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二郎さん [お笑い]

思い起こせば13年前!!

13年前、1998年といえば・・・

長野オリンピックで原田の大ジャンプがあって、
日本がサッカーワールドカップに初出場して、
横浜ベイスターズが優勝して・・・

いや、そういうことではなく、
コント55号のネタで出てくるセリフです。
半世紀生きている日本人はみんな知っているでしょう。

先月、坂上二郎さんが亡くなりました。
そのとき追悼の記事を残そうと思っていましたが、

亡くなったのが3月10日の木曜日
翌日、東日本大震災が発生、

タイミングを逸してしまいました。

おそらく、週末に放送予定だった追悼番組も
すべてお蔵入りしてしまったでしょうね。


1960年代です。
世は、お笑いブームでした。

一家に一台普及しだしたテレビ
休日のテレビ番組はお笑い中心。

私は、日曜午後には、「大正テレビ寄席」と「末広亭珍芸シリーズ」を
はしごで観ていました。

当時よく出演していた漫才師は

ベテランのコロンビアトップ・ライト、青空千夜一夜、
晴乃ピーチク・パーチク、Wけんじ、獅子てんや・瀬戸わんや

「い~じゃな~い」の晴乃チック・タックは若手でした

いずれも二人でスタンドマイクの前に立ち
話術中心、アクションは少なめでした。

そんな時代に、舞台全体を使って動き回る
コント55号のコントは衝撃的でした。

面白かったなぁ、冒頭のセリフがあるコント
選挙演説をしている弁士が、いつの間にか弁当売りに変わってしまう設定には
腹をかかえて笑いました。

今は誰もが知っている野球拳も
コント55号の「裏番組をぶっとばせ!」がポピュラーにしましたね。
当時は、PTAのワースト番組でした。

二郎さんの「飛びます 飛びます」が定番になったのは
片岡鶴太郎がモノマネしてからでしょうか。

晩年は俳優として活躍されました。
歌手としては1974年に「学校の先生」をヒットさせました。
ユニコーンとの共演も意外性があってよかったな。

「あじの開き!」などのほのぼのギャグや
欽ちゃんの無茶ぶりに困った顔が
もう録画でしか見られないのはさびしいです。

ご冥福をお祈りいたします。
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