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東海道新幹線の車窓から見える天守閣 チャレンジ編① [旅行]

久々に東京から大阪まで東海道新幹線に乗る機会があったので
かねてからの懸案を処理することにしました。

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テーマは、
東海道新幹線の車窓から見えるお城の天守すべてをできるだけクリアーに写真に収めること。

東京と新大阪の間で、車窓から見える城の天守は(模擬天守も含め2014年9月現在)
16個確認されています。

上の写真の掛川城のように、だれでも肉眼で確認可能な天守から、
望遠レンズがないと観られない遠くの天守まで、
新幹線の車窓から撮影した写真が実在しているのが16あるわけですが、
そのうち、私自身で確認できたのは13。

浜松城、小牧城、墨俣一夜城の三つが写真に撮れていません。


ということで、今回、まず浜松城にチャレンジ・・・・・
したのですが、失敗しました。

正直、浜松城の撮影は難しいです。
特に、新幹線「のぞみ」からだと、
浜松駅通過時にかなりのスピードが出ているので至難の業。

浜松城は浜松駅の北側、山の上に築かれていますが、
駅周辺に高いビルが立ち並んでいるため、
これらのビルの隙間に現れる瞬間を狙わなければなりません。

今回はスピードの速さからパニくってしまい、
遠方に焦点を合わせ損ないました。

下の写真に、天守っぽい建物が写っていますが、ピンボケで自信がありません。
これはまた次回の宿題にしました。

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東海道新幹線は、京都へ向け名古屋駅を出ると、
まず右手に名古屋城の天守がちらりと見え、
しばらくして、線路近くにある清洲城を通過します。

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大垣城は頭だけ見えると、以前の記事でもご報告済みです。 
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遠くの山、金華山山頂に築かれた岐阜城

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あと、小牧城、墨俣一夜城、長浜城、彦根城ですが、

小牧城は土地勘がなく、
何を目印にしたらいいかわからず、
今回は失敗。次回再チャレンジしましょう。

次に、墨俣一夜城。

東京方面から西に向かった場合、右側の車窓、
岐阜羽島駅を通過してすぐに見えるはず。

ということで以前、
長良川の鉄橋から狙いましたがわかりませんでした。

で、今回はその西側、揖斐川の鉄橋から狙いました。
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地図から見て、金華山をバックに見えるはず・・・・

おおおお、ありました。墨俣一夜城。
大垣市の墨俣歴史資料館です。

よかった!!成果あり!!

これで、写真に収めることができていない天守は、
残り2つになりました。
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ついでに長浜城と、彦根城も狙ってみました。 
長浜城(歴史博物館)は、新幹線が米原駅に差し掛かる手前のカーブ、
長浜ドームの右側に、チラッと見えます。

目印は赤白の煙突。

かなりハッキリとらえることができました。 
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最後は彦根城。

米原駅を通過してしばらくして右の車窓、
遠くに彦根市街、その向こうの山の上にお城の天守が見えます。

十分、肉眼で確認できます。

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日本の城は、明治時代になり敷地が軍事利用されたり、
多くが破壊されてしまいましたが、
彦根城は昔の姿をそのまま残す、貴重な歴史的建造物です。

遠くから眺めるだけでなく、
一度は訪れる価値のあるお城ですね。

さあ、次に新幹線に乗るのは、いつになりますか。

また、チャレンジしようと思います。
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高崎白衣観音 [旅行]

先日、群馬の高崎へ行く用がありまして、

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高崎のシンボルといえば???

思い浮かぶのが、市民を見降ろす、山の上の観音様。

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巨大建造物好きとしては、一度、行ってみなければ、

ということで、

行ってきました。

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観光客用の有料駐車場、
料金は430円です。

この駐車場から観音様までは、
みやげ物屋が並ぶ参道を歩いて約10分

夏場はきつい。

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地元の人は有料駐車場ではなく、

もっと近くに路駐したり、

観音様の下の駐車場に潜り込んだりしているようでした。

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通称、高崎観音と呼ばれる白衣観音は、昭和11年、
井上保三郎さんという地元の企業経営者が私財を投じて建立したもので、

その高さ41.8m
建てられた当時は、東洋一という評判だったそうです。

最近は、高崎観音の3倍の高さのある牛久大仏が注目され、
存在感が薄れている感はありますが、
建立されてから、今年で78年、
日本にある巨大立像としてはかなり古い、貴重な部類に入るでしょう。

観音様は鉄筋コンクリート造りのため、
その寿命は約100年。

過去に何回か修復を繰り返してきましたが、
観音様も高齢。
そろそろ建てなおさければいけないそうです。

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観音様の怠内に入ってみました。

内部は9層に分かれ、
というか、9階建てのビルだと思えばわかりやすい。

階段で観音様の肩のあたりまで登れますが、
その途中に20体の神仏の像が安置されていまして、
それが不気味。

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像は、大日如来、阿弥陀如来、摩利支天、各菩薩様、閻魔大王、鬼子母神、不動明王・・・

その他、日蓮上人から聖徳太子まで

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さながら、神仏オールスターといった感じです。

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ご利益は無病息災、安産、子育て。。。
でも、何をお願いしてもいい

とのことでした。

確かに胎内に各分野に強い
神仏オールスターズですからねぇ。

非常に心強い

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さて、高崎の白衣観音。

観光地としては、どうなんでしょうかね。
みやげ物屋や参道など、まわりの空気感は昭和っぽく、
正直、寂れた感じがあります。

個人的には、このレトロな雰囲気は嫌いではありません。

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ということで、

関東近辺にお住まいで、
行ったことがないという方は、
一度足を運んでみてはいかがでしょうか?

ダルマさんがころんだ。

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柳川川下り [旅行]

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テーマがバラバラで、雑駁なこのブログ。
前の記事が松田聖子のコンサートだったから
というわけではありませんが、

たまたま、聖子さんの御先祖さまといわれている
蒲池氏が領主をしていたという水郷柳川へ行ってきました。

天神の西鉄福岡から特急に乗って約50分。
西鉄柳川駅は小さな駅です。

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柳川へ来たのだから、川下りをしよう!

ということで、柳川の観光案内所を探していたら、
間違えて柳川観光開発という会社に入ってしまい(笑)

「川下りですか?もうすぐシャトルバスが出ますから、ここでお待ちください」
「あ、そうですか」

という流れで、乗船料1600円を払って
シャトルバスに乗って船着き場へ。

バスに乗ること約2分。
歩いても大した距離ではなかったですね。
神社と文人館がある松月という場所がスタート地点。

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川下りに擁する時間は約70分。
途中でトイレに行けないから、
必ず用を足しておけ、と念を押され、出発。

年配の船頭さん。
乗客は10人程。

半分以上が韓国からの観光客でした。

柳川橋をくぐり、水路を南へ進みます。

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西側、白壁の建物は古文書館

「色にして老木の柳うちしだる我が柳河の水の豊かさ」

柳川は、詩人北原白秋のふるさと。これを記念し、
水路沿いには、いくつか白秋の歌碑が設けられています。

ただ、今の人には白秋の碑よりも、

東側、妻夫木聡の出身小学校の方が
興味深いかもしれません。

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水門をくぐれば、かつての柳川城内。

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水路に降りる石段、
船着き場
古い石垣、
レンガ造りの建築物

江戸時代の柳川城での生活や
明治時代の町の繁栄を

水路から伺うことができます。

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お天気はいいし、緑に囲まれているし、
水のある景色はいいですね。

町のど真ん中にいる感じがしません。

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しかし、このクリーク(水路)も
1970年代は、水が汚れ、蚊が発生し、多くの問題を抱えることとなり、
市議会が、暗渠化と埋め立て計画を承認、

消滅しかけたことがあったそうですね。

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当時の市長さんが、計画をひっくり返し、
結果、観光資源として残った、ということでした。

一観光客としては、
へぇ~、そんなことがあったんだァ~、
という感想しかありませんが、

柳川の市街地は、
地上を歩くと確かに殺風景でつまらない。

残して正解ですよ。

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それに、柳川は狭い町ですが、
意外と特徴的な有名人を輩出しているんですよね。

北原白秋、壇一雄、内山田洋、徳永英明、妻夫木聡、琴奨菊、ムーディ勝山・・・・

緑と水の豊かな景色を観ながら
鋭い感受性を育んだのかもしれません。

高校は、野球もテニスも、スポーツも盛んというイメージがあります。

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うなぎの供養碑のところ、水路の途中に売店が一つ、
ちょっと、価格設定が高いという印象です。

亀が泳いでいまして、
韓国からの観光客が珍しがって写真を撮っていましたが、
よく見たら、東京の神社や公園の池によくいる
問題のミシシッピアカミミガメでした。

ここにもいるのかよ、と東京の人間は一人、
うんざりした気分になりました。

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文学碑や水路沿いの木造の家を眺め、

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70分の舟での観光終了。

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丘に上がって腹ごしらえは、

柳川といえば、うなぎのせいろ蒸し

写真は、福柳さん、2250円也

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食事の後は、少し街歩き。

水天宮は、平家ゆかりのお社。
本社は久留米、筑後川の畔にあります。
東京でも、安産の神様としてお馴染みです。

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白壁の家は、北原白秋の生家、

旧戸島家住宅は江戸時代の侍のお屋敷を保存したものです。

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しかし、柳川は交通の便が悪いですね。

街中にJRの駅がないし、
西鉄の駅と観光の中心となる場所とは、
バスで移動しないといけない。

歩くと1時間くらいかかるということでしたが、

水路を逆に歩くことにしました。

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♪まちぼうけ まちぼうけ ある日せっせとのら稼ぎ

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白秋の歌を記念した銅像は、
舟から見てもも印象的でしたが、
ここからは、ずっとこの歌が頭から離れなくなってしまいました。

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地上は船から観た景色とは違う柳川がありました。


興味深かったです。

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大塚国際美術館 [旅行]

鳴門のうず潮を目当てに、大鳴門橋のたもとまで来ましたが、
ついでに、大塚国際美術館へも行こう、ということになりました。

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大塚国際美術館は、

地元の大企業、大塚製薬がグループ創業75周年事業として、
1998年に設立した陶板複製画の展示を中心とした美術館です。

鳴門海峡を望む、崖の下をくりぬいて作られた巨大な建造物。

美術館の前には、大塚グループの保養施設 潮騒荘があります。
企業城下町鳴門にある、現代の城といった感じです。

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入館料、大人3240円。

高いなぁ~、

貧乏旅行なので、初めはどうしようかと迷いましたが、
いつまた鳴門へ来るかわからないし、
話のタネにのぞいてみるか、と
軽い気持ちで入場しましたが・・・・

正面玄関から、長いエスカレーターを昇り、

地下3階フロアーに立って、いきなり

何、ここ!!

びっくりしました。

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バチカンのシスティーナ礼拝堂を再現した
巨大なスペース。

天井を覆うのはミケランジェロの壁画。

これらすべてが陶板というから驚きです。

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大塚国際美術館は、地下3階から地上2階まで、

5つのフロアーに、世界の歴史的美術品や名画が展示されていまして、
その数は1000点超えるというからすごい。

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地下3階には、古代の遺跡や、聖堂の壁画などが展示されていて、
上の階へ行くほど時代が新しくなります。

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こちらも素晴らしい。

イタリア パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂。

ここで、結婚式ができるそうで、
水野真紀さんがここで挙式を挙げたとか。

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地下2階は、ルネサンス、バロック時代の作品

レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」や、
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」など
お馴染みの絵もあります。

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絵画の展示の仕方が、
テーマ別になっていまして、
たとえば、キリストご懐妊の際のマリアへの「受胎告知」の絵だけでも
10種類以上はありましたかね。

いろいろなマリア様がいて面白かったです。

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この部屋は、裸婦だらけ。

レンタルビデオショップの奥の部屋みたい。(笑)

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本物とか、複製とか関係なく、
よくもまあ、これだけ集めたな、と思いました。

みんな陶板ですからね。

製作したのは、大塚グループの大塚オーミ陶業という会社ですが、
すごい技術です。
外国人もここへ来たら、ぶっ飛ぶと思います。

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こちらはモネの大睡蓮のコーナー。
美術館の中を歩いて見ていると、
だんだん単調になってくるので、屋外に出て、と
よく考えた設計になっていますね。

それにしても、いい天気。

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B1(地下1階)は、バロック後期から近代に至る名画の数々を
300点以上展示。
お馴染みの名画がそこらじゅうにあるといった感じです。

絵画に詳しくない私でも、これだけの名画を見せられると、
脳が刺激されます。

ああルノアールってこういうタッチなんだな、
これが踊り子好きなドガか、なるほどこれがセザンヌか、
レンブラントは趣味が悪いな、などなど、

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1F、2Fはもう現代。

ピカソ、ダリ、アンディ・ウォーホールまで、
この辺りへ来ると、上手いのか下手なのかわからない絵が多くなります。

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というわけで、

30分くらいふらりと寄って、と考えていたのが、
3時間以上も滞在することとなり、
旅行の計画がすっかり狂ってしまいました。

とにかく広い。
全部見ると、疲れますね。

絵画の好きな方は、一日かけても足りないのではないでしょうかね。
3240円は高くないです。

感動したので、

この夏は、ポカリスエットいっぱいのみます。

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鳴門のうず潮 [旅行]

鳴門海峡へ、

うず潮見物に行ってきました。

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鳴門へは以前、ツアーで訪れたことがあります。、

うず潮観光は、そのときは「渦の道」と呼ばれる大鳴門橋の歩道からでしたが、
今回は船で間近に観たいということで、港へやってきました。

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鳴門のうず潮の観光船の乗り場は2ヶ所あります。

ネットで検索すると一番に出るのが、
うずしお観潮船の「わんだーなると」、と「アクアエディ」。

そのうち、小型の「アクアエディ」は予約が必要で、
大型観潮船の「わんだーなると」はすぐ乗れる、とのことでした。

予約などしていないので、「わんだーなると」に乗ろうかと思っていたら
すでに観潮船経験のある人から、

どうせ観るなら小さい船のほうがいいよ、

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大塚国際美術館の裏の港から
30分おきに出航する「うずしお汽船」というのがあるから、
そちらなら小さい船だし、予約なしで乗れるよ、

と、アドバイスをいただきまして、

その言葉通り、船が出る亀浦漁港までやってきました。

ちょうど干潮になる時間帯、
 ”いい渦”が観られそう。

しかも観光客もさほど多くない。
いい按配で、船に乗ることが出来ました。

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5分ほどで大鳴門橋の下に到着

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来るぞ、来るぞ

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来たーぁ!!

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なかなか迫力があるではないですか。

乗客から「おお~!!」という感嘆の声が出る。

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瀬戸内海と紀伊水道の外海との海の色が違うんですよね。

干潮になるところで、

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瀬戸内海から紀伊水道へと、勢いよく渦を作りながら水が流れていきます。

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海なのに、滝みたいでした。

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20分ほどのクルーズでしたが、堪能しました。

夕方、島の反対側のウチノ海へ行きました。

こちらは波のたたない静かな海で、
鳴門のうずの激しさとのコントラストが面白かったです。

夕陽がきれいでした。

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東海道新幹線の車窓から見える天守閣 2014 後編 [旅行]

東海道新幹線の車窓から見える天守閣 2014 後編です。

さて、私が抱いていた2つ目のモヤモヤは、


本当に見えてるの?

でした。

東海道新幹線の車窓から見える天守は、
小田原城や掛川城のように、肉眼で容易に確認できるものばかりではありません。

実は、見えるとは言ったものの、写真が今一つで
もっと自分で自信を持って断言できる画像はないのか。

で、今回 狙った天守は、
岡崎城、大垣城、大阪城の三つ。

まずは、岡崎城です。 

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岡崎市の中心部は、東海道新幹線の線路から5キロほど北にあります。

列車の車窓からは、かなり遠くに見えます。

近年、岡崎タワーレジデンスという高層ビルが建ち、
これを目印に、その西側(左側)を捜索すれば、
岡崎城の天守閣が見つかるはず。

しかし、新幹線に乗るたびに狙いましたが、
建物が邪魔で、なかなかハッキリと捉えられませんでした。

下の写真は、岡崎の南、蒲郡を通過したあたりで撮影したものです。

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これを拡大すると・・・・


あった!!

間違いなく、岡崎城の天守閣です。

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お次は大垣城です。

新幹線で、山側E席に座ったとき、
名古屋を出て、関ヶ原に入る前
逆方向の場合は、関ヶ原を通過し、名古屋方面へ向かう途中、
左側に大垣の市街地が見えます。

いつも目を皿にして見ていましたが、わからなかったんですよね。
もしかしたら、ビルに隠れてしまっているのではないか?

本当に見えているのか?

自信がありませんでした。

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上の写真

よく見てみましょう。

SEINOの看板の左
屋根と最上階の部分だけが見えます。

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とりあえず、確実に見えている(網膜に映っている)ことがわかり、

モヤモヤが晴れました。

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3番目は大阪城です。

東京から新大阪は向かったときは、新大阪に着く直前
OBPのビル群のあたりにあるはず。

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上の写真

よく見ると、います。

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ほんの一瞬ですが、

確かに大阪城も東海道新幹線から見える。
いや、見えている、というべきでしょうか。

他の城についても、もっとクリアにしたいという欲が出てきました。
次の機会にチャレンジしようと思います。

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東海道新幹線の車窓から見える天守閣 2014 前編 [旅行]

新幹線の車窓から見える天守閣探しは、3~4年前に取り組んでいたテーマで、その後、新幹線に乗る機会が減り、私の中でブームが下火になっていました。

先日、久しぶりに新幹線で東京―新大阪間を日中往復する機会ができまして、
本テーマで以前から抱えていた2つのモヤモヤを解決させることにしました。

そのトライした結果を、2回に分けてここに書き留めておきます。

まず 、一番目のモヤモヤは

16個目の天守閣はないのか?

いきなり、16という数字が出てきましたが、
以前、このシリーズで、私と同じように東海道新幹線の車窓から見える天守閣を追いかけている方がいらっしゃいまして、

東海道新幹線の車窓から見える天守閣はいくつあるか
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2010-11-13

東海道新幹線の車窓から見える天守閣はいくつあるか その2
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2011-07-04

東海道新幹線の車窓から見える天守閣はいくつあるか その3
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2011-09-10

その時、見える天守は、(歴史上存在しなかった模擬天守も含め)どうやら全部で15個あるぞ、というところで終わりました。

見える天守15とは、東から
①小田原城、②熱海城、③掛川城、④浜松城、⑤岡崎城、⑥名古屋城、⑦小牧城、⑧清洲城、⑨岐阜城、⑩墨俣城、⑪大垣城、⑫長浜城、⑬彦根城、⑭伏見桃山城、⑮大坂城


私がすべて確認したわけではありませんが、
上記の15個すべてを写真に収めた方がいらっしゃるので、
間違いないでしょう。

でも、まだ他にあるのではないか?

実は、上記15の天守のうち、11個は東京から大阪へ向かって右側、山側にあります。
そんなこともあって、私自身、ほとんど海側の車窓を意識していなかったのですが、
最近、海側にあと一つ、お城の天守があることを知りました。

地図で確認したところ、もしかしたら見えるかもしれない。
そう思いまして、その日、新幹線の海側、A席に座り新大阪へ向かいました。

静岡を通過し、大井川にさし掛かったところで、遠くの小高い丘の上に注目すると、
ほう、それらしき建物が黒く見えました。
まちがいない。小山城です。
カメラの準備ができなかったので、復路でもう一度トライすることにしました。

そして復路。
ふたたび窓側A席に座り、大井川を渡る瞬間を待ちました。
浜名湖の水の上を走り、浜松を通過、天竜川を渡り、掛川を通過し
いよいよ大井川の鉄橋

最初見失っていたのですが、
やや振り向く感じで、丘の上を見ると

あ、ありました。

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おおおおお

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やったぜ!! 小山城です。

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この小山城を加え、
東海道新幹線の車窓から見える天守閣の数は16
ということになりました。^^ 



で、


実は、もう一つ、気になっている天守があります。

先日、NHK-BSで放送している「こころ旅」という
火野正平のお茶の間好感度を劇的に上昇させたチャリンコ旅番組を見ていました。

その日のスタートは愛知県豊橋市。
カメラは豊橋・吉田城の横で、視聴者からの手紙を読んでいる火野さんを映していましたが、
その後ろの、電車が鉄橋を渡っている風景を目撃しまして、

もしかしたら見えるかもしれない、と

そこで、こちらもトライしてみました。

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吉田城は、豊橋市内を流れる豊川の河畔に立てられています。

狙うとしたら、新幹線が豊川を渡る瞬間ではないか、
ただし、豊川はJRと新幹線の鉄橋の辺りで大きく蛇行しており、

吉田城は新幹線の線路からあまり角度がありません。

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方角は合っていると思っていますが、
正直、写っているかどうか全くわかりません。 

一度、吉田城の天守まで行かないとわからないかもしれません。

ということで、これは宿題にしようと思います。 

後編へ続く

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大久野島へ行く 後編 毒ガスの島 [旅行]

大久野島へ行く 後編です。 

大久野島は、
前編で紹介した「うさぎの楽園」という顔とは別の
もう一つの顔があります。

それは、かつてこの島に毒ガス製造施設があったという
影の顔です。

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島は、明治時代に旧陸軍の要塞として使われ、
昭和時代に、ここに毒ガス製造工場が建設されました。
それらの多くは、第二次世界大戦後に破壊されましたが、
その一部が、今でも当時のまま残されています。

東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本の毒ガス工場として、昭和4年に設置され、昭和20年終戦後米軍により破壊されました。この工場は、各種の毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されましたが、イペリットの生産に重点が置かれていました。(毒ガス障害死没者慰霊碑抜付加)
【大久野島 毒ガス資料館 パンフレットより転記】

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(軍幹部用防空壕)

毒ガス資料館には、
毒ガス製造工場の歴史、運命、製造に使用された器具などが、
展示されています。

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日本人のほとんどは、
日本が戦時中に毒ガスを製造していたことを知りません。
そんなこと、学校で教えませんからね。

第二次世界大戦前、
この島の存在は、国家機密になっており、
海外からの批判、攻撃を避けるため、
地図から消されていたそうです。

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毒ガスを製造し、使用したという事実は、
旧軍関係者以外には知らされず、
その実態が明らかになったのは1984年。

終戦から40年近く経過してからでした。

イペリットという毒ガスの製造過程で、
多くの工員に痛ましい被害者が出たとのことで、

正直、目をそむけたい話だし、
あまりいい気分がしませんが、
こういう負の遺産も、しっかりと目を開けて
見ておく必要があると感じました。

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こちらは、島の西にある、
三軒家毒ガス貯蔵庫跡

ここの巨大なタンクに、
工場からガスが送り込まれていたとのことでした。

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工場や貯蔵庫の建物のほとんどは破壊され

現在は国民休暇村のテニスコートなど
敷地はスポーツ施設に変わっています。

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島の北西にある貯蔵庫跡。

この不気味な廃墟の中から、 

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ウサギくんたちが、ピョコピョコと走り寄ってきました。

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ここがどんな場所だったか、
彼らにわかるはずはなく、

廃墟の壁の黒さと、彼らの無邪気さとのギャップに
戸惑いを覚えます。

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島を北へ、

北部砲台跡へ行ってみました。

ここは毒ガス工場とは無関係

日露戦争開始前の1902年、
大久野島には軍の要塞が築かれました。
北部、中部、南部、
島の3か所の砲台に22門の大砲が設置されていたそうです。

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赤レンガに歴史を感じます。

この砲台には、24cmの加農(カノン)砲が設置されていた・・・

カノン砲とは、今で言う、キャノン砲のことでしょうか?

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昼間とはいえ、しんしんと雨が降り注ぎ、
私以外、訪れる人はいない。

ここで、島に来るときのフェリーで乗り合わせた女子高生たちの
「島はおばけが出るって噂だよ」
という会話を思い出し、少しいやな気分になりました。

要塞には、部屋の跡など、暗闇が多くあるので、ちょっと怖い。
夜はとても一人では来られませんね。

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次に、中部砲台のある、山頂を目指し階段を上りました。

途中息が切れ、ふと上を見上げると、
予想以上に高さがあることに気づき、引き返そうかと思いましたが、

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上りました。

標高は100mほどですが、
重たいリュックを担ぎ、傘をさしながらで、
急な階段を一気に上るのは正直きつい。

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これが、山頂からの眺め

天気が良ければ、絶景だったんですがねぇ。

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こんな山の上にも、ウサギ君の姿が。

低地のウサギたち同様、人間を見つけると近寄ってくる。
この行動は、もはや、DNAレベル。

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中部砲台跡です。

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古代の遺跡みたい。

環境省が設置した解説板によると、

中部砲台も、100年以上前、
旧陸軍によって築かれたもので、

ここに置かれていた大砲は、
第一次世界大戦のときに取り外され、
戦地で使用されたとのことでした。

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使われているレンガは、
ロシアから輸入されたもので、
立派な明治時代の記念物。

世界遺産レベルですよ。

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そうこうしているうち、戻る船の時間が近づき、
急いで山を降りることにしました。

山頂から船着き場へは、
クルマで下る道路がありますが、
ジグザグに迂回しているため、
斜面を直角に、近道をすることにしたのですが、これが運の尽き。

途中で道に迷ってしまいました。

誰にも会わないし、聴こえるのは波の音だけだし、
人っ子一人いない、廃墟を見た直後だっただけに、

冷たい汗が流れましたよ。

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やっと、舗装道路に出て、ホッとし、

歩きだしてしばらくして、下の廃墟が現れました。

旧陸軍の発電所跡です。

何ともいえない不気味な建物。

立入禁止ですが、とても中に入る勇気は起きません。
まさか、肝だめしに使っていないだろうな。

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最後は、明治時代に使用されていた桟橋跡。

敷き詰められた赤レンガに歴史を感じます。

島に毒ガス工場が設けられてからは、
その秘密を守るため、本土から見えるこの桟橋は使用されず、
南側の桟橋が使われたとのことでした。

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というわけで、2時間ほどの滞在でしたが、
考えさせられることも多く、濃い時間を過ごしました。

ウサギたちの愛らしさと、毒ガス施設の醜悪さと、
光と影の部分を同時に見たため、
楽しさと恐怖が入り混じった変な気分になりましたが、

面白かったです。

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大久野島へ行く 前編 うさぎの楽園 [旅行]

瀬戸内海に浮かぶ小島。

大久野島へ行ってきました。 

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広島でサッカー観戦をした翌日、
帰りのフライトまでの時間をどう使うか、

いろいろ情報を集めているうち、
広島空港から割と近いところに、面白い島があると聴き、
行ってみることにしました。

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早朝広島を出発、

広島駅からJR呉線に乗り、
フェリーが出る忠海駅まで約2時間、各駅で移動。

JR呉線は日本有数の絶景路線だそうで、
天気が良ければ、青い海に浮かぶ瀬戸内海の島々が望めたはずなのですが、

生憎の雨。それもどしゃ降りでした。

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忠海駅に到着。

駅からフェリー乗り場までは、南に向かい、
コの字を描きまがら、JR呉線の踏切を渡り、
10分ほどで到着します。


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ここから、大久野島へ渡ります。

島へは客船とフェリー、どちらでも渡れますが、
フェリーはその先の大三島まで行くクルマ用で、
大久野島へはクルマで乗り入れできません。

私が乗船したフェリーは、
大久野島にある唯一の宿泊施設である
国民休暇村へ合宿に行く地元の高校生たちと一緒でした。

聴けば、この日忠海は「宮床まつり」という祭りだそうで、

地元の祭りの日に合宿に行かすとは、
随分と野暮なことをする学校だと思いましたが、

もしかしたら、祭りで悪さをしないよう、
隔離するのかもしれませんね。(笑)

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引率している先生は、お見かけしたところ、
言うことは厳しいが、根は優しい
いい先生という印象でした。

顔が元阪神の佐野にそっくりでした。

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そんな、高校生の一団に混じり、
忠海を出て約15分。

大久野島に到着。

さて、この大久野島ですが、

この島は、光と影と呼ぶべき、二つの顔があります。

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一つは、この島が「うさぎ島」と呼ばれる理由。

至る所に野生のウサギがいる、

ウサギの楽園の島 という顔です。

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桟橋に着いて、島に降り立つと、

すぐに、ウサギたちが出迎えてくれます。

やたらと、人懐っこい。

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人間をみつけると、つかつかと寄ってきて、

二本足で立ち、

前足をプルプルとさせ、

なんかちょーだい とポーズをとります。

それが、信じられないくらいカワイイ。

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激しい雨が降っていましたが、

こりゃおもしろそうだわいと、

可愛いウサギたちを観察しながら

周囲4キロほどの島を散策することにしました。

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大久野島には、放し飼いのウサギが約700羽いるそうです。

1971年に、島の外で飼われていたウサギ8羽を、
この島へ放したところ、繁殖し、今の数になったとのですが、
戦前から実験用に飼育されていたウサギが野生化したのではないか、という説もあるそうです。

しかし、そんなことは、どうでもいいや。

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とにかく可愛い。

特にウサギ好きでない私でさえ、

この前足プルプルの立ちポーズには、

癒されました。

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島は肉食動物の持ち込み不可。
犬は一匹もいません。
天敵がいない。

ウサギたちが道路に出てくるため、
許可されたクルマ以外は島に入れないなど、

ウサギたちは、手厚く保護されています。

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島唯一の宿泊施設である国民休暇村に隣接する
広場や前庭では、

ウサギたちがコロコロと遊んでいました。

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下のウサギ君は、
ネットの向こうでしばらく私を見つめ、

「ネットでこっちに来れなくて残念だね」 

とからかったら、破れ目からするりと抜け出てきました。

意外と賢い。

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とにかく、人間を見つけると、

「食い物にありつけるぞ、行けー!」

てな感じで、何処に行っても

ウサギたちが走り寄ってきます。

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また、彼らを観察していると、

いろいろな性格をしたウサギがいて、

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遠慮がちに食べ物をくれと云うやつ、

やくざのように、くれよと迫ってくるやつ、

あきらめてすぐにスタコラ引き上げるやつ、

二本足でいつまでも立ち続けるあきらめの悪いやつ

いろいろです。

ちなみに、こいつは、「紋次郎」と命名しました。

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島を、30分も歩くと、

何処にいてもウサギがくっついてくるので、

さすがに鬱陶しくなってきます。

しつこい呼び込みをよけながら歩く繁華街を歩いているような

仕舞いには

おまえらは、ウサギとしてのプライドはないのか!!

そう呟いていました。


(後編に続く)

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宝塚 手塚治虫記念館 [旅行]

神戸へ行くことになりまして、
新幹線ではなく、今回初めて、飛行機を使ってみることにしました。
理由は単純、そのほうが運賃が安かったからです。

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伊丹の大阪空港に到着し、そのまま三宮までバスで移動
という選択肢もありましたが、

時間に余裕があったので、
どこか寄り道していこう、ということで、
モノレールで蛍池へ出て、
そこから普通なら阪急で十三に向かうところを、山のほうへと逆走。

終点の宝塚駅で下車しました。

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宝塚といえば、なんといっても宝塚歌劇団!!

ですが、私は残念ながら宝塚オンチで、
そこに存在しているものの価値がよくわからないのが淋しいところ。

阪急宝塚駅と、宝塚歌劇団の大劇場とは、
花のみちと呼ばれる遊歩道でつながっていまして

いくつか記念撮影スポットがあります。

そんな街並みを一人で散歩しながらの見学です。

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銅像が多いです。

これはご存じベルばら
オスカルとアンドレです。

宝塚オンチでもこれくらいはわかります。

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こちらはレビューと名付けられた銅像

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1993年から使用している現在の大劇場は、
もっと派手かと思ったのですが、
上品な造りの建物でした。

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まだ、公演まで時間があり、
人影もまばら。

とりあえず、劇場の中に入ってみました。

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ここが、本拠地。

意外と普通でした。
みやげ物のショップや、チープな感じの食堂など
昔ながらの温泉地の雰囲気が残っています。

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外へ出たところで、タカラジェンヌたちのご出勤に遭遇。
その姿を目当てに、カメラを構えて待機する人たち。

スターには軍隊組織のような親衛隊がお出迎え。
遠目で見る限り、よく前へ出て後ろに回ったり不思議な動きというか
独特の空気が流れていました。

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さて、宝塚大劇場から数百メートル進んだところに、
手塚治虫記念館があります

実は宝塚へ寄った最大の目的はこれです。

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手塚治虫は、オヤジなら誰でも
子供のころ憧れた、偉大な漫画家です。

出身は豊中市ですが、多感な時期を宝塚で過ごし、
宝塚歌劇団とも関係が深い。

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関東の小学生も、鉄腕アトム、ワンダー3、ジャングル大帝
これらのアニメを見て育ちました。

それだけに、この記念館に掲示されている資料の一つ一つが
自分の生きてきた時代とシンクロするので
非常に興味深いです。

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上映される手塚治虫の偉業を紹介する映画は、
やや古さを感じますが、よくまとまっていて、
そうか、そうかと、いちいちうなづいてしまいますね。

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今や世界に注目される日本のアニメ
日本のサブカルチャーの質の高さは、
手塚治虫という天才を抜きにして語れない、
というのは誰もが認めるところです。

その手塚治虫はどうやって出来たのか?

この記念館で資料を見ていると、
そのマンガオタクぶりがすごいんですよね。
小学校低学年、戦時中、とにかく常に描きつづけている。

それでいて、学業成績も抜群に優秀。

アッチョンブリケです。

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仕舞い込んだ手塚治虫のコミックを
もう一度ひっぱり出してきて、読み直してみよう
そんな思いが強く湧いてきました。

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京都駅にもミュージアムがありますが、
こちらのほうが中身が濃いです。

手塚治虫の漫画で育ったという方は
一度訪れてみてはいかがでしょうか。

絶対おすすめ。

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