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堺旧市街 [街歩き]

3月の週末、
大阪長居スタジアムへサッカー観戦に行くことになりまして、

とはいえ、大名旅行が出来る身分ではないので、
安い航空チケットを購入、

その到着地が関西空港でした。 

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飛行機が着いたのが午前11時すぎ。

長居スタジアムでの試合のキックオフは15時、

そうなると、14時すぎにスタジアムへ入ればいい。

その間、何とか時間を有効に過ごしたい、
とはいえ、時間が限られている。

そこで、関西空港から大阪長居へ途中にある町、堺。
その堺の旧市街を歩いてみることにしました。

堺へは南海電鉄のラピート号で行くことにし、チケットを購入。

話のタネに乗って見ることにしましたが、
結局、値段の安い航空チケットをとった意味が、
あまりなくなってしまいました。(^^;

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ラピート、快適じゃないですか。
でも、ガラガラ。

関西空港も閑散としていたし、
海を渡ったりんくうタウンにも高層ビルがあるけど、駅に人影がない。

営業大丈夫なんですか?
人ごとながら心配になります。

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さて、ラピートの車窓を眺めながら

おお、ここが毛布で有名な泉大津かぁ、

岸和田かい。岸和田といえば、清原番長の故郷、カーネーションは面白かったぞ。

景色は総武線の車窓に似てるかな

など、

いろいろ余計なことを考えながら、30分ほどで、堺駅で下車。
ここで各駅停車に乗り換え、一駅先の七道駅まで行きました。

ちなみに、関西の方は常識でしょうが、
このブログに迷い込んだ関東の方のためにご報告しておきますと、

七道の読みは「しちどう」です。

将来、堺へ行くことになって
間違っても「ななみち」と読んで恥をおかきにならないよう注意してください。

実際に、関西空港駅で、訂正されました。。。。

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七道駅の改札を出たのが、12時15分。

時間があまりありません。

とりあえず、現在地から
堺東駅まで、東南の方角へ斜めに散歩することにしました。

東へ少し歩き、
目に飛び込んできたのは、昭和の町並み

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この辺り、堺市の北旅籠町西地区は、
第二次世界大戦時の戦災に遭わず、
古い街並みが残ったのだそうです。

それだけに、古いもの、懐かしいものが、
多く残っているようです。

駅に近い宗宅寺、
300年以上の歴史のあるお寺で、

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写真の扉の中には、行基菩薩建立地蔵尊が収められているそうです。

古い碑など、歴史的人物、事件ゆかりのあるものが、
街中にゴロゴロしています。

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しかし、堺市の歴史を勉強したことのない
ただのおのぼりさんにつき、
価値がよくわからない。

とりあえず、観光案内に掲載されていたスポットを目指し
ウロウロ歩き回ることにしました。

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こちらは薫主堂といって、明治20年(1887年)創業の老舗の線香屋さん。

今でも秘伝の調合を守って手作りで線香を作っているそうです。

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漆喰の壁に刻まれた小槌のマークが気になりました。

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お次は鉄砲。

16世紀、種子島に伝わった鉄砲が、堺に持ち込まれ
堺は日本一の鉄砲生産地になりました。

鉄砲鍛冶が多く暮らし、
今でいえば軍需産業で繁栄した町

下の写真は、鉄砲鍛冶屋敷(井上家住宅)です。

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こういう建物は価値がわからないと、
ただの木造の古家にしかみえませんね。

しかし、
日本の町家建築として最古の部類に属し、
鉄砲の生産現場など鉄砲鍛冶屋敷の面影を唯一残す
貴重な建物だそうです。
当然のことながら、市の指定有形文化財。

屋根は切妻造、平入りの建物からなる屋敷は、
江戸初期の鉄砲鍛冶の生活がしのばれます。(堺市ホームページより)

とのことですが、現在も住居として使用しているため、
家の中は見学できません。
その代わり、向かいに小さな歴史館のような施設があります。

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堺の町は、大坂夏の陣で豊臣方が放った火で、
一度焼け野原になりました。

江戸初期に復興した際に、碁盤の目に区画整理ししたそうで、
現在でも、そのときの道路付きがそのまま残っています。

でも、道が狭い。
江戸時代の人は小柄だったと聴きますが、

そもそも、陸上を大量に物を運ぶという発想は乏しく、
水運中心で、幅の広い道はあまり必要を感じなかったんでしょうね。


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さて、ジグザグに歩くうち、
紀州街道に出ました。

東京の人間が、街道と聞いてなじみがあるのは、
日光街道や甲州街道です。

紀州街道の知識はゼロに等しいです。

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しかし、古い由緒ある建物を見るに、
ここが、かつて賑やかな宿場だったことを
想起させられます。

当時の堺の町家の特徴なのか、

古い町屋には、決まって採光のための
漆喰の格子の窓が見られます。

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(御用鉄砲鍛冶 榎並屋勘左衛門 芝辻理右衛門屋敷跡)

この窓のデザインが気になり、捜してしまいました。

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南北に走る、紀州街道には
現在チンチン電車が走っています。

阪堺電気軌道ですね。

乗車したかったのですが、時間がなくて、断念。

写真だけパチリ。
もっと、ゆっくり眺めていたかったな。

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さらに、東南へ歩き

山口家住宅=堺市立町屋歴史館へ寄ってみました。

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現存する江戸時代の町家。

主屋が建てられたのは慶長20年(1615年)、ということなので、
400年も昔。

案内の方のご説明では、
大坂夏の陣で市街地が全焼した直後に建てられたそうで、

土がむき出し状態の土間は、当時のままなのだそうです。

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江戸時代、山口家は近隣の農村の庄屋で、
奉行所との町方、村方とのつなぎ役も担っていたそうです。

当時使用された札などが展示されていました。

枯山水の庭など、
当時の堺の資産家の暮らしぶりがうかがえます。
でも、400年の間には、いろいろな事件があったんだろうなぁ。

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奥座敷にはお雛様さまが、飾られていました。

ちょっと寂しそう。

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さて、先を急がねば。。。

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