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堺旧市街 [街歩き]

3月の週末、
大阪長居スタジアムへサッカー観戦に行くことになりまして、

とはいえ、大名旅行が出来る身分ではないので、
安い航空チケットを購入、

その到着地が関西空港でした。 

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飛行機が着いたのが午前11時すぎ。

長居スタジアムでの試合のキックオフは15時、

そうなると、14時すぎにスタジアムへ入ればいい。

その間、何とか時間を有効に過ごしたい、
とはいえ、時間が限られている。

そこで、関西空港から大阪長居へ途中にある町、堺。
その堺の旧市街を歩いてみることにしました。

堺へは南海電鉄のラピート号で行くことにし、チケットを購入。

話のタネに乗って見ることにしましたが、
結局、値段の安い航空チケットをとった意味が、
あまりなくなってしまいました。(^^;

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ラピート、快適じゃないですか。
でも、ガラガラ。

関西空港も閑散としていたし、
海を渡ったりんくうタウンにも高層ビルがあるけど、駅に人影がない。

営業大丈夫なんですか?
人ごとながら心配になります。

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さて、ラピートの車窓を眺めながら

おお、ここが毛布で有名な泉大津かぁ、

岸和田かい。岸和田といえば、清原番長の故郷、カーネーションは面白かったぞ。

景色は総武線の車窓に似てるかな

など、

いろいろ余計なことを考えながら、30分ほどで、堺駅で下車。
ここで各駅停車に乗り換え、一駅先の七道駅まで行きました。

ちなみに、関西の方は常識でしょうが、
このブログに迷い込んだ関東の方のためにご報告しておきますと、

七道の読みは「しちどう」です。

将来、堺へ行くことになって
間違っても「ななみち」と読んで恥をおかきにならないよう注意してください。

実際に、関西空港駅で、訂正されました。。。。

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七道駅の改札を出たのが、12時15分。

時間があまりありません。

とりあえず、現在地から
堺東駅まで、東南の方角へ斜めに散歩することにしました。

東へ少し歩き、
目に飛び込んできたのは、昭和の町並み

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この辺り、堺市の北旅籠町西地区は、
第二次世界大戦時の戦災に遭わず、
古い街並みが残ったのだそうです。

それだけに、古いもの、懐かしいものが、
多く残っているようです。

駅に近い宗宅寺、
300年以上の歴史のあるお寺で、

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写真の扉の中には、行基菩薩建立地蔵尊が収められているそうです。

古い碑など、歴史的人物、事件ゆかりのあるものが、
街中にゴロゴロしています。

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しかし、堺市の歴史を勉強したことのない
ただのおのぼりさんにつき、
価値がよくわからない。

とりあえず、観光案内に掲載されていたスポットを目指し
ウロウロ歩き回ることにしました。

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こちらは薫主堂といって、明治20年(1887年)創業の老舗の線香屋さん。

今でも秘伝の調合を守って手作りで線香を作っているそうです。

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漆喰の壁に刻まれた小槌のマークが気になりました。

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お次は鉄砲。

16世紀、種子島に伝わった鉄砲が、堺に持ち込まれ
堺は日本一の鉄砲生産地になりました。

鉄砲鍛冶が多く暮らし、
今でいえば軍需産業で繁栄した町

下の写真は、鉄砲鍛冶屋敷(井上家住宅)です。

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こういう建物は価値がわからないと、
ただの木造の古家にしかみえませんね。

しかし、
日本の町家建築として最古の部類に属し、
鉄砲の生産現場など鉄砲鍛冶屋敷の面影を唯一残す
貴重な建物だそうです。
当然のことながら、市の指定有形文化財。

屋根は切妻造、平入りの建物からなる屋敷は、
江戸初期の鉄砲鍛冶の生活がしのばれます。(堺市ホームページより)

とのことですが、現在も住居として使用しているため、
家の中は見学できません。
その代わり、向かいに小さな歴史館のような施設があります。

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堺の町は、大坂夏の陣で豊臣方が放った火で、
一度焼け野原になりました。

江戸初期に復興した際に、碁盤の目に区画整理ししたそうで、
現在でも、そのときの道路付きがそのまま残っています。

でも、道が狭い。
江戸時代の人は小柄だったと聴きますが、

そもそも、陸上を大量に物を運ぶという発想は乏しく、
水運中心で、幅の広い道はあまり必要を感じなかったんでしょうね。


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さて、ジグザグに歩くうち、
紀州街道に出ました。

東京の人間が、街道と聞いてなじみがあるのは、
日光街道や甲州街道です。

紀州街道の知識はゼロに等しいです。

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しかし、古い由緒ある建物を見るに、
ここが、かつて賑やかな宿場だったことを
想起させられます。

当時の堺の町家の特徴なのか、

古い町屋には、決まって採光のための
漆喰の格子の窓が見られます。

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(御用鉄砲鍛冶 榎並屋勘左衛門 芝辻理右衛門屋敷跡)

この窓のデザインが気になり、捜してしまいました。

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南北に走る、紀州街道には
現在チンチン電車が走っています。

阪堺電気軌道ですね。

乗車したかったのですが、時間がなくて、断念。

写真だけパチリ。
もっと、ゆっくり眺めていたかったな。

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さらに、東南へ歩き

山口家住宅=堺市立町屋歴史館へ寄ってみました。

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現存する江戸時代の町家。

主屋が建てられたのは慶長20年(1615年)、ということなので、
400年も昔。

案内の方のご説明では、
大坂夏の陣で市街地が全焼した直後に建てられたそうで、

土がむき出し状態の土間は、当時のままなのだそうです。

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江戸時代、山口家は近隣の農村の庄屋で、
奉行所との町方、村方とのつなぎ役も担っていたそうです。

当時使用された札などが展示されていました。

枯山水の庭など、
当時の堺の資産家の暮らしぶりがうかがえます。
でも、400年の間には、いろいろな事件があったんだろうなぁ。

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奥座敷にはお雛様さまが、飾られていました。

ちょっと寂しそう。

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さて、先を急がねば。。。

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皇居東御苑 [街歩き]

東京都心。大手町に隣接する、

江戸城の大手門

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江戸城の本丸、二の丸、三の丸があった場所は、
現在、皇居東御苑と呼ばれています。

大手門は、三の丸の玄関。

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ところで、このブログへ迷い込んでしまった、
東京生まれ東京育ちの方に質問です。

あなたは皇居東御苑へ行ったことがありますか?

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ちなみに、私、東京生まれ東京育ちですが、
ここへ来るのは今回が初めて。

武道館のある北の丸公園へは行ったことがあります。

幼稚園の遠足で、新宿御苑へは行きました。
小学校の校外学習で、皇居へは行った記憶がない。

皇居の門はいつも警備の警察官が立っていて入りづらい

入れるのかもしれないが、手続きが面倒くさそう
そもそも入れるの?

そう思って、行ったことがない。

こういう人、多くありません?

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(三の丸 クワ科 ホソバイヌビワ)

確かに、
皇居に不届き者が訪れ、落書きされたり、
貴重な植物を傷づけられては困ります。

敢えて、マスコミで紹介せず、
認知度を下げているのかもしれません。

公開日、公開時間が決まっていますが、
皇居東御苑は無料公開されていて、誰でも簡単に入園できます。

ただし、閉園時に中に人が残らないよう、
入園する門で札を渡され、退園するときににそれを返すシステムになっています。

意外に知られていないように感じます。

では、どういうところなのか。

ほとんど通過しただけなので、
江戸城観光目線でさわりだけ。

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先ほど入場した大手門が三の丸。

このあたりが、三の丸から二の丸へつながるところ。
ここに同心番所がありました。

登城する大名の供に不審者がいないか
見張っていたと伝えられています。
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昔は三の丸と二の丸の間に濠がありましたが、
現在は埋められています。

広くなった場所。
ここは、二の丸と本丸につながる要所で
三之門が設けられていました。

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ここの警備にあたっていたのが鉄砲百人組。

この「百人番所」には警備のため
昼夜交代で常に100人が詰めていたそうです。
鉄砲百人組には、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組と
4組あったそうで、それぞれの違い、どんなファッションだったのか
興味があります。

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番所はもう一つ、大番所が残っています。

さて、北へ歩くと、二の丸
ここには、雑木林が広がっています。

えーーー、ここ東京のど真ん中~?

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ちょうど、ソシンロウバイが満開

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二の丸から本丸へ通じる潮見坂。

江戸時代には、大名屋敷や民家の屋根瓦、八重洲の入江
そういうものが見えていたんでしょうね。

現在は、読売新聞社、三井物産など、
日本を代表するの大企業が入る高層ビル群に姿を変えています。

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本丸へと入りました。

ここが天守台。

明暦の大火で焼失して以来、
再建されることはありませんでした。

歴史的な遺跡の前に立っている実感がありますね。
一度、来てみる価値ありますぜ

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江戸城、2013年の空

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天守台から本丸を見降ろしました。

右奥に大奥、有名な松の廊下跡があります。
結構、広い

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天守台から江戸の北を望む。

木が茂り、眺めはよくないです。
武道館は屋根だけが見えます。

おそらく、江戸時代、
本郷台地の上の神社仏閣が眺められたのではないか
と思います。

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天守台の横、江戸城本丸にやや場違いな感じがする
オリエンタルな建物があります。

香淳皇后の還暦を記念して建てられた桃華楽堂という音楽堂だそうです。
八角形のしゃれた造りの建物です。

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次回はもう少し、時間をかけて散歩してみようと思いました。

その価値がありますね。

札の発券所は北詰橋門、平川門、大手門の三か所で、
どの門から入場して、どの門で退場してもOKです。

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皇居周辺は、土地の起伏があり、

美しい景色の場所が多いです。

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江戸城は意外と
東京人があまり訪れたことのない場所になっています。

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銀閣寺 [街歩き]

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銀閣寺を目指して京都を歩く記事をエントリーしながら
銀閣寺に着かないままでは、と思い、

ベタではありますが、
備忘録として残しておきます。 

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銀閣寺は、臨済宗相国寺派に属する禅寺で、文明14年(1482年)、室町幕府八代将軍足利義政によって建立されたお寺。銀閣寺は俗称で正しくは東山慈照寺といいます。

日本史の教科書にも載っている超有名なお寺なので、
私が解説するまでもないんですけど。。。

義政は偉大なおじいちゃん、足利義満の金閣寺(鹿苑寺)にならい、ここに東山殿を造営しました。

もお~ん、政治は揉め事ばかりで自分の手に負えないし、
お嫁さん(日野富子)は怖いし、
面倒くさいからここにこもって好きなことやらせてよぉ~

そう思ったんでしょうね。

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総門から中門へと続く白砂の参道と生垣。

なんで、こんなに高いのか。

隠れたい!
という気持ちが強かったのでしょうか?

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(庫裡)

庭を歩いているうちに、雨が激しくなり、
フットワークが効かず、写真の出来もいま一つですが、

とにかく、美しいお庭です。

砂で波を表現したという銀沙灘(ぎんしゃだん)。

東山の木々とのコラボレーション。
紅葉の時期は最高でしょうね。

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こちらが本堂

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銀沙灘の向こうに見えるのは、

富士山を模した向月台と銀閣、と外国人のおじさん

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池の向こうは、国宝 東求堂(とうぐどう)。

遠い昔、社会の時間に教わった
「書院造り」という単語が脳の奥から飛び出てきました。

ここの茶室で義政もお茶をのんでいたんですね。

東求堂には、北面の東側に四畳半の部屋がありまして、
今の四畳半という間取りはここから始まったと言われています。

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以前、銀閣には銀箔が貼られていたという説を
きいたことがありますが、

展望台に上がり、庭を眺め、

改めて、そりゃ違うなと思いました。

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見てくださいよ。

この緑の木々と茶色の銀閣との調和。

銀色だったら変ですよ。

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四季折々の銀閣寺も訪ねてみたくなりました。

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東京にはこういう場所がないんですよねぇ。

京都の人がうらやましいです。

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というわけで、銀閣寺

よかった。。。

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参道でおみやげでも買おうかなと思い、

よくわからなかったのですが、
小豆好きということで、
丹波黒豆入りの京きんつばを購入することにしました。

しかし、これが美味しかったです。

甘さが抑えられ、口の中で後を引かない。
お薦めします。

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また、カロリーを気にしない方には、

総門のすぐ目の前にある
まつばやの銀閣寺シューはいかが?

サービスのお茶と一緒に食べられます。

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今出川通 [街歩き]

週末、京都を歩きました。

目的は神戸でのサッカー観戦でしたが、
移動に夜行バスを使ったため、到着するのが朝。

途中下車し、試合までの時間を、
京都の町で過ごすことにしました。

とはいえ、ノープラン。

とりあえず、いままで行ったことがない銀閣寺をめざそう!
そう思ったものの開園までまだ時間がある

少し街をぶらぶら歩いてからと思い、
京都駅から地下鉄で烏丸通を北上。

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5つ目の今出川駅で下車。

ここから、通りをひたすら東へ歩けば銀閣寺に突き当たるはず。
大まかな地図を頭に入れましたが、
急に決めたので、予備知識ゼロのまま地上に出ました。

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まず、目に飛び込んで来たのが、赤レンガ造りの建物。
ほお、同志社大学ってここにあったのかぁ、
と、完全なお上りさん状態ですが、

通りに沿って、一目で歴史的建造物とわかる建物がズラリと並んでいます。

後で調べたら、重要文化財だらけなんですね。
上は有終館、下の写真右は同志社女子大学の建物、栄光館だそうです。
ほかにも、趣のある建物がいっぱい。
赤レンガマニアにはたまらない場所でしょうね。

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歩きだしたのは、今出川通。
以前お参りしたことのある北野天満宮から、
東の銀閣寺まで東西に真っすぐ伸びる通りです。

東に向かい、左は同志社、右は木々が茂る京都御所。
ちょうど京都御所の北の外れに当たります。

その入口、今出川御門です。
京都御所は広いなぁ。

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リアクション 昔稲川 今出川

思いついた しょ~ぉもない五七五を口ずさみながら直進。

大きな通りを渡ると、長い橋が見えてきました。

加茂大橋 

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なるほど。
この橋の北側で賀茂川と高野川が合流し、
鴨川となり京都市内を北から南へと縦断するんですな。

橋を渡り出して、ふと河原を見下ろすと、
おやおや、飛び石があるじゃん。

おもしろそう。

折角だからこちらを渡ることにしましょう。

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橋の上からは穏やかに見える鴨川も
近くによると水流が早く、意外に怖いですね。

流されでもしたら悲惨なことになるので、
足を踏み外さないよう、慎重に横断しました。

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もう少し、天気がよかったらなぁ。

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渡りきった東の土手の上には、
なかなか風情のある柳の並木があります。

したがって、京阪電車の駅の名まえも出町柳。

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さらに東へ歩きましょう

このあたりは田中という場所だそうで、
田んぼだったんでしょうかね?

デザインが妙に気になる公団住宅。

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百萬遍交差点にきました。

立て看板が並んでいるのは京都大学。

最近、大学のそばを通ることが少ないですが、
こんなに立て看板がありますかねぇ?

なんかこの景色は、45~50年前にタイムスリップしたような感覚があります。
いろいろなことで、伝統を守っているいるのが京都なのかもしれません。

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地図を見たら、百萬遍の交差点で、今出川通とクロスするのは東大路通なんですね。

京大が 面する道は 東大路

どうでもいいんですけど。なんとなく詠んでみました。

さて、交差点を渡り、百萬遍知恩寺を覗いてみました。
法然上人ゆかりのお寺です。

京都には、金閣寺、南禅寺、清水寺など
ビッグネームの神社仏閣がゴロゴロしていますが、

さらに、私のような関東の人間にはなじみのない神社仏閣でも
大きなお寺がたくさんあるんですよね。

京都は、お寺を巡るだけでも面白そうなのですが、
入場が有料のところが多いので、お金がかかるのがネックです。

知恩寺のようにフリーで入れる大きなお寺はありがたいです。

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今から645年前に起きた応仁の乱。

「乱」という言葉は、私の場合クーデターのイメージですが、
応仁の乱は京都を舞台にした内戦ですよね。

今出川通の辺りも、きな臭い場所だったのでしょう。

志賀越道との別れ道にある石仏。
子安観音とありましたが、いつ頃作られたものでしょうか。

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ふ~ぅ

京都ッて広いな。

大文字が見えてきました。
銀閣寺まではあと少し。

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山手線の新駅 [街歩き]

東京、山手線に新駅ができるそうです。

田町駅と品川駅の間にある車両基地の跡地を
「国際総合戦略特区」に指定し再開発。
これを受けて、JRは2014年度新駅設置に向け工事に着手する

とのことです。

品川駅と田町駅の間が山手線で一番長い!

これは東京都民の常識ですよね。

この区間は線路と並行して国道が走っています。
第一京浜・・・江戸時代の東海道です。

現在、道路の下は都営浅草線が走っていまして、
田町~品川のちょうど中間あたりには、「泉岳寺駅」があります。

どうやらこの駅とつなげるみたいですね。
駅名は素直に「泉岳寺」がいいです。

新品川とか、南田町とか
新や東西南北の付く駅名はやめてほしいです。

とにかく、今はただだだっ広くて殺風景な場所・・・・

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といいたいところですが、

この付近には
街歩きが好きな人にとってのマニアックな空間があります。

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高輪ガードといいまして、

天井が低くて、やたら長~い、ガードです。

背の高い人はかがんで歩かないとくぐれない
一度行ったら忘れない場所です。

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田町 - 品川間で、クルマが線路を横断できるのは
札の辻橋と、この高輪ガードの二か所だけです。

写真が古いので、
もしかしたら大分様相が変わっているかもしれませんが、
再開発されれば、この異空間もなくなってしまうんでしょうね。

こういう場所が好きな方は、今のうち行っておきましょう。

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あと、この付近は山手線と並行・・・、
というか新幹線の横っちょに貨物の線路が走っていますが、

ちょうどこのガード付近から、貨物線と東海道線が東西に分かれます。

ちなみに下の写真、右が貨物線、左が新幹線の線路です。

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貨物の線路は、海側を進み、大井の東京貨物ターミナル駅へとつながります。
ただし、東京貨物ターミナル駅から北側、
浜松町駅までは現在休止中なので、電車は走っていません。

で、実はこの線路、
東京貨物ターミナルをすぎると、地下にもぐり、
羽田空港の敷地の下を通ります。
天空橋駅のあたりで、東京モノレール、京浜急行とクロスします。

記事を読んで、私思ったのですが、
ここに新しい駅を作るのなら、
使用していない貨物の線路を使い羽田まで旅客列車を走らせれば便利でいいんじゃないかなあ、と。

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ただ、そうするとJR傘下の東京モノレールの経営が打撃を受けるそうで、
じゃあ、モノレール自体ゆりかもめとつなげたら?
とか、素人考えで、いろいろ言いたくなってしまいます。

まあ、そんなわけで

再開発されると、
大崎駅のように高層ビル街へと様相が一変してしまうんでしょうね。

この線路の西側は、南北に崖が続いていて、
江戸時代は風光明媚な場所だったそうです。

21世紀は、すでにビルの窓しか見えなくなっています。

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また空が小さくなってしまうんだろうな。

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ちなみに

40年前はこんな感じ。
映像の途中で、今回の新駅が設置されるあたりの景色がちらっと映ります。

Shocking Blue - Inkpot



さらに、

品川駅からみた100年前の景色はこんな感じ。

海だ。

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久留米へ行く [街歩き]

鳥栖のベストアメニティスタジアムへ行く途中、
一度通過して久留米の街歩きをしてきました。

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街の中心地は東の西鉄久留米駅の近くとのことでしたが、
城址のある西の方をぶらぶら歩いてみました。

JR久留米駅の西口を出ると、、、、ありゃお店がない。

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駅前が住宅街で、筑後川方向に5分ほど歩くと、
臨済宗のお寺、日輪時につきました。


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もとは久留米城の二の丸のところにあったのが、
1621年にこの場所に移転。

小さいけれど雰囲気のあるお寺です。 

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次は、久留米街歩きの目玉の一つ
水天宮まで歩きました。

水天宮は久留米市の北を流れる筑後川西岸に位置しています。
水天宮といえば、東京の人間には
人形町の社がお馴染みですが、こちらが総本山です。

祭神は壇ノ浦の合戦で敗れた平家一族
安徳天皇とその母建礼門院、さらに建礼門院のお母さんで平清盛の正室の二位尼が祀られています。

合戦を生き延びた局の伊勢が、この地に建てた祠(ほこら)
が発祥と聞いています。

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時期的には七五三が近いということもあり、

お子さん連れの夫婦がたくさん見えていました。
思ったほど広くないですね。

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水天宮から、筑後川を左に見ながら北上 

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修行が厳しいことで有名な禅寺。梅林寺につきました。

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筑後川のほとりにある、臨済宗の古いお寺ですが、

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きれいに掃除された庭は、ストイックな空気が漂っていました。

道場のような造りで、シロートには、
一風変わったお寺に見えました。

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梅林寺の隣は、アサヒコーポレーションの工場の広大な敷地。

九州新幹線から見える本社のビルは趣がありますよね。
古い工場が好きな人にはたまらないでしょう。
一回経営で失敗しましたが、
最近は復活してがんばっているようですね。

子供の頃は、アサヒ靴。運動靴でお世話になりました。
創業者は石橋徳次郎氏。

1931年にタイヤ部門として分社したのがブリヂストン。
分家の方が世界的な企業になってしまうというのは
よくあるパターンです。

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ブリヂストンの工場は、アサヒコーポレーションの東側に隣接。

さらに道をはさんだ久留米城址へと向かいました。

久留米城は江戸時代久留米藩、摂津有馬氏の居城。
もともと櫓はありましたが、天守閣はなかったそうです。

有馬家といえば、
江戸時代、化け猫騒動で有名になったスキャンダラスなお大名。
前述の水天宮も、その江戸の上屋敷の敷地に中に分祀されていたんですね。
いろいろつながりがあるもんです。




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本丸御殿のあとは篠山神社の敷地になっています。

あまり広くない。
二の丸、三の丸はどこかな?と思って資料をみたら
今通ってきたブリヂストンの工場の敷地内にあったとのことでした。

いろいろ事情があるのでしょうが、
まあ、大胆なことをしていますね。

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この城址の特徴は石垣。

原型のままというのがいいのですが、
あと数年したら手摺がついてしまいそうです。

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城址の階段を下り、
街の中心部へと向かいましたが
整然と碁盤の目の道路が続いているだけで、、
特に特徴がなくて面白くない。

第二次大戦の終戦時に空襲を受けたと聞いていますが、
そんな影響もあるのでしょうか。

市庁舎だけが聳え立っていて、
歩いていて楽しい町ではないな、という印象です。

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とはいいなが、繁華街の六ッ門町まで来ました。

いま再開発中ですかね。
大きなクレーンが目立ちました。

でも、日曜日の昼の時間なのに、人が少ない。

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久留米市民はどこにいるのだろうと思いました。

おそらく、ライフスタイルが変わり、
大きな駐車場のある複合施設へと流れてしまっているんでしょうね。

個人的には、こういう昭和の雰囲気がある場所は好きなのですが、
知恵を絞れば、お客さんを呼び戻せると思うんですけどね。

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とんこつラーメン、美味しかったです。

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くるめりあ六ッ門の地下の食料品も
安くておいしかった。

というところで時間切れ。

寺の並ぶ地区や、西鉄久留米駅の方までは行けませんでした。
次回はもっと勉強してこようと思います。

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葛飾柴又 [街歩き]

子供の日
寅さんの生まれ故郷、柴又へ行ってきました。 

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武蔵国分寺 [街歩き]

鉄道の駅名には、いくつかお寺に因んだものがあります。

首都圏の私鉄では、祐天寺、妙蓮寺、弘明寺、
JR中央線には、高円寺、吉祥寺、国分寺・・・

しかし、普段 その駅を使っていても、
お寺の場所がどこかわからないという人は、
結構、多いのではないでしょうか。

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私もそんな一人で、

JR中央線の国分寺駅は、
何度も乗り降りしていますが、

駅名の由来となった国分寺へは行ったことがありません。
そこで調べてみました。

かつてここには武蔵国分寺があり、
今は当時の建物は現存していない。

この一帯は、自然が豊富で、
散策コースとして人気がある、

ふむふむ

陽気もよくなったことだし、行ってみるかぁ。

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ということで、やってきました国分寺。

しかし、駅は昔と様変わりですね。
平屋だった駅舎も現在は大きな駅ビルに変わってしまいました。
接続する西武線のホームの位置も違うし、

以前はJRのプラットホームから空が見え、
視界にタツノコプロの看板が映っていた記憶があります。


さて、

南口を出て、
S字の坂を下り、歩くこと約5分、

野川にかかる不動橋に到着。

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ここで右折し、台地の崖線に沿って西へ進みます。

閑静な住宅街ですが、まだ畑も残っていて、
みかんや野菜の販売所を見かけます。

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しばらくすると、
きれいな小川がに沿った遊歩道に入ります。

「お鷹の道」といいます。

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この付近は、江戸時代、
尾張徳川家のお鷹場だったそうで、
その”鷹”に因み、「お鷹の道」と命名したのだそうです。

小川にはホタルのえさとなるカワニナが生息している
とのことでした。

水がきれいです。

崖線から出る湧水は、
名水百選に選定されていて、
この日も、何人かペットボトルに水を汲んでいる人がいました。

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さて、目的地の武蔵の国分寺へ向かいましょう。

お寺は、「お鷹の道」の西の終点にあります。
下の写真が国分寺の本堂。

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こちらは楼門

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現在の本堂は1733年の建立だそうです。
江戸幕府の社寺保護政策に基づき復活した・・・

ということは

かつてこの地にあった国分寺とは別のお寺なんですね。

崖の上の薬師堂
17世紀に製作された木造薬師如来像が収められています。

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鐘楼

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薬師堂のある台地から、階段を下りたところにある仁王門

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門の左右に安置されている仁王様の口は
右が「あ」左が「うん」、

阿吽の呼吸のあの「あうん」ですね。


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ここで日本史の教科書を紐ときますと、

国分寺が歴史に登場するのは奈良時代。

平城京に遷都(710年)したものの、
飢饉や大地震の発生(734年)、
疫病の流行により藤原不比等4兄弟など
政府の高官が次々と死亡(737年)。

この惨事の連続に、当時仏教に深く帰依していた聖武天皇は
全国に国分寺建立の詔を発布。
それが741年。


各地の国分寺の中でも、
武蔵国分寺は最大規模だったそうで、
境内には巨大な本堂のほか、七重の塔があったそうです。

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お鷹の道の途中にある武蔵国分寺跡資料館へ立ち寄ると
模型があって全貌がイメージできます。
大きなお寺だったんですねぇ。

当時の土器や瓦なども展示されています。

本堂のあった僧寺跡では、現在も発掘調査が続いています。
大発見があるといいですね。

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東京の住民は、
自分の土地の歴史について考えるとき
江戸時代より昔にさかのぼることはほとんどありません。

それだけに、奈良時代へとタイムスリップする武蔵国分寺は
東京の人にはあまり意識されていない。
盲点のようなスポットになっていますね。


その武蔵国分寺は、1333年

鎌倉幕府滅亡を決定的にした
分倍河原の戦いの際に焼失してしまったとのことです。

ここが七重の塔があった場所。

今は時間だけが静かに流れています。

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東京私鉄 梅めぐり [街歩き]

ときどき、おバカな企画を考えます。

先週、東京に梅の花が開花したというニュースが流れました。
三月下旬の陽気となり、天気もいい
週末、家でゴロゴロしていても仕方がない、
よし、去年ふと思いついたことを実行に移してみるか

で、その思いつき とは、

「梅」のつく駅に梅は咲いているか

東京の鉄道には、「梅」のつく駅がいくつかありまして、
それを梅の花が咲くころに一気に回って
本当に梅の花が咲いているか確認してみよう、
というものです。

アホでしょ?

検証日は2011年2月5日です。

ではスタート


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九段靖国通り~巨大ロボット出現? [街歩き]

九段 靖国通りに迫り来る巨大ロボ?

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東京では、建設中の東京スカイツリーの話題で持ち切りです。

先日、靖国神社の瓦塀のある歩道から、
正面に東京スカイツリーが見えることを発見。

展望フロアーの部分が
大魔神の肩みたいだなと思いカメラを出してパチリ。
でも、大魔神は古すぎますかね。

都市を破壊する巨大ロボットが出現する
SF映画の一場面を想像させられました。

上に塔ができれば、また様相が変わるのでしょうが、

ここ、九段坂上も東京スカイツリーのビューポイントになりそうです。

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