、二つの大戦を経て、
現在はオーストリア共和国となっています。
冒頭の立派な大使館の建物は
1923年の関東大震災で倒壊。
第二次大戦後、オーストリアの大使館は、
新しく麻布に建てられました。
麻布十番から少し西へ行ったところ、
現在のオーストリア大使館は、麻布の暗闇坂の途中にあります。
♪ ももんが ももんが
はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」
を口ずさみたくなりますが、
今はももんがはいないでしょうね。
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