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水天宮 [タイムスリップ]

タイムスリップ定点比較シリーズ。
明治45年に発行された「東京名勝図絵」
に載っている写真の現場を訪ね歩いています。

今回は日本橋蛎殻(かきがら)町の水天宮です。

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水天宮は、安産、子授けの神様として
東京都民に古くから親しまれているお宮さんです。

このブログに迷い込んだ方の中にも
岩田帯をしてお参りしたことがあるという
お母さんがいらっしゃるかもしれません。

私も長女が出来たときに参詣した記憶があります。

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水天宮周辺は、
隣の人形町がドラマ「新参者」の舞台になったこともあり、
最近はちょっとしたブームになっていますね。

昔から行列ができていた
タイ焼きの柳屋や親子丼の玉ひではもちろんのこと、
休日はどこのお店も観光客で大賑いのようです。

いろいろ、お薦めのお店や観光スポットがありますが、
水天宮では、敷地の中にある駄菓子屋さんが
懐かしい昭和の雰囲気を感じさせてくれます。

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冒頭の2枚の写真。

明治時代と現在の水天宮の写真ですが、
途中、大震災と戦災を経験したこともあり、
全くといっていいほど当時も面影がありませんね。

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現在、本殿と拝殿があるのは階段を上った2階。
一階は駐車場になっています。

したがって、写真が撮影された場所は、
駐車場の天井あたりでしょうか。


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古写真の解説文には次のようにあります。

 【水天宮】
 本社は筑後久留米に在り、文政元年三月久留米藩有馬邸内に奉し
 後明治五年今の地に移す。
 祭神は安徳天皇、建礼門院および二位尼にして天御中主神を相殿とす。
 毎月五日の祭日には賽者雑沓すること都下第一なり

”賽者雑沓すること都下第一なり”とあることから
明治末期、東京の大人気スポットだったことが窺えます。

しかし、明治5年に移転したということで、
江戸時代にこの場所になかったというのは意外でした。

それと、祭神が壇ノ浦の合戦で入水した悲劇の人物
安徳天皇、その母建礼門院、祖母で平清盛夫人 二位の尼
と知っている人も少ないのではないでしょうか。 

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この由来については、水天宮のホームページに解説があります。
http://www.suitengu.or.jp/

1185年、壇ノ浦の合戦に敗れた平家。
安徳天皇、建礼門院とともに入水を決意した局の伊勢は、
二位の尼に「生きて平家一門の霊を慰めてほしい」との命を受けとどめられる。
伊勢は、鷺野ヶ原という筑後川のほとりの地に逃れ、
そこに祠(ほこら)を建て、平家一門の霊を祀る日々を送っていたが、
地元の人たちから尼御前と慕われるようになり、
社名も尼御前神社と呼ばれるようになった。
子供の守護神、安産の神様から農業・漁業まで広く信仰を集め
これが水天宮の起源となった。

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時代が進み、江戸時代前期、
久留米藩第二代藩主有馬忠頼公が7000坪の敷地を神社に寄進。
社殿が建設され、水天宮の総本宮となり今に続いている。

江戸時代には、ご分霊が、江戸赤羽根(現在の港区三田一丁目)の
久留米藩主有馬家上屋敷の敷地内に祀られた。
その後、一旦青山の中屋敷へ移ったが、
1872年(明治5年)から現在の日本橋蛎殻町に祀られている。

端折ると、こんな感じでしょうか。

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江戸の時代、
水天宮は有馬家上屋敷の敷地内にありました。
塀の中でしたが、御利益があるということで、
賽銭を投げ込む人が後を絶たなかったとのことです。

「情けありまの水天宮」とうたわれ、
当時の人気パワースポットだったのでしょうね。

では、

その水天宮があったという元の場所へ行ってみましょう。

現在の港区三田、中之橋交差点付近、
国際医療福祉大学 三田病院の敷地内。

現在、駐車場になっている辺りでしょうかね。

何か痕跡がないか捜してみましたがありませんでした。

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しかし、実はこの場所、

以前の記事にも出た幕末の写真師 
F ベアトが写真撮影した場所なんですよね。

下の写真は、中之橋交差点付近から
南向きに撮影したものです。

遠くの木が茂っている場所には
神明宮、現在の天祖神社があります。

水天宮は、この写真の左
少し写っている塀の中にあったはずです。

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因みに、この場所の2011年1月はこんな景色。
最近、高層ビルが建ったばかりです。

しかしフレームは一緒、
”土地の記憶”は残っていますね。

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昔の神明宮の面影を残す場所は南側、
神明坂の途中から上る石段。

ここは江戸時代から
変わっていないかもしれません。

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しかし、本殿は近代的な建物に変わりました。
え? これが神社?

という感じ。

拝殿はその二階にあります。 

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江戸時代、水天宮があったという有馬家の上屋敷は
現在の三田一丁目。

神明坂の東側から三田通りまでの広大な敷地で、
現場を歩くとその規模に驚かされます。

敷地の北側が崖地なので、きっと池や滝があり
美しい庭園だったに違いありません。


有馬家の話になったところで・・・


最後にもう一つ、

この有馬のお殿様のお屋敷は、
化け猫騒動のあった場所として知られています。

当時の大スキャンダル?
ホラー小説の舞台と言った方がいいでしょうか?

その屋敷が建っていた場所には現在、
赤羽小学校があります。
ちょっとした縁があって、
最近、校内に入る機会がありました。

敷地が傾斜地で、校内に崖や階段、
さらに滑り台まである、ユニークな学校です。

かつては庭園の面影を残していましたが、
現在は機能優先で、大分様相も変わっています。

で、その小学校の校舎の横、
都立三田高校との境界の塀のそばに

有馬の化け猫騒動に因んだ塚があります。

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これがその猫塚。

いじめをすると復讐されるぞぉ、という
小学生にはちょっと怖いお話です。 

猫塚.jpg


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