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浅草part1 (仲見世~浅草寺) [タイムスリップ]

明治45年に発行された「東京名勝図絵」
そこに掲載されている写真が撮られた場所へ行く
タイムスリップ定点比較シリーズ。

今回は浅草です。2010082021.jpg

江戸時代から栄えている繁華街、
浅草は奥が深く、私のような中途半端な東京人が知ったかするような場所ではありません。
写真掲載の都合上、それっぽい記事になりますがご容赦ください。

私が子供の頃、浅草といえば衰退している街という印象がありました。

しかし、最近は勢いを感じますね。
雷門の前にいる観光用の人力車の数が
以前より増えているのは、景気がいいとみるべきなのかな?

とにかく人が多いです。
仲見世通りの休日は、昔を懐かしむ中高年や
外国旅行者があふれています。

さて、その仲見世通りの明治時代はこんなでした。

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こちらは2010年8月

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浅草寺を中心とする浅草公園は、明治6年2月
寺の境内を一区から七区に区画されて設けられました。

一区は本堂、仲見世は二区に位置していました。

上記の古写真の解説には次のように記されています。

二区には仲見世あり即ち雷門址より仁王門に至るまで七十余間の間の称にして両側には煉瓦造りの商店街を並べて店を開く金龍山浅草寺餅、紅梅焼、七味唐辛、雷おこし等名物と称せられる・・・

雷門址とあるように、
雷門は火事で焼失してしまい、
明治時代には存在していませんでした。

土産物は、現在では人形焼きが有名です。

雷おこしは今でも名物です。
お餅も売っていますね、紅梅焼って知ってますか。
紅梅焼は甘い堅焼きのおせんべい(⇒ 紅梅焼 )ですが、
これが「紅梅焼」と言う名前とは知りませんでした。
当時は名物だったんですね。

仲見世の途中にある伝法院。

以前ブラタモリで紹介していましたが、
池を中心とした立派な回遊式庭園があります。
一般公開していませんが、公開したら間違いなく荒れると思うので正解。

2010082051.jpg


さて、仲見世の商店街を抜けると宝蔵門が現れます。

明治時代は「仁王門」と呼んでいたようです。。

かつて着物の日本人が何百万とくぐった門の周りを
今は中国語が飛びかっています。

2010082043.jpg

2010082004.jpg


次は宝蔵門の東にある五重塔。

100年前の撮影場所に立とうとしたら、
宝蔵門との位置関係が微妙に変わっていて、
定点比較ができませんでした。

下左の写真は、1648年、徳川家光によって再建されてから
250年以上経っている明治時代の五重塔。
この塔は、関東大震災での倒壊をまぬがれたものの、
昭和20年の東京大空襲で消失してしまいました。

現在の五重塔は昭和48年に再建されたものです。
前の塔と同じ場所に建てられてはいないんですね。

2010082044.jpg 2010082005.jpg

次は宝蔵門をくぐり、奥にある浅草寺の本堂。

こちらも五重塔同様、空襲で焼失、
昭和33年に再建されたものです。

アメリカ人らしき観光客も多く見かけますが、
嬉しそうに記念撮影している姿を観ていると
お前らが一回焼いてんだよぉ!
と耳打ちしたくなります。

いわゆる浅草の観音様、
当時は「観音堂」という呼び名がポピュラーだったようです。

さて、下の写真。
これは宝蔵門に登って撮影したんでしょうね。

2010082041.jpg

さすがに同じ場所に立つのは無理なので
地上からパチリ。2010082007.jpg

神社仏閣は、昔のままの姿の場所が多いので
タイムスリップを味わうにはうってつけ乃場所です。
浅草寺もそんな場所の一つ。

しかし、そんな浅草の景色も

日々変わっているようで・・・
                                         (つづく)
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