晩翠草堂 [街歩き]
仙台街歩きシリーズ?
最後は晩翠草堂です。
仙台城跡から、市の中心街へと戻ってきました。
仙台は戦時中、アメリカ軍による残虐な空襲を受け
中心部は焼け野原になってしまいました。
ヨーロッパでは、焼失した街を復元する思想、文化がありますが、
日本は復興という名のもとに、
全く別の景観の街にしてしまうケースが多いです。
そんなこともあり、仙台市の中心部には
歴史的な建築物がほとんど見当たりません。
そんな中、
近代的なビルが立ち並ぶ繁華街に
異彩を放つ木造家屋があります。
晩翠草堂。
晩翠は、仙台出身の詩人、土井晩翠のこと。
♪はるこ~ろ~ のはなのえん
あの有名な「荒城の月」の詞の作者ですね。
また、全国の校歌には、
晩翠の手による詞がたくさんあります。
草堂とは、自分の家の謙遜した言い方。
一人称を「小生」や「それがし」と呼ぶようなものですね。
要は、晩翠さんち です。
昔、土井晩翠の「土井」は、
「つちい」と読むのだと教わりました。
でも「どい」でも正しいんですね。
本人は土井(つちい)家の長男として生まれましたが、
あまりにも、みんなが”どい””どい”いうもので、
昭和初期に、もう”どい”でもいいや、と、
「つちい」を「どい」に改称してしまったのだそうです。
草堂は、第二次大戦後に建てられたもので、
晩翠が晩年を過ごした和室が、
そのまま保存されています。
晩翠は3人の子供、夫人、家族全員に先立たれてしまい
余生はさびしいものだったようです。
観覧無料。
訪問者が少ないのかな?
私が訪問した時は、管理人さんが油断していて、
慌てて出てきて、ラジカセの再生ボタンをプッシュ。
急に「●●記念館」ぽくなりました。
庭を望む、廊下の窓ガラスは、
景色が少し歪む昔のままのガラスです。
これって貴重ですよね、
よく、地震で割れなかったものです。
晩翠草堂から歩いて3分ほど
奥州街道と、城から東へ伸びる幹線道路の交差点
「芭蕉の辻」と呼ばれる場所があります。
芭蕉といっても、松尾芭蕉とは無関係だそうです。
江戸、明治の時代は、ここが街の中心だったわけですが、
現在は、記念碑のほかには、特に見るべきものはありません。
おまけ画像は、
そばぜんざいと牛タン
歩きすぎて、腹が減りました。
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