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那覇 首里城 [旅行]

沖縄へ行ってきました。
観光旅行です。


まずは、沖縄県の県庁所在地 那覇

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30万都市ですが、
ビルの谷間をゆいレールが走る風景を見ていると
大都会にいるような気分になります。

観光客らしく
那覇観光の定番、首里城を見ようと
中心街からそのゆいレールで首里へ向かいました。

那覇は日本有数の人口密集地区だそうです。

モノレールから見える、
住宅がひしめきあっている景色は、
沖縄というよりは、関東の私鉄にのって西へ走っている感覚。

そんなことを考えているうち、終点 首里駅に到着

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ここから首里城へは歩いて15分ほど。

駅前でタクシーの運転手に、
お城は歩くと遠いからクルマに乗れと勧められますが、
歩いてみたら、大したことなかったです。

お城へ向かう途中、民家の軒先に座っている
シーサーウォッチングをするのも楽しいです。

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シーサーもいろいろな奴がいますね。

沖縄滞在中、目の前にシーサーが現れるたび、
写真に撮っていたら
デジカメのSDカードが、シーサーコレクションのようになってしまいました。

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さて、首里城が近付いてきました。

琉球王家の菩提寺 円覚寺。
臨済宗の寺院と琉球王朝とミスマッチのような気がしますが、
徳川家の増上寺のように、琉球王朝の歴史上
重要なお寺だったようですね。

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円覚寺と道路を挟んだ敷地には、
弁財天堂と円鑑池があります。

弁財天堂は、15世紀末、
朝鮮王から贈られたお経を収めるために設けられたお堂で、
お堂につながる橋は、天女橋と呼ばれています。

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1609年、薩摩が琉球に入り、お堂破壊、
大事なお経は失われてしまいましたが
1621年、弁財天像を祀ったことから、以後弁財天堂と呼ばれているそうです。

その弁財天堂も天女橋も、第二次世界大戦時の沖縄戦で破壊され、
現在あるのは1968年に復元されたもの。

池の周りに居ついている鳥は、バリケンというカモの一種。
本州では見ない鳥です。

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円鑑池のすぐそばに、日本軍が築いた壕の遺構があります。

首里城が沖縄戦で米国のターゲットになったのは、
ここに南西諸島防衛のための、日本軍の司令部壕があったから。

首里城に限らず、日本の多くの城が、
明治以降軍隊の施設に転用され、
そのため第二次世界大戦時空襲を受けるなどで、
貴重な文化遺産の多くが失われてしまいました。

日本にとって残念な歴史ですが、
中でも首里城は、特に破壊の程度が酷かったようです。

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さて目的地、首里城の城郭へ向かいましょう。

まずは、首里城へ来た観光客の定番記念撮影スポット、守礼門

入れ替わり立ち替わり、
門の前でポーズをとっての撮影が続いていました。

門の上に掲げられている「守禮之邦」の文字は、
ここを訪れる人に対する、
沖縄は礼節を重んずる国です、という宣言分です。

この門も、1958年に復元されたもの。

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守礼門をくぐり、左側

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)があります。

国王がここで安全祈願をして外出したそうで、
礼拝所の役目を果たしていたとのことでした。
門は16世紀に建てられたもので、
首里城の建物施設は復元されたものが多い中、
この門は降るそうで、歴史を感じさせてくれますが、

ここも例外にもれず、一部が復元。 

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首里城の正門 歓会門。 

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訪問者を歓迎します、という名前の門
創建は15世紀で、やはり焼失し、1974年に復元。

首里城の建築物は、復元されたものばかり。
破壊がいかに酷かったかが伺えます。

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訪問客には、左右の魔よけのシーサーがお迎え。

首里城のシーサーは、少しマーライオンが入ってます。

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城の水道の役割を果たした「龍樋(りゅうひ)」
龍の口から出ている水は、王宮の飲料水になっていたそうです。

瑞泉門は、首里城二番目の門で
龍樋の泉に因み「瑞泉」
立派な泉の門と名付けられていました。

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第三の門、漏刻門

「漏刻」、漏れる刻って何だろう?
役人が遅刻しそうになるから、と勝ってに想像しましたが、
大外れでした。

中国語で、「水時計」のことなんですね。

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漏刻門をくぐると、
日影台という広場へ出ます。

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大分、上ってきました

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また、門があります。
4番目の門は、広福門です。

「広福」=広く福を行き渡す

守礼門から、それぞれの門につけられた名前には、
何となく琉球の人の大らかさ、
優しさを感じます。

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いよいよ5番目、
この区域は御庭(うなー)、
登城する客人がくぐる最後の門は、奉神門。

1992年復元なので、建物が新しいです。
中は事務所に使っているそうです。

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やっと、正殿に到着。

正殿は木造三階建てで、
1階が政治や儀式を執り行う公式の場所、
2階が国王や神女が儀式を執り行う場所
3階は屋根裏部屋に使っていたとのこと。

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元の建物が焼失してしまっているので、やむを得ないとはいえ、
建物内部は木造の新築物件を観ているようで、
文化遺産ではなく、博物館にいるような感じがします。
というか博物館です。

もっとも、誰のせいで文化遺産が失われることになったのかと言われると、
内地の人間としては心苦しいところがあります。

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上の写真は、金、銀、水晶、珊瑚などで飾られた王冠。
皮弁冠または玉御冠(たまんちゃーぶい)と呼ぶそうです。

綺麗なものですが、これも複製品というのが残念。

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正殿を見て回り、順路に従って外へ出ると、
右手に淑順門があります。
淑順門は、「国王やその家族が暮らす御内原」への表門ということで、
民家の勝手口の役割を果たした門ですね。

ここも復元され、2010年から公開されているとのことでした。

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首里城は現在も復元が続いていて、、

さらに上がった、東のアザナと呼ばれる区域は、
まだ公開されていません。
延々と工事が続けられているようです。

広い城郭のすべての施設が復元されるまでには、
まだまだ長い時間がかかりそうです。

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首里城に隣接する沖縄県立芸術大学
丘の上からよく見えます。

景観を壊さないよう、建物の構造、色がよく配慮されていますね。

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右掖門から久慶門へと下る坂
正殿を訪れた観光客の帰り道になっています。

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首里城は日本の他の城と比べ、コンパクトという印象でしたが、
山城で高低差があるので、一回の訪問で、
隈なく観て歩くのはちょっとキツイですね。

私は久慶門から、首里城公園へと回ってしまい
裏門の継世門や王陵を見そこなってしまいました。

次の機会では、もっとじっくり観ようと思います。

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以前、首里城は、日本の観光地の三大ガッカリの一つ
と聴いたことがあります。

沖縄戦で城郭が破壊され、
廃墟から復元したため、
多くの建物が新築物件という点で
確かにがっかり感はありますが、

このまま忠実に復元が進めば、
いずれ古くなるし、
それはそれでいいのかな?
と思います。

もっとバリバリの世界遺産らしくなるのは、
これからでしょうね。

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コメント 2

NO NAME

首里城正殿などが復元される前は守礼門だけしか無かったので
守礼門が3大ガッカリでしたが首里城復元後は3大がっかりにはなっていませんよ。首里城は日本一の入城者数を誇ります。数年前に築城記念イベントが多かった熊本城に一度だけ首位を奪われましたがね。
by NO NAME (2014-05-04 12:11) 

Cliff

コメントありがとうございます。

首里城は広いので、札幌時計台のようなあっけなさはなく、観光客として行った感想としては、大きく失望したところはありませんでしたよ。
ただ、建物がみんな新しく、新築物件ばかり見ているような気分になりました。でも、これはどうしようもないですね。
復元が進められている、城郭の東側も風情があります。また、いつか行きたいと思います。
by Cliff (2014-05-05 06:37) 

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