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木挽町~明石町 [タイムスリップ]

100年前の東京各地の写真の現場を見に行く、”タイムスリップ・定点比較”シリーズ

今回は木挽町から明石町あたりを歩いてみました。
木挽町は現在の地名は銀座です。一般的には東銀座と呼ばれている場所ですが、南北に長く、写真の場所もしばらくどこかわかりませんでした。
建物が農商務省とあったので、古い地図で確認。
晴海通りの一本南の采女橋と判明しました。


采女橋


2007年

面影がないですね。
左の建物が新橋演舞場、右が日産自動車の社屋。
この三連休、マリノス、パック、なぜか日産に縁があるブログになってしまいました。

川が流れていたところは、今は私もよく使う首都高です。
ちょうど急カーブがあるところで、新橋演舞場めがけて突っこみそうな感覚になる危険な場所です。
その、新橋演舞場の裏にはミニハーブ園がありました。
手入れが今ひとつですね。

 


晴海通りを西へ少し歩くと、歌舞伎座があります。


歌舞伎座

建て直して、屋根の形とか変わっているんですね。
しかし、ここは十分タイムスリップできます。

歌舞伎座に近い三原橋交差点から築地にかけて、
私が子供のころは映画館が並んでいました。
今は東劇だけになっているようです。

それにしても、高い建物が増えましたねえ。
町の様相が変わってしまいました。

 


さて、東へ歩いて築地。
築地まで来ると古い建物がちらほら残っています。
築地本願寺は建物がエキゾチック。

    

築地といえば、市場ですが、市場のほうは見向きもせず、
逆方向の南小田原町という地名だった場所へ向かいます。

ここには工学院大学の前身の工手学校があったそうです。
場所が確定できず、植木の世話をしていたおじいちゃんに地図を見ながら聞き込み。


工手学校

写真の場所は、どうやら私の愛読紙である日刊スポーツの社屋が建っている場所のようです。
おじいちゃんも自信無げ。
さすがに明治時代のことまでは分からないそうです。
そりゃそうだ。


この近くは、外人居留地があったらしく、かつては古い洋館も多く立てられていたようです。
史跡も多く、聖路加看護学校の敷地は、芥川龍之介生誕の地だそうです。
というわけで、勝手に東京文学シリーズ・蜘蛛の糸バージョンのご当地に認定。

 


明石町、聖路加ガーデンの下まで来ました。
ここにも超高層ビルが建っています。

        

 

お目当ては明石町の立教女学院があった場所。

立教女学院 


現在は聖路加病院、運河は埋め立てられ道路になっています。

変わっちゃってますねえ。

世界で、東京ほど常に変化している都市はほかにないのではないでしょうか。
それだけに、100年時間が止まっている場所を探すのは至難の業かもしれません。


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