一慶さん [ラヂオ]
中学に上がって最初のこづかいをはたいてラジオを買いました。
ラジオが聴きたかったんです。
今では考えられませんが、小学生のときは9時就寝。
子供扱いで、「ローハイド」や「タイムトンネル」など10時台の番組は見せてもらえず悔しい思いをしていました。
テレビは一家に一台しかなく、チャンネルも子どもの自由にならない時代。
ラジオなら自分のものだし、電気を消してからのフトンの中でも聴ける。
それに、受験勉強中に兄貴が言っていた真夜中の永六輔や那智チャコの番組を聴いてみたかった。
なんとなく、ラジオが大人の入り口に立たせてくれるような気がしていました。
秋葉原の電気街で手に入れたラジオは、中波しか入らないちっぽけな芸のないラジオでしたが、宝物を手に入れたようなうれしさがありました。
当時、東京で聞こえる中波は、民放では950KC(キロサイクル)のTBSラジオ、1130KCの文化放送、1330KCのニッポン放送、あとチューニングは悪いが横浜のラジオ関東。
NHK第一、第二、こちらは面白くとなんともなかった。
他には親が進駐軍放送と呼んでいたFEN。
さっそく、フトンに潜り、買ったばかりのラジオのダイヤルをぐるぐる回していました。
9時台に野球のナイター中継が終わり、10時台という”大人の時間”に差し掛かったとき、ラジオから素っ頓狂な声が聞こえてきました。
こ~んばんは~!! アーナウンサー1年生の小島一慶です!!
「ヤングポップス1010」という洋楽番組でした。
アシスタントがアメリカンスクールの学生、リリー・チェンさんでした。
スポンサーが東芝だったので、系列レーベルのアーティスト、フィフス・ディメンションやクリフリチャードがよくかかりました。
一慶さんは、声が高くてけたたましいし、「声が大きいのがとりえです」と自ら紹介しているところが、全然アナウンサーらしくないという印象でしたが、「ああこの人も一年生なんだぁ。」、そんな共感もあって、それから毎日TBSラジオにダイヤルを合わせていました。
ヤングポップス1010は10時10分からの番組。
その後が「夜のバラード」、11時を回りニッポン放送に浮気をして「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」・・・・。
だんだん夜更かしになって行きました。
それから日付が変わって、当時若者のブームになっていた「深夜放送」を聴くようになりました。
私がたどり着いたころの深夜放送のパーソナリティーは、文化放送の「セイヤング」が、みのもんた、橋本哲哉、土居まさる、落合恵子、加藤諦三、等など。
ニッポン放送「オールナイト・ニッポン」が糸居五郎、斎藤安弘、高島秀武、今仁哲夫、亀淵昭信・・・。
TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」は、福田一郎、中村律子、桝井論平、北山修、野沢那智、白石冬美、大村麻梨子。那智チャコパックの後、二部は遠藤泰子さんでした。
いわゆる深夜放送ブームの真っ只中。
一慶さんは、私が夜更かしになるとともに、仕事場を深夜へと広げていきました。
後に、ご自分の番組で「桝井論平さんに憧れ、深夜放送のDJを希望していた。」と語っていましたが、70年10月に念願かない、土曜パックの担当になりました。
大村麻梨子さんの後任でした。
それからはパック以外にも、土曜の夜の「ヤングタウン東京」や、日曜深夜の未来劇場のラジオドラマのナレーターを「花の純愛物語」から担当するようになり、徐々に深夜のラジオの看板アナウンサーになって行きました。
私は、一慶さんがパック・イン・ミュージックの火曜日担当になってから、よくリクエストカードを出しました。
名前も何回か呼んでもらいました。
火曜パックは、リスナーの手紙と音楽で構成する、これといって特徴のある番組ではなかったし、内容もほとんど忘れてしまいましたが、病気で亡くなった女子高校生の「ともしび」という手紙だけは強く印象に残っています。
一慶さんの優しい人柄がにじみ出た、リラックスできる番組でした。
深夜放送以外でも、久米宏さんとクイズで洋楽邦楽どちらをオンエアするか決める番組や、亡くなった林美雄さんと担当していた「夜はともだち」など、
今考えると、ずいぶん一慶さんの声をラジオで聴きました。
林さんが亡くなった時、追悼番組を一慶さんがされていたのが、つい最近のことのように感じられます。
久米宏さんの後を追うかのようにテレビに進出し、それからいろいろありましたけど、「どうぶつ奇想天外」のナレーションが聞こえたり、有線テレビの通販番組での元気な姿をお見かけするとホッとします。
でも、ときどき静かな夜にラジオから一慶さんの声が聴きたいなァと思うんです。
手紙の文章みたいになってしまいましたね。(笑)
思春期に大きな影響を受けたのが、テレビじゃなくてラジオなんですよね。
ラジオのチカラってすごいです。
by kanican (2007-07-14 12:51)
>kanicanさん
ラジオは想像力をかきたてられますよね。
ラジオで育って、想像力豊かな大人になった人がたくさんいらっしゃると思います。
最近のマナーの問題も想像力の欠如が原因で・・・・おっと、飛躍しすぎかな?(笑)
by Cliff (2007-07-14 14:18)
僕もそう思いますね~。テレビって、想像力を使わない受身メディアですものね・・・子供の頃は遊びなんて、自分達で工夫したのに、最近は工夫せずとも向こうからどんどん押し寄せてきますものね。
ところでその頃、まだ小学生でしたが、今考えれば東芝EMIがまだ東芝音楽工業で、洋楽のおいしいところはほとんどここのレーベルだったんですよね。^^
by まめぞう (2007-07-14 15:50)
>エルモさん
今の子供は物を与えられすぎなんでしょうね。
子供だけじゃなく、最近は大人も字を書かなくなっているので、漢字は「読めるけど書けない」という現象が起こっていません?
どんどん新しいことに挑戦して、脳みそを使わないといけませんね。
>東芝EMI
会社説明会に行ったことあります。(笑)
当時はビートルズで左団扇という印象がありました。
by Cliff (2007-07-14 22:42)
「怒りをこめて振り返れ!かぱ!!」
怒っているお便りに一慶さんのお嬢さんが「か・・・ぱ」って言ってくれる。
「けいこちゃん」って・・・慶子ちゃんだよね、やはりと思ったので
てっきりTBSのアナウンサー小島慶子さんだ!と思ってたのですが
・・・別人でした。
その慶子ちゃんが朝、お父さん(勿論一慶さん)を起こしに来たのに
一慶さんはずっと起きないで寝たふりしていて・・
慶子ちゃんの必死の訴え!終いには泣き出す慶子ちゃん!
「ごめんごめんごめん!ごめんね~」とあわてる一慶さん!
他にもお墓で肝試しをした久米さんとの放送は何度か流されましたが
アレも面白かったです!一慶さんの声は絶対すぐわかりますね~
by 酔いどれ天使 (2007-07-15 11:56)
>酔いどれ天使さん
私も最初小島慶子さんは、一慶さんのお嬢さんかと思っていました。
一慶パックもおもしろかったですよね。
でも、一慶さんほどラジオとテレビの印象が違う人も珍しいと思っています。
ラジオの肝試しの放送は一慶さんの素が出てましたけど、あの可愛らしさ(失礼!)が、テレビの画面だと感じられないのはなぜなんでしょうか?
こう感じるの私だけでしょうかねぇ?
by Cliff (2007-07-15 12:53)
激しく共感しました。
「ラジオが大人の入り口」自分もそうでした。
自分は1966年生まれの41歳です。
とにかくラジオだけが友達みたいで、
小学生から小さいラジオは、お風呂に入っても持っていきました。
林さんと一慶さんの「夜はともだち」最終回まできっちり聴きました。
一慶さんが大好きでした。
今日、祝日でたまたまTBSの強啓さんの「健康の時間」で一慶さんの声を聴いて、あの頃を思い出しました。
たぶん、道を間違えなければ、一慶さんは、とてつもない大きい存在になっていたと確信していますが、運命とは皮肉ですね。
また、ああいう番組で一慶さんの声を聴きたいです。
by かたちんば (2007-12-24 15:53)
☆かたちんばさん、コメントありがとうございます。
私も風呂場でラジオを聴いていました。(笑)
最初、風呂場にラジオを入れて聞いていましたが、湯気でメカがだめになると思い、入り口の外から大音量で流していました。
親はいい迷惑だったようです。
>道を間違えなければ、一慶さんは、とてつもない大きい存在になっていたと確信しています。
一慶さんはルックスがいいし、もっといろいろうまく立ち回ればよかったのに、と思います。ただ、みの某や小倉某と違い人がいいのが弱点、またそこが一慶さんのいいところだと思っています。おっしゃるとおり、運命だったんでしょうね。私もラジオでもっと話してほしいと思います。
by Cliff (2007-12-24 18:38)
聞いてました、聞いてました、一慶りりーのヤングポップスス1010
まだ、小学校の6年生だった、リリーちゃんが日本語を英語に直すコーナーに「い~~しや~~き~~い~~も~~」って投稿して採用されたのを思い出しました、自分の名前を呼ばれてびっくりして内容はわすれちまったが、
それからラジオに投稿するようになったな~。
by がちょ~ん (2008-12-09 21:48)
☆がちょ~んさん、コメントありがとうございます。
大体、毎日聴いていましたが、残念ながら番組のコーナーまでは記憶がありません。
「い~し~や~き~い~も~」も笑って聴いていたかもしれませんね。
当時は聴くものすべてが新鮮でした。
by Cliff (2008-12-09 23:21)
「ヤングポップス1010」
やっと見つかりました!
小島一慶とリリーチェンの番組
なんて言ったかな~と探してここにたどり着きました。
私も中2の時「レターメン・シールドウィッズキス」をリクエスト
して初めて読まれた思い出が有ります。
懐かしい!
もう40年以上も前の話しですね。
by THESPA (2011-09-14 15:33)
☆ THESPAさん、こんばんは
コメントありがとうございます。
そうです。おそらく42年前の春に始まり、アシスタントは当初はリリーさん、
途中から松尾ジーナになったと記憶しています。
音楽は東芝オンリー。レターメンの「涙のくちづけ」は、今でもiphoneに入れて聴いております。^^
by Cliff (2011-09-15 21:16)
松尾ジーナ・・そうでしたっけ(記憶あいまい)
たしか番組始まりの曲が、由紀さおりの夜明けのスキャットだったような気が・・
by THESPA (2011-09-16 12:46)
☆THESPAさん
>由紀さおりの夜明けのスキャット
それは、「ヤングポップス1010」のあとの「夜明けのバラード」です。
一慶さんの方は賑やかでしたが、
夜のバラードは静かな番組で深夜に入ったと感じましたよ。
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2007-07-20
by Cliff (2011-09-16 22:01)
「夜明けのバラード」でしたか~
やはり記憶はあやしい(/_;)
由紀さおりの記事見ました
コメの中の「引っ張って歌う」件同感です!(^^)
ただ当時、The Venturesがライブで
レコーディングとは全く違う速さで、アドリブを
ビシビシ入れてくる演奏にはシビレました。
by THESPA (2011-09-16 23:13)
☆THESPAさん
もう40年も昔ですからね。
私もこの備忘録ブログをつけはじめてから
記憶がいかに怪しいか痛感しています。
必ず確認しないと、間違っていることが多いです。
by Cliff (2011-09-18 05:36)