愛の唄 [音楽(愛の××)]
愛の××シリーズ。
性懲りもなくまだ続いています。
「あいのうた」は同名異曲が数多くありますが、
小田さんのセルフカバーアルバムが今大人気なので、
この曲を選んでみました。
愛の唄 / オフコース #16
作詞・作曲:小田和正
オフコースの3枚目のアルバム、
「ワインの匂い」のB面の4曲目。
1975年に発表された作品だから、もう32年前。
メロディーの美しい当時から名曲と言われていました。
「ワインの匂い」は、私が最初に買ったオフコースのアルバムです。
以前にも書きました (ヤングスタジオLOVE、クリスマスの約束)が、
デビュー当時のオフコースはあまり好みではありませんでした。
時代に合わなかったんですね。
しかし、それから5年後、
FMラジオから流れて来た「眠れぬ夜」を聴いてからは、
ズッポリ壺にはまってしまいました。
小遣いはたいてアルバムを買い、
お気に入りのグループの一つになりましたが、
当時はまだ、男のオフコースファン=軟弱・優柔不断
的な空気がありましたね。
この「愛の唄」。
一人淋しく暮らしている女性に、
かつての恋人(自分)が呼びかけている。
そういうシチュエーションを想像しますが、そのサビの部分。
泣きぬれて ただ一人
さみしいたそがれには
恋人よ ふり向けば
やさしい思い出をあげよう
32年前からこの3行目の”条件”はいらない気がしていました。
文法的にもしっくり来ない。
こういうハッキリしないところが確かにありました。
もっとも、昔からこんなことばかり言っていたので、
家庭内人生幸朗状態となり、
娘からは
「余計なことを言わないで素直に聞けばいいの!」
と叱られているわけです。
しかし、
小田さんも還暦を迎えたんですねぇ。
私は誰がなんと言おうが小田・鈴木デュオ時代が好きです。
その頃のオフコースの曲は歳をとってから染みてくる曲も多い。
アルバムの「愛の唄」の次の「幻想」という曲もその一つです。
同じ時代に生まれ
いくつかの同じ季節を過ごして
どれだけ多くの人に
裏切られてきたか
(作詞:小田和正、作曲:鈴木康博)
珍しい二人の共作ですが、今聞くと意味深ですねぇ。
この歌の詞のように
「いっさいの言葉に目をつぶって」
また二人揃ってファンの前に現れてほしいと思っています。
愛の炎 [音楽(愛の××)]
愛の××シリーズ
70年代80年代の大スター、オリビア・ニュートン・ジョンの登場です。
オリビアは日本でもベタな部類に入るシンガーだったこともあり、「そよ風の誘惑」「愛すれど悲し」など邦題のついている曲がたくさんあります。
この「愛の××」シリーズでも3曲。
1974年の大ヒット曲「愛の告白(I Honestly Love You)」、
78年の映画「グリース」の挿入歌で猿顔ジョン・トラボルタと競演した「愛のデュエット(You're The One That I Want)」、
そしてこの79年の「愛の炎」です。
ひねくれ者なので、あえて一番地味なナンバーを選曲してみました。
愛の炎 #15
Deeper Than The Night / Olivia Newton John
私、この曲が「愛の炎」という邦題とは知りませんでした。
正直、原題のほうがピンときます。
日本でもお馴染みのオリビア・ニュートン・ジョンですが、
彼女には3回の人気のピークがあったように記憶しています。
70年代前半、カントリーのアイドル歌手としてブレークした時期。
低迷期を経て、78年の映画「グリース」「ZANADU」と続くムービースターとして人気が再ブレークした時期。
さらに80年代に入り、「フィジカル」「Make A Move On Me」と続いたセクシー歌手路線が受けた時期。
「フィジカル」のPVを最初に見たとき、足上げに度肝を抜かれましたが、
なぜか「困っちゃうな」のカワイコちゃんから、「どうにもとまらない」の小悪魔へ激変した山本リンダを思い出しました。(分かる方だけ分かってくだされ)
まあ、このあたりまではご贔屓のシンガーだったのですが、
捕鯨問題で日本を攻撃したことでオヤジの好感度が下がりましたね。
鯨肉は給食でお馴染みだったし、鯨のベーコンの味も覚えている。
南房総の「くじらのたれ」という昔子供がおやつ代わりにかじっていた食材も知っているし、
当時、大きなお世話だ的不快感を覚えました。
しかし、それらを差し引いても、名曲がたくさんあります。
来年は還暦ですが、もちろん現役。
オフィシャルサイト
http://olivianewton-john.com/
愛の泉 [音楽(愛の××)]
エメラルド色の水をたたえる湖、そのほとりに佇む古いお城
ここは幸福が住むという伝説の森、青い鳥に導かれ見つけた神秘の泉
そこで影のある長い髪の少女と出会った。
少女は僕に首飾りをくれた。。。
支離滅裂ですがメルヘンですよ。メルヘン!
えーと、エメラルドの伝説(ザ・テンプターズ)だろ、ブルーシャトウ、マリアの泉(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)、虹色の湖(中村晃子)、花の首飾り、青い鳥(ザ・タイガース)・・・。
こういうメルヘンチックな歌が流行った時代があったんですよ。
少女フレンドもマーガレットもこんな感じでしたよ。
というわけで、愛の××シリーズ。
愛の泉 / トワ・エ・モア #14
作詞・作曲:渡辺隆己、編曲:アントニオ古賀、青木望
トワ・エ・モア、1970年の作品です。
この歌も当時流行のメルヘン路線ですが、トワ・エモ・アらしくない。
トワ・エ・モアといえば、「或る日突然」「誰もいない海」「初恋の人に似ている」など爽やかさに身の回りの出来事を歌い上げるイメージが強かったので、どこか違和感がありました。
この「愛の泉」を私は結構お気に入りでしたが、完全に歌謡曲ですからねぇ、
いやいや歌っているのではないかと勝手に想像していました。
思い出せない方はこちらで試聴できます。
http://lounge.ongen.net/search_detail_album/album_id/al0000021454/
愛のほほえみ [音楽(愛の××)]
愛の××コレクション
今日はあまり詳しくないカントリーからです。
愛のほほえみ #13
Here You Come Again / Dolly Parton
1946年生まれ。12人兄弟の4番目、というのがそもそも凄い。
この「愛のほほえみ」は、1977年に全米(ビルボード)チャート3位まで上がった大ヒット曲です。私はこの曲で初めてドリー・パートンという歌手の名前を知りました。米国では大御所ですけど、日本で言えば誰にあたりますかねぇ。
カントリーは日本の演歌みたいなものですから・・・・
米国の小林幸子・・・いや、豊満なホルスタイン系のイメージから、
♪くーろいとどだよ とどくろちゃん・・・・
瀬川瑛子かな?
70年代にはもうカントリーの人気歌手でしたが、旬は80年代でしょうね。
初の全米No1ヒットになった「9to5」が81年、ケニー・ロジャースとデュエットした「アイランド・イン・ザ・ストリーム」は84年、女優としての地位を確立したのも80年代です。
カントリー好きと洋楽チャートマニア以外には、日本で広く知られた存在ではありませんが、
オリビア・ニュートン・ジョンで大ヒットした「ジョリーン」はこの人が本家。
♪ジョリーン、ジョリーン ジョリンジョーリーーーン
ビールのCMでバブルスの「ラジオスターの悲劇」の”アワアワ”を使うなら、
こちらは髭剃りのCMソングに使えそうです。
愛の迷い子 [音楽(愛の××)]
は~い アェグネスで~す。
私の新曲、聴いてくださ~い。
♪木枯らしに負けそおぉなの~
愛の迷い子 / アグネス・チャン #12
「愛の迷い子」は1974年の作品。
作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃、編曲:馬飼野俊一
今年の9月、テレビ東京の「田舎に泊まろう!」に出演している彼女を観ました。
歳相応のずうずうしさがあるものの、まだまだアイドルっぽさが残っていますね。
70年代の代表的アイドル、小柳ルミ子、天地真理に昔の面影がなくなり、(というかそれが素なのでしょうけど)、たまにテレビで見かけて切なくなる中、アグネスには救われます。
この歌がヒットした74年はアイドル全盛時代でした。
当時のアイドル歌手は、レコード会社が作るイメージにしたがい、言われるがまま歌を歌い、自分の意見は言わない。かごの中にいる状態でしたね。
75年に「白いくつ下は似合わない」がヒット。
私のお気に入りの一曲ですが、セールス的にはあまり成功しませんでした。
でもこの曲は、それまでの流行歌の作曲者が手がけたものでははなく、当時新進のシンガーソングライターだった荒井由実の作品、というのがとても新鮮でした。
当時ユーミンを一押ししていた林美雄さんの繋がりから、TBSの「パックインミュージック」にも時々遊びに来ていた記憶があります。
林さんとのボソボソとした会話の中に、アーティストたちの素の姿が見えておもしろかったわけですが、アグネスも例外ではなかったと思います。
当時、自分の言葉で話すアイドルなんて珍しくて、かごから出てきたアグネスを応援したいと思いましたね。
それからしばらくして、芸能活動を休んでカナダに留学してしまいました。
愛の始発 [音楽(愛の××)]
先日、紫綬褒章を受章されてましたね。
五木ひろしが紫綬褒章を受賞「感謝の気持ちでいっぱいです」(2007年11月2日 サンケイスポーツ)
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200711/gt2007110202.html
おめでとうございます。
来年、還暦ですか。
愛の始発 / 五木ひろし #11
1976年の作品、作詞:山口洋子、作曲:猪俣公章
最近はテレビに演歌歌手が登場することが少なくなりました。
この歌も久しく聴いていませんが、いかにも五木ひろしっぽい親しみやすいメロディーの曲で、今でもときどき鼻歌で出てきます。
♪川は流れる橋のしたぁ~ まるで二人の恋のぉよぅに~
川は流れる・橋のぉしたぁぁ~
、
当たり前や! 橋の上流れとったら水害やがな。
責任者でてこ~い!!
この歌、セットで今は亡き人生幸朗師匠を思い出します。
五木ひろしのヒット曲といえば、「ふるさと」「長良川艶歌」「千曲川」など、
演歌というよりも田園風景が浮かぶ唱歌が多かったですね。
それだけに、70年代のロック小僧にはかったるかった。
それに、古い話ですけどねぇ。
アイドル時代の小柳ルミ子と噂になったことがあって、「このヤロー」と思っていた時期がありました。
個人的には、大人のいやらしさが出ている「よこはま・たそがれ」や、ロック演歌と呼ばれレイダーズの「Indian Reservation」をオマージュした「待っている女」あたりの方がインパクトがありましたね。
「おまえ五木ひろしの物まねをしろ」と言われたら、
絶対にコブシを握って、「♪よこはま~」ってやりますもの。
愛の航海 [音楽(愛の××)]
愛の航海 #10
Rock The Boat / Hues Corporation
「愛の航海」は、1974年7月に全米No1になった大ヒット曲です。
ヒューズ・コーポレーションは、カリフォルニア出身の黒人トリオ。
”ヒューズ”は綴りは違うが、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズから取ったそうです。
74年頃のアメリカはソウルミュージックのブームでしたね。
テレビショーの「ソウルトレイン」が人気で、軽くて聴きやすいダンスナンバーが多く登場してきました。
そういえば、タモリ倶楽部で「SOUBU TRAIN」というコーナーがありましたね。
黄色い電車のアニメタイトルで始まり、タモリがドン・コーネリアスに扮して司会。
そんな記憶がありますが、タモリ倶楽部は80年代に始まった番組ですよね。
妙に時代が一致してしまっています。
74年当時は、ラジオ関東の「全米TOP40」を毎週聴いていたので、洋楽のヒット曲はよく覚えています。
この年は全米NO1ヒットが36曲もあったことでわかるように、毎週のようにトップが入れ替わっていました。あと、Rock Your Baby,Rock Me Gently,Rock And Roll Heaven とかRockで始まる大ヒット曲が多かったです。
まあ、どうでもいいことですが・・・。
ちなみにアメリカでこの曲がNo1になっていたとき、
日本ではこんなベスト3でした。
3位:ひと夏の経験(山口百恵)
2位:うそ(中条きよし)
1位:激しい恋(西城秀樹)
このシリーズも
♪やめろといわれても パラパラララパーラパーラ
今では遅すぎた パラパラララパーラパーラ
というわけで、まだまだ to be continued
愛の水中花 [音楽(愛の××)]
♪おーつか愛 い~じま愛 バッタリ会い にらみ合い
すいませ~ん m(__)m
”愛の”連体修飾タイトルコレクション
飛ばしすぎで少し息切れしてきました。
この歌、替え歌を作りやすいんです。
正しくは
♪こーれも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛
愛の水中花 / 松坂慶子 #9
きれいな人ですよねぇ。
最近は貫禄が出てきましたが。
「愛の水中花」は、1979年、
松坂慶子主演、五木寛之脚本のドラマ「水中花」の主題歌です。
バニーガール姿が色っぽかった記憶があります。
79年のヒット曲といえば、
君は薔薇より美しい、アメリカンフィーリング、魅せられて、燃えろいい女・・・
化粧品などCMとのタイアップが多かった。
あと、TBSの「ザ・ベストテン」で歌うアーティストの姿が脳裏に浮かびます。
テレビの音楽番組の全盛時代でした。
79年は、
日本シリーズの江夏の21球、
スリーマイル島原子力発電所で放射能漏れ事故
イギリスでサッチャー首相就任
韓国では朴大統領暗殺、
大平総理があ~う~
ソニーがウォークマンを発売・・・
もう古い歌なんですねぇ。
愛の別れ道 [音楽(愛の××)]
アダルト・コンテンポラリー・ミュージックという言葉はもう死後でしょうか?
最近の新しい音楽は子供向けで、大人は昔の歌ばかり聴いているような気がします。
ブレッドは70年代、そのアダルトなロックグループの一つでした。
愛の別れ道 #8
Baby I'm A Want You / Bread
「愛の別れ道」が米国でヒット曲したのは1972年。
時期的にはカーペンターズがブレークした時期と重なります。
ソフトロックとも呼ばれた彼らの音楽は、当時かったるく感じましたが、今は癒されます。
全米No1になった「二人の架け橋(Make It With You)」、「涙の想いで(Everything I Own)」、「灰色の朝(Dismal Day)」「イフ」「ギターマン」「スウィート・サレンダー」など名曲揃いです。
記録によれば、73年に解散し、76年に一時的に再結成。
中心メンバーのデヴィッド・ゲイツはソロになってから、
映画「グッバイ・ガール」の主題歌をヒットさせました。
ニールサイモン原作の「グッバイ・ガール」
どしゃぶりの雨の中、
リチャード・ドレイファスが公衆電話をかけるラストシーンが良かったなぁ。
携帯電話が当たり前になっている今の子供たちには、
ピンと来ないかもしれませんね。
愛の園 [音楽(愛の××)]
今年の12月で還暦をお迎えだそうです。
でも、お若い。
愛の園 / 布施明 #7
1968年の作品です。
♪ どこに~どこにあるの~ 愛の園
二人~二人だけの~ 愛の園
古い歌ですけど、そこのお父さんとお母さん!
思い出しましたかぁ?
頭を七三に分けた布施明の歌う姿を「シャボン玉ホリデー」で見た記憶があります。
私が子供の頃は紅白歌合戦の常連でしたね。
1968年には、この「愛の園」で2回目の紅白出場を果たしていますが
なんと言ってもハイライトは70年。
「愛は不死鳥」を歌ったときの衣装です。
広げた両手のその下に白いタンザクひ~らひら
もちろん、不死鳥の羽をイメージしたものだったわけですが、
当時強烈なインパクトを残しました。
翌日、元旦の寄席番組で桂三枝など芸人がみんなネタにしていたほど。
このステージが後の小林幸子や美川憲一の派手な衣装(装置?)対決への伏線になったのではないでしょうかね。
70年代に入り、過去の人になりつつあった布施さんは、
73年の「甘い十字架」のヒットで復活します。
翌年「積木の部屋」、75年はご存知「シクラメンのかほり」。
その後も、「傾いた道しるべ」「陽ざしの中で」「落葉が雪に」「君は薔薇より美しい」
ニューミュージック台頭の流れにも乗りヒットを連発しました。
アイドル全盛時代に貴重な大人のポップシンガーでした。
「でした。」 と書きましたが、もちろん今も健在。
最近では、映画「ラヂオの時間」のプロデューサー役が印象的でした。
(最近でもないっすかね?)