SSブログ

明石町から [タイムスリップ]

100年前の東京の写真の現場へ行ってみよう。
タイムスリップ定点比較シリーズ。

今回は、明治末期の隅田川を写した一枚の写真です。

2008112101.jpg

写真の解説には

大川の下流築地明石町付近に船舶輻湊する光景なり

とあります。

ということで、隅田川西岸 築地明石町の同じ場所へやってきました。
2008年11月の風景はこうなっています。

20081121019.jpg

江戸時代、播州明石の漁師がここへ移住したことから
明石町と呼ぶようになったといわれているそうですが、

明治時代は、まだ漁船が並ぶ場所だったんですね。

江戸時代の初期は、
東京湾の入り江がもっと奥まで入り込み、
明石町のある場所は、もう南側に海が広がっていました。

しかしその後、月島の埋め立てが進み、
明治時代には、もう川になっていたそうです。

2008112106.jpg 


上の古い写真を拡大してよく見ると、漁船の向こうに民家らしきものが並び、
中央にもくもくと煙を吐く煙突が見えます。

おそらく、石川島の造船所の煙突でしょう。

2008112102.jpg


造船所の跡地は、大川端リバーシティ21の高層ビル群に変わったので、

このポイントで間違いなさそうです。

2008112120.jpg

おそらく、撮影場所は、現在の聖路加タワーのある場所のすぐ横。

見上げれば・・・・

陸は様変わりですね。

ちなみに、手前の橋は佃大橋です。

      2008112111.jpg

2008112121.jpg

写真の解説に、

河上を遊泳する鷗は在原業平が「名にしおばいざ言問はん」の歌にて世に知られたる都鳥なり

とありました。

その都鳥ことユリカモメくんは、
この日も明治時代と同じように、この場所で人間たちに愛嬌を振りまいていました。

彼らは本当には可愛いです。
写真に吹き出しをつけたくなります。(^^)

yk13.jpg yk14.jpg

yk11.jpg yk12.jpg

さらに、

其他此沿岸、名所舊蹟多く一一枚挙に遑あらす

明治時代、隅田川沿岸は観光地という顔もあったんでしょうね。

明石町では、その明治時代の名残を
あちこちに見ることができます。

明石小学校の前に保存されている明治時代のガス燈。

2008112104s.jpg 2008112105s.jpg


明治時代の建築物ではありませんが、

聖路加看護大学の建物も、時代を感じさせてくれます。

2008112103.jpg

また、この周辺には××発祥の地というポイントがいくつもあります。

電信、指紋研究等々
詳しく解説したサイトがありましたので、今回参考にさせていただきました。

コチラです。→ 明石町ぶらり散歩道

いくつかの大学もこの町からスタートしているんですね。

慶応義塾大学、青山学院大学、工学院大学、

写真は、左が明治学院、右が立教大学の発祥の地の碑です。

2008112113.jpg 2008112114.jpg


さて、

明石町から佃大橋をくぐり、隅田川西岸のテラスを北へ歩くと、

先が細くなった鉄砲のような形をした入り江の先、
水門のある場所で行き止まりになっています。

このあたりは、その入り江の形から鉄砲洲と呼ばれている場所です。 

水門の向こう側にも、ユリカモメが多く生息しています。
きっと、餌の魚がたくさん泳いでいるんでしょうね。

北側は近代的なオフィスビルが立ち並び、
昼間は背広姿のサラリーマンの街に変貌してしまいました。

こうして、陸の上はどんどん昔の面影が消えて行きますが、
川はまだまだ昔の形を残しています。

たまには、こんな場所で川面でも眺めながら、
網を引く100年前の漁師の姿を

想像するのも楽しいかもしれませんね。

2008112115.jpg


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。