神田、明治時代の大学校舎 [タイムスリップ]
7月12日の記事、「九段から飯田橋」の続きです。
飯田町から東へ、日本橋川を渡ると神田三崎町です。
明治時代の東京市の行政区画では、
日本橋川が麹町区と神田区の境界になっていました。
現在はどちらも千代田区になっています。
写真は、明治末期の神田三崎町です。
この寄宿舎みたいな建物は、当時の日本大学の校舎です。
その場所は、現在、日本大学法学部があります。
日本大学は明治23年(1890年)、
日本法律学校と称し、飯田町で創立。
明治28年に神田三崎町に移転しました。
以後、三崎町は日大村に。
今は日大の建物だらけです。
次は、三崎町の東側、猿楽町。
ここには、神田教会があります。
神田教会は、築地教会とともに、
東京で最も古いカトリック教会の一つ。
ここに、フランシスコ・ザビエルの聖遺骨が納められているそうです。
知りませんでした。
聖堂の竣工は1928年ということですから、
建ててから80年経っているわけです。
でも、美しい建物ですね。
場所が東京でなければ、立派な観光地になっていたと思います。
神田教会からすぐの場所に、記念碑を発見。
「東京音楽大学発祥の地」とあります。
東京音楽大学といえば、
多くの作曲家や演奏家を世に出している大学です。
現在は池袋に移転しています。
上の写真を撮った場所に立って左を向くと、
猿楽町から駿河台へ一気に上がる急な階段、
男坂が見えます。
男坂の西には、途中でクネッと曲がった女坂もあります。
どちらも、歴史を感じる階段。
猿楽町付近は、明治・大正時代へタイムスリップできる
ポイントがいくつも見つかりますね。
階段を上ると、駿河台。
ここは、明治大学の牙城です。
明治大学の建物は、近年、近代的な高層ビルに姿を変えました。
私は明治出身ではありませんが、学生のころ、
明治大学の学生食堂にもぐりこみ、安いランチを食べた記憶があります。
明治大学は、明治14年(1881年)1月の創立。
開校の地は、有楽町。数寄屋橋です。
当初は、明治法律学校と称し、
明治37年に明治大学に改称しています。
写真は、明治末期の明治大学の校舎。
写真に付いているコメントには、
明治44年(1911年)に現在の新築校舎に移転、と書いてあります。
明治大学のサイトを見ると、
明治44年は、「最初の記念館(=今の駿河台校舎)が落成した」
となっています。
ならば、上の写真の場所は、
高層ビルになった駿河台キャンパスの場所でしょうか?
明治大学が、開校場所の有楽町から、
駿河台に移ってきたときの校舎は、道路の反対側にありました。
現在は、殺風景なグラウンドになっています。
ちなみに、北側は日大の大学院です。
最後は中央大学です。
明治大学のある駿河台から南に坂を下り、
靖国通りを渡ると、神田錦町です。
中央大学は、明治18年(1885年)7月創立の
英吉利法律学校が始まり。
その後、組織、名称など数次の変遷を経て
明治38年(1905年)8月に、今の中央大学と改称しています。
写真は明治末期の中央大学校舎。
隣は洋服屋だったんですね。
現在は、東京電機大学の校舎があります。
残念ながら、洋服屋さんは無くなっています。