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ヤングタウンTOKIO [ラヂオ]

暮れに「ヤングタウン東京」についてのコメントをいただき、
懐かしくなり、ヤホーで調べてみました。

ウィキペディアに記述があったので、参考にさせていただきます。(ヤングタウンTOKYO ) 

ヤングタウンTOKYOは、1969年に放送を開始した
TBSラジオの若者向け公開番組です。
69年、70年ころといえば、若者向けの公開番組や電話リクエストなど、
参加型の番組が人気で、どの局も似たような番組を制作していました。

その代表的番組が、関東では文化放送の「ハローパーティー」。
当時、司会の土居まさるはアイドル的人気がありました。
関西は毎日放送(MBS)のヤングタウン。
若手落語家の桂三枝が人気者になっていました。
後の「ヤングOH!OH!」はこの番組のテレビ版ですよね。

TBSラジオは、土曜の夜、ナイター中継の後の番組として、
ヤングタウンの関東版、「ヤングタウン東京」をスタートします。

司会には、桂三枝を起用。
今は当たり前になってしまいましたが、
当時は上方の落語家が東京で司会をするのが珍しく感じられました。

70年ごろ、関東で関西の空気が流れる時間帯はたとえば日曜日の午後。
「がっちり買いましょう」のいとしこいし、ダイビングクイズの若井はんじけんじ、
など限られていました。

今は、関東でもテレビをつけると、関西のお笑い芸人がウンザリするほど登場しますが、

桂三枝は彼らにとってパイオニアでしょうね。

 20090103 yt.jpg

桂三枝の東京進出の足がかりになった番組が、この「ヤングタウンTOKYO」でした。

私の手元に残っている資料は、1970年のもの。

ナイターシーズンが終わったその年の冬は、放送開始が夜の8時、
司会は8時から北山修、10時から桂三枝、
番組名も”TOKYO”ではなく、「ヤングタウンTOKIO」でした。

番組の冒頭で、小島一慶アナウンサーの掛け声で、観客に番組名を叫ばせるベタなパターン。

20090103 ytikkeis.jpg

「サアー 土曜の夜は・・・」

「ヤングタウントーキョー!!」

関西の方には、東京の斉藤努アナだと言えばわかりやすいかもしれません。(ほんまかいな?)

他にはアシスタントが女優の島かおり。
しばらくして、マリ・クリスチーヌと交替しました。

他にも、うつみみどり、なべおさみ等が出演していたようですが、
記憶がありません。


いろいろなコーナーがありました。

ふるさと電話、11,000,000人の音楽、テレフォンデート・・・

どんな内容だったか、忘れてしまいましたが、
男の声で、「♪テレフォンデート」とかいう歌が流れていました。

オノマンのヤングメイツ情報

確かに、小野満春さんという記者が出演されていました。

歌は杉田二郎、赤い鳥。

私は赤い鳥のファンでした。
当時は、「河」「誰のために」「竹田の子守歌」をよく演奏していた記憶があります。

20090103 ytakaitori.jpg

1972年秋、ラジオ関東が、「全米TOP40」を放送開始。

アメリカの音楽チャート、ビルボードの最新情報が得られる
洋楽ファン待望の番組に、私も飛びつきました。

「ヤングタウンTOKIO」は、この番組と放送時間が被っていたので、
73年以降はあまり聴かなくなりました。

鈴木ヒロミツ、かまやつひろしが司会の「女の子だけで満員御礼」
中村メイコの「私のロストラブ」
毒蝮の大放送 等

模様替えを繰り返しながら1986年まで続きました。

太田裕美やキャンディーズの歌を、この番組で聴いた人もたくさんいるでしょうね。


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