福岡城址 [旅行]
GWの連休は、九州へ行ってました。
例によって備忘録として記録しておきます。
第1回は、福岡城址
関東の人間に、福岡で行きたい場所はどこかと聴けば、
博多の繁華街、
中洲、長浜ラーメン、
福岡ソフトバンクホークスが試合するヤフオクドーム
少し足を延ばして太宰府天満宮・・・・
普通「福岡城」は選択肢に入りません。
この日は博多港どんたく
お祭り初日で、
地下鉄も、天神の繁華街も、人、人、人
ひねくれ者の私は、
静かな場所を求め、
城址の大濠公園を訪れることにしました。
松本、彦根、熊本、姫路
観光の目玉になっているお城は
天守閣があります。
お城の知名度を上げるためには
天守を復元するのが一番手っ取り早いわけですが、
福岡城の場合は、どんな天守だったか、
そもそも天守があったかどうかも
ハッキリしないらしいです。
ただ、同じ九州の熊本城の人気ぶりには
福岡として、心中穏やかではないかもしれません。
とはいえ、福岡城址は、
天守はなくても、十分タイムスリップ感を味わえる場所でした。
上の古い門は、16世紀、小早川隆景が建設した名島城の脇門、
名島門です。福岡市指定文化財。
江戸時代、筑前福岡藩初代藩主になる黒田長政が
福岡に城を移してからは、
重臣の一人の邸宅の門として、使用されていたそうです。
黒田長政の親父さんは有名な軍師 黒田官兵衛。
官兵衛は、その名を如水とも呼ばれますが、
彼が隠居していた三の丸は
現在、牡丹・芍薬園になっていますね。
訪問した日は芍薬が咲き始め、
とてもきれいでした。
ちなみに写真はルーズベルトという品種
牡丹・芍薬園のある丘の下には
古い歴史的建物
旧母里太兵衛邸の長屋門があります。
母里太兵衛?
誰?槍の名手?豪傑?
聞いたことないなあ、と思いましたが、
「酒は飲め飲め」の黒田節に歌われている人
と聴いて、ああ、そうなのか、と
勉強になります。
その北
下之橋御門と塩見櫓
下之橋御門は三つあった福岡城の御門の一つです。
海側なので、ここから魚とか米とか入ってきたんでしょうね。
この御門、
19世紀初頭に築かれましたが、
2000年に不審火で焼失
酷いやつがいたものです。
現在ある門は復元されたものです。
お次は櫓。
福岡城には櫓が50近くあったそうで、
塩見櫓はその一つ
塩見櫓は、大正時代に黒田家の別邸に一回移築され、
1956年(昭和31年)、現在地に再移築したとのことです。
でも、調査してみたら、「塩見櫓」と呼んでいたが
福岡城の本当の塩見櫓は
どうもこの櫓ではないようだ、
そんな話になっているようですね。
とにかく、わからないことが多いのでしょう。
ちょうど、櫓の中が公開されいたので、
これ幸いと見学してみました。
要するに、倉庫。
特にどうってことなかったです。
蛍光灯もあったし。。。
案内のボランティアの方々が、
親切に説明下さいまして、
大変勉強になりますね。
名札が黒田さんだったりすると、
思わず、お殿様はこういう方だったのかな、
とか想像してしまいます。
次は天守台の方へ行ってみました。
来年のNHKの大河ドラマが黒田官兵衛、
V6の岡田准一が主役を演じるそうで、
あちらこちらにのぼりが観られました。
今はお城を訪れる人はまばらですが、
これからたくさんの観光客やってくる。
ボランティアの方たちの笑顔から
そんな期待感も伺えました。
石垣が立派ですね。
上は表御門櫓があった場所
もっと建物があったのでしょう。
下の写真は、祈念櫓
鬼門封じを目的に建てられたとか。
建立は幕末、1860年だそうです。
天守台へと上がる石段
マヤ遺跡みたいな感じもしないでもない。
天守台からの眺め。
いい景色じゃないですか。
大都市福岡のど真ん中に、
こんなに高いところがあるとは知りませんでした。
歴史資料があれば、天守を復元したい。
実際、店主があれば、様相がまるで変わるでしょうし、
その気持ち、よくわかります。
最後は二の丸
残存する櫓としては、
最も大きい多聞櫓へ行ってみました。
江戸時代から残る
貴重な建物の一つですが、
この櫓も19世紀に建て替えられたものだそうです。
第二次世界大戦後は、
大学の寮としても使っていたそうです。
内部が非公開だったのは残念。
観光地としての福岡城は、
これからでしょうね。
城内、平和台球場があった場所では、
現在、鴻臚館の発掘調査が進んでいました。
ここで金やんとビュフォードの乱闘があったんだよなぁ。
鴻臚館は、平安時代の外交および海外交易の施設
今でいう迎賓館。
福岡城とは、全く時代が違いますが、
これから何が発掘されるか、楽しみですね。
それまでは
とりあえず、毎日を楽しく生きましょう。