熊本城 [旅行]
島原から有明海を渡り、
熊本へやってきました。
熊本といえば、熊本城。
熊本駅からは、お城を周遊するバス
「しろめぐりん」で行くのが便利ですが、
市内観光もするなら、300円のしろめぐりんの一日周遊券よりも
市電にも乗れる500円のわくわく1dayパスの方がお得です。失敗しました。
さて、熊本城。
熊本城へは過去に何度か、訪れたことがありますが、
ジックリと見て回ったのは今回が初めてでした。
二の丸駐車場でバスを降り
西大手櫓門から
南大手櫓門
天守への入口、頬当御門、
変な名前の門です。
天守閣が顔なら、門が甲冑の頬当てに見えることから
その名がついたとのこと。
現在はここがお城の正門みたいになっていますね。
頬当御門からは、1時間おきにガイドの女性が、
無料で城内を案内してくださいます。これもお薦め。
熊本城は、加藤清正が1601年(慶長6年)から7年をかけて築いた巨大なお城。
資料によれば、櫓49、櫓門18、城門も29あったそうで、
福岡城や島原城と比べ、圧倒的に規模が大きい。
城主は、加藤家は清正の息子の代に城を追い出されてしまい、
以後、細川のお殿様が11代務めました。
明治時代に廃城となりましたが、
西南戦争では、政府軍が拠を構え、薩摩軍を迎え討ちましたが、
その時に天守など、主要な建物が不審火で焼失。
現在の天守は1960年に復元されたもの。
明治時代に焼失を免れたのは、
宇土櫓など、数えるほどの建物だったそうですね。
しかし、さすが名城と呼ばれるだけあって
見ればみるほど立派なお城ですね。
未だに櫓など復元が続ているし、
熊本の人たちの城にかける熱い想いも感じます。
天守閣の真下の石垣は、表面がはがれて
凹んでいますが、
これは明治時代に高熱で焼けた跡だそうです。
ガイドさんの説明を聴き、へ~と感心
本丸御殿の下の闇り(くらがり)通路
御殿が二つの石垣を跨いで造られているため、
このような地下鉄の通路のような場所が
出来てしまったそうです。
熊本城観光、最大の目玉、天守閣
中は鉄筋コンクリートののビルです。
ただ、名古屋城や大阪城のようなのようにエレベーターがなく、
小天守閣に登って降りて
大天守閣に登って降りて
疲れます。
そういえば、名古屋城は木造でサイド復元するそうですね。
熊本もいずれそういう動きが出てくるのでしょうか。
本丸御殿の大広間
本丸御殿も復元された建物。
平成20年に落成され、
目玉は昭君の間
中国、漢の時代
絶世の美女でありながら、絵師に賄賂を贈らず
醜く描かれたがため、匈奴へ嫁に出された悲劇の女性
と伝えられていますが、
これって中華思想丸出しの話で、
漢に残っていたからといって幸福だったとは限らない。
2000年以上も昔の話だし、
本当のところはどうだったのかわかりません。
でも、なぜ昭君の故事だったのでしょうか?
説明を聴きましたが、
あまり納得感がなかったな。
お次は宇土櫓
明治から昭和、平成と焼失せず、
江戸時代の姿のまま残っています。
櫓の中は一般公開されているので、
熊本城観光で、ここは外せません。
次は1989年(平成元年)に復元された数寄屋丸
接待用に造られた建物で
お茶会や能などが、
ここで開催されていたと聴きました。
石垣も見て歩きました。
立派です。
とにかく高い。攻めづらい。
東竹の丸には、宇土櫓同様
西南戦争時にも焼けなかった
重要文化財の櫓があります。
これは源之進櫓
ここに並ぶ櫓は武器庫になっていたようです。
本殿の下、南側をぐるりと歩いて
熊本城の石垣解説でよく登場する「二様の石垣」です。
この二様の石垣は石の積み方が異なります。
傾斜の緩い方が築城初期、
傾斜が急な外側の石垣が後に造られたものです。
石垣も改良を加え、より急な角度に
なるよう工法を開発していったんですね。
ちなみに、石垣の外側は、細川忠利の代
本丸御殿を増築する際に、積み足したものです
石垣絶景ポイント
石段も、歩きづらくするため
段の高さを変えたりしたそうです。
飯田丸五階櫓
この櫓も復元されたものです。
二の丸の東、桜の馬場 城彩苑
腹ごしらえとお土産購入ができる複合施設です。
その中、湧々座には
お殿様、お姫様の衣装を身につけることができる体験コーナーや、
大型の紙芝居で、熊本の歴史を勉強できる設備があります。
撮影OK
休憩用にちょうどいいです。
最後は加藤神社
ここから見る熊本城の姿が美しいとのこと。
いかがでしょうか?
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