芝區を歩く① 金刀比羅宮から愛宕山 [タイムスリップ]
明治45年発行の「東京名勝図絵」という写真集の
撮影された現場へ行ってみようという
「タイムスリップ 定点比較」シリーズをやってます。
この写真集を見ていると、
現在の港区の一部にあたる芝區の写真が多いんです。
そこで、その芝區を北から南へに縦断しながら、
写真の現場を歩いてみました。
第一回は、金刀比羅宮から愛宕山。
現在の港区は、芝區、赤坂區、麻布區が統合したものです。
そのうち、芝區は北は虎の門から南は品川までの南北に細長い区でした。
明治時代は東京15区。
そのうち三区が現在の港区に含まれます。
古くから町として開けていたんですね。
虎の門の金刀比羅宮です。
毎月10日には参拝者で大賑わいだったそうです。
同じアングルの写真は、隣のビルの二階から撮影しないと駄目でした。。
金刀比羅宮は、大物主神(おおものぬしのかみ)、朱徳天皇(すとくてんのう)を祀った神社です。
私はこれまで一度もお参りしたことがありませんでした。
この日は、休日で閑散としていましたが、普段は霞が関に近く、
開運祈願の参拝者訪も多いようですね。
虎の門 金刀比羅宮のウェブサイトに、当社の歴史についての解説があります。
万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。(中略)
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。
しかし、この由緒ある神社も高層ビルの真下。
神様たちはどう思っているんでしょうかね。
桜田通りを南へ歩き、現在の地名で、虎の門から愛宕へ向かいます。
虎の門三丁目から愛宕山へ向かうあたりは、
映画「三丁目の夕日」の舞台のイメージとなった場所の一つと聞いています。
しかし、現在では昭和の面影を残す町は完全に壊滅状態です。
地上げ途中の土地と、高層ビルばかりが目につきます。
愛宕山は都心にある独立した小山です。
標高25.7mだそうです。
関東平野といいますが、東京はデコボコした土地にある大都会です。
有名な愛宕神社へと上がる男坂。
坂じゃなくて、階段じゃん!
と言いたくなりますが、東京には〇〇坂と呼ばれる階段がたくさんあります。
こちらは女坂。
写真の状態が悪いのですが、明治末期の男坂です。
一生懸命、登っている人がいますよ。
階段の上から。
子どものころ、急なこの階段を上るのは結構怖かったです。
江戸時代、愛宕山はお花見の名所であると同時に、
江戸の町を一望できる絶景ポイントでした。
愛宕山の写真では、明治から幕末に遡り、
フェリックス・ベアトの写真が有名です。
その撮影された場所から比較してみたいのですが、
現在は木が生い茂りよく見えません。
ベアトの写真では、左から右へ斜めに延びるまっすぐな道が目だちます。
大名屋敷の間を走る、薬師小路と呼ばれた道だと思いますが、
現在、博物館の前庭から降りるエレベーターから正面に見えるこの道は、
その一本南の道でしょう。
ただ、いずれにしても、今は愛宕山が高層ビルに囲まれつつあります。
江戸時代の眺望を望むのは無理な相談でしょう。
愛宕山の西側にも、新たに放送博物館を見下ろすように
高層マンションが顔を出しました。
文化って一体何なんだろう。
愛宕山へ来るといつも考えさせられてしまいます。