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仙台城址 [街歩き]

伊達さんです。 

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仙台市内をてくてくウォーキング
愛宕橋から、広瀬川の上流へ向かって北上
仙台城址へ到着しました。

初めての仙台なら、ここを訪れるのは定番。

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私は、仙台は初めてではないし、
仙台城も過去に訪れたことがあるし、
ベタな観光スポットへは一回行けば十分、

とはいえ

お天気がよく、
歩いている途中、ビルの谷間から見えた雪山が気になりまして
高いところから仙台市街を眺めてみたくなりました。

その前に、仙台市博物館で休憩を兼ねお勉強。

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仙台城は仙台藩初代藩主、伊達政宗公が、
慶長年間に築城したお城。

ということは、完成は約500年前

以後、明治政府により廃藩置県が発令されるまで
伊達氏の居城となっていました。

政宗公が青葉山に築城した理由は諸説あるそうです。

いくつかの候補の中からこの地が選ばれたとのことですが、
選定にあたって家康の承認が必要だったようで、
徳川幕府が深く関与していたようです。

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国府がおかれた多賀城や国分寺の場所は、
もっと海岸に近いのに、
わざわざ青葉山を選んだ背景には

広瀬川が自然の濠になる地勢で、
仙台の街が一望でき、殿様の威厳が示せる、等

いろいろ、軍事的、政治的理由があったようです。

青葉山には、もともと国分氏の城があったそうで、

3.11を目の当たりにした後だけに、
自然災害への対策も意識にあったかもしれないな、
とか想像してしまいます。

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多くの大名が天守を建設する中、
仙台城には天守閣がなかったそうです。
流行に流されなかったんですね。

お城らしい建物といえば、
今は、大手門跡にある櫓だけ。

この地に建てられていた大手門は、
空襲で焼失してしまい、
今後、復元する予定と聴いています。

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以前は、大手門から山の上の天守台まで、
クルマで上ることが出来ましたが、
現在は震災時に石垣の一部が崩れた影響で、
通行止めになっています。

ただし、歩いて通れます。

逆に、閑散としているので、
当時の城内の雰囲気を感じたいなら
今のうちかもしれません。

博物館の裏から、急な山道を昇る行き方もありますが、
こちらは結構きついっす。

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えっちら、おっちら、もうすぐ天守台

あれ?なんで鳥居があるの?

と不思議に思うわけですが、

仙台城は、
仙台藩が戊辰戦争で官軍に敗れ、
占領されてしまったんですね。

以後は明治政府によって軍の施設が置かれ、
戦没者を祀る神社が建てられ・・・

もしそれらの施設がなければ、
大手門も空襲に遭わなかった?

事情は複雑です。

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さて、天守台のあった本丸へと上がりましょう。

戦没者の慰霊碑があるのは、
上記事情からです。

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さて、お目当ての景観は・・・ 

おおお、見えました、雪山が。。。

北西方向

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雪山は船形山でした。
山形県との県境となる山で、山形側では御所山と別の名で呼ぶそうです。
遊びで、仙台×山形のサッカーの試合で勝った方が、
相手に自分たちの山の呼び方を強制できるルールにしたら面白いかもしれませんね。

その右は泉ヶ岳、

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さらにひときわ目立っているのは仙台大観音

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南東方向は仙台の繁華街と、遠くに太平洋が・・・

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うわー!海が見える 

という感動はなく、
違う形で心が揺り動かされます。

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