大久野島へ行く 後編 毒ガスの島 [旅行]
大久野島へ行く 後編です。
大久野島は、
前編で紹介した「うさぎの楽園」という顔とは別の
もう一つの顔があります。
それは、かつてこの島に毒ガス製造施設があったという
影の顔です。
島は、明治時代に旧陸軍の要塞として使われ、
昭和時代に、ここに毒ガス製造工場が建設されました。
それらの多くは、第二次世界大戦後に破壊されましたが、
その一部が、今でも当時のまま残されています。
東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本の毒ガス工場として、昭和4年に設置され、昭和20年終戦後米軍により破壊されました。この工場は、各種の毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されましたが、イペリットの生産に重点が置かれていました。(毒ガス障害死没者慰霊碑抜付加)
【大久野島 毒ガス資料館 パンフレットより転記】
(軍幹部用防空壕)
毒ガス資料館には、
毒ガス製造工場の歴史、運命、製造に使用された器具などが、
展示されています。
日本人のほとんどは、
日本が戦時中に毒ガスを製造していたことを知りません。
そんなこと、学校で教えませんからね。
第二次世界大戦前、
この島の存在は、国家機密になっており、
海外からの批判、攻撃を避けるため、
地図から消されていたそうです。
毒ガスを製造し、使用したという事実は、
旧軍関係者以外には知らされず、
その実態が明らかになったのは1984年。
終戦から40年近く経過してからでした。
イペリットという毒ガスの製造過程で、
多くの工員に痛ましい被害者が出たとのことで、
正直、目をそむけたい話だし、
あまりいい気分がしませんが、
こういう負の遺産も、しっかりと目を開けて
見ておく必要があると感じました。
こちらは、島の西にある、
三軒家毒ガス貯蔵庫跡
ここの巨大なタンクに、
工場からガスが送り込まれていたとのことでした。
工場や貯蔵庫の建物のほとんどは破壊され
現在は国民休暇村のテニスコートなど
敷地はスポーツ施設に変わっています。
島の北西にある貯蔵庫跡。
この不気味な廃墟の中から、
ウサギくんたちが、ピョコピョコと走り寄ってきました。
ここがどんな場所だったか、
彼らにわかるはずはなく、
廃墟の壁の黒さと、彼らの無邪気さとのギャップに
戸惑いを覚えます。
島を北へ、
北部砲台跡へ行ってみました。
ここは毒ガス工場とは無関係
日露戦争開始前の1902年、
大久野島には軍の要塞が築かれました。
北部、中部、南部、
島の3か所の砲台に22門の大砲が設置されていたそうです。
赤レンガに歴史を感じます。
この砲台には、24cmの加農(カノン)砲が設置されていた・・・
カノン砲とは、今で言う、キャノン砲のことでしょうか?
昼間とはいえ、しんしんと雨が降り注ぎ、
私以外、訪れる人はいない。
ここで、島に来るときのフェリーで乗り合わせた女子高生たちの
「島はおばけが出るって噂だよ」
という会話を思い出し、少しいやな気分になりました。
要塞には、部屋の跡など、暗闇が多くあるので、ちょっと怖い。
夜はとても一人では来られませんね。
次に、中部砲台のある、山頂を目指し階段を上りました。
途中息が切れ、ふと上を見上げると、
予想以上に高さがあることに気づき、引き返そうかと思いましたが、
上りました。
標高は100mほどですが、
重たいリュックを担ぎ、傘をさしながらで、
急な階段を一気に上るのは正直きつい。
これが、山頂からの眺め
天気が良ければ、絶景だったんですがねぇ。
こんな山の上にも、ウサギ君の姿が。
低地のウサギたち同様、人間を見つけると近寄ってくる。
この行動は、もはや、DNAレベル。
中部砲台跡です。
古代の遺跡みたい。
環境省が設置した解説板によると、
中部砲台も、100年以上前、
旧陸軍によって築かれたもので、
ここに置かれていた大砲は、
第一次世界大戦のときに取り外され、
戦地で使用されたとのことでした。
使われているレンガは、
ロシアから輸入されたもので、
立派な明治時代の記念物。
世界遺産レベルですよ。
そうこうしているうち、戻る船の時間が近づき、
急いで山を降りることにしました。
山頂から船着き場へは、
クルマで下る道路がありますが、
ジグザグに迂回しているため、
斜面を直角に、近道をすることにしたのですが、これが運の尽き。
途中で道に迷ってしまいました。
誰にも会わないし、聴こえるのは波の音だけだし、
人っ子一人いない、廃墟を見た直後だっただけに、
冷たい汗が流れましたよ。
やっと、舗装道路に出て、ホッとし、
歩きだしてしばらくして、下の廃墟が現れました。
旧陸軍の発電所跡です。
何ともいえない不気味な建物。
立入禁止ですが、とても中に入る勇気は起きません。
まさか、肝だめしに使っていないだろうな。
最後は、明治時代に使用されていた桟橋跡。
敷き詰められた赤レンガに歴史を感じます。
島に毒ガス工場が設けられてからは、
その秘密を守るため、本土から見えるこの桟橋は使用されず、
南側の桟橋が使われたとのことでした。
というわけで、2時間ほどの滞在でしたが、
考えさせられることも多く、濃い時間を過ごしました。
ウサギたちの愛らしさと、毒ガス施設の醜悪さと、
光と影の部分を同時に見たため、
楽しさと恐怖が入り混じった変な気分になりましたが、
面白かったです。