明治時代の大学 早稲田大学 [タイムスリップ]
明治時代の写真の現場へ行ってみよう、タイムスリップ・定点比較シリーズ。
今回は早稲田大学の門です。
ここのようです。
早稲田大学については、
私が解説するまでもないでしょう。
母校ではありませんが、
早稲田大学出身者は、マスコミでも多く活躍しているし、
私がこれまでお会いした卒業生は数百人はいると思います。
それほどメジャーな大学。
さて、写真の現場ですが、
早稲田大学にはいくつか門がありまして、
たとえば、上が南門。
大隈講堂の向かいにある、下の写真が現在の正門になります。
はてな?
それらしき場所が見当たらないぞ。
ということで、
守衛さんに写真を見ていただきました。
うーーーん?と頭をひねりながら、
詳しい方に聴いてくださいました。
どうもありがとうございました。
仕事を邪魔してごめんなさい。
で、その結果、
早稲田大学の正門はかつては北側にあった、
ということが判明しました。
で、グランド坂通りへと移動し、
冒頭の写真になりました。
どうですかねぇ?
門も、建物も変わっていますが、
土地のDNAみたいなものを感じませんか?
と、こんな感じで、
最近はブラタモリ状態なわけですが、
そのタモリさんは早稲田大学出身ですね。
NHKの「ブラタモリ」を観ている方はお分かりだと思いますが、
番組でよく土地の「高低差」が話題になります。
この早稲田周辺も坂の多い場所で、
特に西早稲田の方を歩くと、土地がデコボコうねっていることに気がつきます。
たとえば、下の写真。
諏訪町の交差点と早稲田を結ぶ諏訪通りです。
早稲田方面へだらだら下るかと思ったらとそうではなくて、
下って一度上がってから、文学部のある馬場下町交差点へ坂を下ります。
確かによく考えるとおもしろいかも。
ここが、ブラタモリの原点かもしれませんね?
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