水曜日の午後 [音楽]
最近、オフコースを聴きなおしています。
それも初期のアルバム。
オフコースが、小田和正、鈴木康博のデュオになったころがいいですね。
小田和正の曲がショートケーキなら、鈴木康博はコーヒー。
そんな関係だと思っていました。
1973年の彼らのアルバム「僕の贈りもの」に、
最近、歌詞を読み直して再発見した歌があります。
小田さんの歌詞には、よくいえば省略形、
早くいえば日本語になっていないものが多くありますが、
この「水曜日の午後」もその一つです。
水曜日の午後 (作詞/作曲 小田和正)
もう少し早く気がつけば
誇りと自信をなくして・・・・
どんなに小さくなった自分でも
夢さえあれば何とか生きていける~
「もう少し早く気がつけば」
気がついてしまっていたら、「誇りと自信をなくしていただろう」と読むのか?
「もう少し早く気がつけば」よかった、と解釈するのか?
で、一体何に気がつくのか?
昔、頭を悩ませた一節です。
小田さんの詞は、伏線がないので、
通して解釈しようとせず、フレーズで聴くのがお約束
でしょ?
温かい雨の降る水曜日
少しだけ心も落ち着いた
夕方には晴れるかな
でも、そんなことはどうでもいいんです。
美しいメロディーラインだけで十分エバーグリーン。
で、歌の2番。
朝もやに包まれた公園で
降り注ぐ透明な木漏れ日に
まだなにかできるかもしれない
そんな望みを感じながら~
「朝もや」って、午後じゃないジャン!
初めて聴いた頃は読解力のないガキだったので、
単純にそう思いましたね。
でも、最近は年相応に違った解釈をするようになりました。
もしも人生が一週間なら、
今は雨の降る水曜日、
でも希望を持とう。
午後にはきっと雨が上がる・・・。
長年勤めた会社を退職したばかりのころは、
余計にジーンときました。
もしかして、初期のオフコースって、ジジくさい?
温かい雨の降る水曜日
少しだけ心も落ち着いた
もう一度始めよう
もう少し早く気がつけば
・・・うぬぬ。真っ正面から受け取れば
「もうちょっと早く気がつきゃよかったのに」という自責、後悔ですね。
「すんでの所で『誇りと自信をなく』すところだった」というのであれば
「あとちょっとでも早く気がついてたら」ですかね。
その「・・・・」」の位置が『もう少し早く気がつけば』の後だったら一目瞭然ですね。それでもまだ疑問が残ります。
『誇りと自信をなくして』のまえに「それでも」とかなにかがつかないとまずいなあ。しかしその後逆転するほどの何かがなくても『生きてゆける』のだから「気がつかなかった」ことも大したことではなかったと推測されます。
じゃあそんな「ど~でもいいこと」に『誇りと自信をなくして』しまう人ってどんだけよわっっちいの?そして誇りも自信もなくしても何となくやっていけちゃうこの人を支えるモチベーションは何?
ああ、小田さんファンのみなさんごめんなさい。「そういう理屈じゃあないんだよ、酔いどれ天使!」おしかりの声が聞こえます。
by 酔いどれ天使 (2008-06-26 14:10)
☆酔いどれ天使さん、こんばんは
一緒に悩んでいただきありがとうございます。(笑)
「どんなに小さくなった自分でも 夢さえあれば何とか生きていける」
ことを、「もう少し早く気がつけば」、「誇りと自信をなく」すわけがないし。
理屈で聞いたらダメだということは分かっているんですけどね。
「眠れぬ夜」だって、なんで最後に何の伏線もなく、
唐突に「眠れない夜と雨の日」になっちゃうのか、
考えると眠れなくなっちゃう春日三球でした。
by Cliff (2008-06-26 22:36)
小田和正世代ですが、オフコースはあまり聞かなかったですねぇ。
ちょっと「なよっぽい」のが当時の私には許せなかった記憶が・・・。(笑)
いま改めて聞いてみるとまた違った感想になるかもしれません。
by がま親分 (2008-06-27 00:26)
☆がま親分さん、こんばんは^^
確かに、オフコースの唄は、先行して人気が出たアリスなどのゴリッとした歌と対極だったかもしれません。
私もすべて認めていたわけではありませんが、当時、詞の内容やハイトーンボイスを除いてもメロディーラインの美しさは、突出していたと思います。
オフコースに限らず、久しぶりに聴いて再発見する歌が結構ありますよ。
by Cliff (2008-06-27 20:16)