桜田濠 [タイムスリップ]
明治時代の写真の現場へ行ってみるシリーズ。
今回は桜田濠です。
碧潭藍の如し
明治時代の写真集には
東京の絶景ポイントとして紹介されていました。
この景色の対岸に見える高台、
古くは霞が関の西から赤坂辺りまでの間を
桜田台と呼んでいたそうです。
ここに江戸時代初期(17世紀)加藤清正が居を構えました。
千畳敷と呼ばれる大広間のある屋敷は
櫻田屋敷と称していたそうです。
のちに彦根藩主井伊家の上邸になり、
現在、その場所には記念碑が建てられ、
真下を首都高が走っています。
明治時代は、この場所に陸軍の参謀本部がありました。
古写真の左の方に映っている「巍然」とした建物がそれです。
立派ですね。
現在は憲法記念館があります。
その南側は国会前庭の洋式庭園になっているため、
後方の赤坂の高層ビルがやたら目立ちます。
1860年(安政7年)3月24日、登城中の大老・井伊直弼が
水戸藩の浪士らに襲撃される事件が起きました。
有名な「桜田門外の変」ですね。
井伊直弼の屋敷は、先ほどの記念碑のある場所にありました。
桜田濠沿いに、現在の内堀通りを南東へ進み、
現在のこの辺りを籠に乗り行列し、
桜田門の手前で事件が起きたわけです。
現在は観光客とマラソンランナーが通り過ぎる
平和な景色です。
変化の激しい東京で、
皇居周辺だけは100年前の姿がそのまま残っていますね。