明治時代の大学 学習院女子部 [タイムスリップ]
100年前の東京の写真の現場へ行ってみる、
タイムスリップ・定点比較シリーズ。
先日の学習院につづき、
今回は学習院女子大学の前身、学習院女子部です。
その校舎があった場所へ行ってきました。
(ともゑ商会 明治45年発行「東京名勝図絵」より)
解説にはこうあります。
永田町にあり聖旨に基き華族の奉賛に依りて設立したるものにして明治九年八月校地を神田区錦町に賜い十年十月校舎成りて開校し學習院の号を賜いしに始まる其後変遷を経て二十二年七月四谷尾張町より分離して現在の地に映り華族女學校と称し三十九年四月今の名に改む
永田町にあったんですね。
場所は、赤坂見附の交差点から、三宅坂方面へ坂を登ったところ
現在は参議院議長公邸になっています。
ちなみに現在の議長は江田五月氏。
敷地が大きい。
現在の参議院議長公邸は、入口が東側と北側、
二か所あります。
冒頭の古い写真と並べた現在の姿は東側の入口から撮った写真ですが、
すぐ上の写真が北門。
写真の現場はどちらでしょうかねぇ?
左側の土地が低くなっているようなので、
どうやら、東側の入口のあたりから撮影したものと思われます。
現在では、場所が場所だけに、警備の警官に見張られるし、
のんびり明治時代の空気を感じている余裕ないのですが、
東側の入り口の横ある、
華族女學校の遺跡碑だけが歴史を感じさせてくれます。
(2009.12.20 追記)
現在は西早稲田の戸山にある学習院女子大学ですが、
旧正門は当地に移設され、重要文化財に指定されています。
1877年に川口の鋳物工場でつくられたものだそうで、
上の古写真にも、同じものが写っています。
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