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赤い鳥 [音楽]

先日、「赤い鳥コンプリートコレクション」というCD12枚組のボックスセットを手に入れてしまいました。

1969年の赤い鳥デビューから解散までの5年間に、
彼らが発表したオリジナルアルバム11枚と、
レア音源を集めたCD1枚が収められたファン必携の品です。


赤い鳥 コンプリート・コレクションボックスとなると、さすがに値が張るので長く逡巡していましたが、
渋谷の黄色いCDショップの棚に置かれていたので、
カミサンの怒る顔を目に浮かべながらも
ついつい手が伸びてしまいました。

五つの赤い風船、かぐや姫、チューリップ、アリスなど、
60~70年代のフォーク・ロックグループが
一時とはいえ再結成される中、赤い鳥だけは一向にその気配がありません。

70年代初めの「赤い鳥」は彼らよりも人気グループだったのに、
忘れられているようで寂しい気持ちになります。

近年、テレビに登場する「赤い鳥」は、
「竹田の子守歌」「翼をください」を歌っていたフォークグループ、
あのオフコースがコンテストで敗れたグループ、など
断片的な部分しか紹介されません。

こうした扱われ方にフラストレーションが貯まるファンも多いのではないでしょうか。
私もその一人です。

そんな赤い鳥のデビューから解散までの軌跡を聴いてみました。

改めて彼らの偉大さを再認識したわけですが、
この雑駁なブログもあることだし、
赤い鳥について書き記しておこうと思います。

赤い鳥が結成されてから今日まで約40年間。
彼らをアナログで応援しているファンの方には違和感のある記事かもしれませんが、
ニワカファンの雑感ということでお許しいただきたいと思います。

 

「赤い鳥」とは?

と聴かれれば、多くの人は
昔人気があったフォークグループ と答えるでしょう。
私も、このボックスセットを聴くまではそうでした。

 しかし、彼らの初期の3枚のアルバム
(「FLY WITH THE RED BIRD」「RED BIRDS」「WHAT A BEAUTIFUL WORLD」)を聴けば、その認識を改めなければならなくなります。

英語の歌がほとんどのこれらのアルバムに収められているのは、
60年代のイギリスのポップミュージックや、アソシエーションやブレッドなど
アメリカのソフトロックに通じる音楽です。
大村憲司や村上秀一が加入した時期はロックバンドと呼ぶべきだろうし、
73年の実験的なアルバム「祈り」は、プログレと呼んでもいいかもしれません。

「フォーク」というカテゴリーは、彼らの音楽の一部でしかないんですね。

 初期の3枚のうち、
「FLY WITH THE RED BIRD」「WHAT A BEAUTIFUL WORLD」に収録されている
のはほとんどが英語のオリジナルナンバーで、
当時、プロデューサーだった村井邦彦氏のコンセプトでしょうが、
いずれもエバーグリーンで素晴らしい曲です!
1970年にこんなグループがあったのか、と再発見できます。

「What A Beautiful World」の作者はPeter Ransomという英国のアーティストですが、
他の楽曲提供者の名前でクレジットされているBob Saker、Jack Winsleyとともに、
1970年にヤマハ主催の東京国際音楽祭に出場し、
その「What A Beautiful World」で入賞しています。
ちなみに、その時のグランプリは、あのヘドバとダビデの「ナオミの夢」。
いろいろな記憶が線でつながっていきます。
これらのアルバムは再発して、日本の多くの音楽ファンに聴いてほしいですね。

 

以前も書きましたが、私は「赤い鳥」の演奏を生で観たことがあります。
TBSラジオの「ヤングスタジオLOVE」という公開番組で、
スタジオのフロアーに体育座りして聴きました。

その時、何を演奏したか、すっかり忘れてしまいました。
おそらく「誰のために」「赤い花白い花」あたりでしょう。

今思えば、赤い鳥は、平山泰代、新居潤子という稀代の女性ボーカリスト二人がハーモニーを奏でる贅沢極まりないボーカルグループだったわけで、
もちろん中学生のガキにそんな価値観がわかるはずもなく、
ボーッと聴いてしまったのが悔やまれます。
収録終了後、平山さんのところへスッ飛んで行きサインをもらいましたが、
そのサインが今は行方不明。orz

そんなこともあり、これを機にCD付属の解説書やネットで、
「赤い鳥」の歴史を紐解いていますが、

彼らには、「赤い鳥物語」と呼ぶべき興味深い青春ドラマがあったんですねェ。。

リーダーの後藤と高校の同級生平山の大学での再開。
尼崎の武庫之荘で音楽活動を開始し、
谷村新司のグループにいた新居の引き抜き、
山本の参加、サラリーマンを辞めた大川の加入。
コンテストでグランプリを獲得、
それを見た村井邦彦が武庫之荘へ真っ赤なポルシェを飛ばしてやってくる。
プロになる契約を渋るメンバーを村井がロンドンへ連れていき、
レコーディングさせ、その気にさせてしまう。。。

「竹田の子守唄」という名曲の運命。
現在は大物アーティストになっている若いメンバーの参加。
音楽性の違いからの対立、
解散から「紙ふうせん」と「ハイファイセット」の二つに分裂。

二組のカップルの恋の話や、
彼らのつなぎ役だった男の波乱の人生等々・・・。

脇役には、村井邦彦、谷村新司、小田和正、鈴木康博・・・
若き日の大御所作曲家、イカ天審査員もやった大物ドラマーも登場、

壮大な「赤い鳥物語」になりそうです。

音楽的には、日本の伝承音楽とクオリティの高い洋楽の融合・・・
というか、
ペンタングルとフィフスディメンションが一緒にやっているような
危なっかしいグループだったんでしょうね。

それだけ唯一無二、ユニークなグループでした。

そして何よりも、
女性ボーカル二人の歌は本当に素晴らしかった。

「竹田の子守唄」は名曲ですが、
山本(新居)さんも、平山さんも、
赤い鳥の「竹田の子守歌」は越えられないと思います。

なんとか、また一緒に歌ってもらえないものでしょうかねェ。

赤い鳥物語はまだ完結していないと信じていたいです。


今度、仕事で関西へ行くことがあったら、時間を作って武庫之荘を歩いてみようかな。


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人間魚雷

赤い鳥では忘れられない思い出があります。
中学の時、TBSラジオでレコードプレゼントがありました。
何と見事当選、送られてきたレコードが赤い鳥の「紙風船」
だったのです。「落ちてきたら~、今度はもっと、高く♪」という
歌詞でしたがよく聞いたものです。

まさか分裂したメンバーが「紙ふうせん」を名乗るとは・・・。
by 人間魚雷 (2009-02-28 19:48) 

エルモ

ワタクシ、大のソフトロックマニアでございます。^^;;
赤い鳥ってすごいグループだったんですね!(◎-◎)
僕の世代は、帰って来たヨッパライが小学校低学年の頃ですので、もう少し後なんでしょうか・・・
アソシエイションって良いグループですよね。「ウィンディ」という曲が大好きでLP持ってますが、・・・何でしょうね、あの浮遊感ただよう素敵なコーラス!^^
ペンタングルといえばバート・ヤンシュ!S&Gとか、ニールヤングとかのルーツはここにあり、といった感じでしょうか。ちなみにバート・ヤンシュのソロMONO盤LP持ってたりします。σ(^_^;)
で・・・5D!
という事は、赤い鳥の本来の姿は、和製フリーデザインみたいな感じでしょうか。^^
オタQなコメントですみません・・・m( __ __ )m
by エルモ (2009-02-28 23:05) 

tsukikumo

>武庫之荘
園田、塚口、武庫之荘と阪急神戸線沿線は駅の北側の一区画だけ遠い昔阪急が造成したミニ田園調布です。しかしその区画を一歩外れると途端に庶民の街に変貌して面白い処です。私の子供時代は武庫之荘北側一区画を除けば田園風景が2キロ程南のJR沿線まで広がっていて春には一面のレンゲ畑でヒバリがノンビリ囀っていい処でした。今はその面影は全くありませんが。

>竹田の子守唄
これは京都の被差別部落の唄ですね。それが理由で放送禁止が長い間続いていたと記憶してます。
実は武庫之荘の南側にもそういう場所があって、子供のときは誰言うこともなく(いいか悪いかは別として)そういう場所には近づかないように教育されてきました。他の地方の方は驚かれるのですが関西や北陸にはそういう場所がやたら多い。理由は織田信長に反旗を翻した集団を権力の下にすべからく被差別部落にしてしまったからだそうです。
by tsukikumo (2009-03-01 00:16) 

Cliff

☆人間魚雷さん

赤い鳥には「私の紙風船」という、NHKの「みんなのうた」で流れた
ナンバーもありますね。
ラジオのレコードプレゼントで当選というのは、なかなかない経験でうらやましいですね。
「紙風船」の歌詞は、詩人の黒田三郎氏の作品ですが、
後藤さんがメロディーをつけさせてほしいと頼んだところ、
本人に断られたのを、奥さんがとりなしてくれてOKが出たという、
そんな逸話もあったそうで、思い出深いナンバーなのだと思います。
by Cliff (2009-03-01 09:01) 

Cliff

☆エルモさん

ソフトロックマニアでしたか。(笑)
ならば、初期の3枚のアルバムは必聴ですが、
12枚揃えないと聞けないというのがなんとも・・・。
特に、「FLY WITH THE RED BIRD」「WHAT A BEAUTIFUL WORLD」の二枚は再発して多くの人に聴いてほしいです。
J-POPの歴史的なアルバムだと思います。

帰って来たヨッパライは67年。
赤い鳥が一番人気があったのは、70,71年あたりでしょうか。

アソシエイションは、私も緑っぽいジャケットのLPを持っています。
私は「Windy」もいいですが、「Never My Love」が好きです。
アソシエイションは、ジャニーズとつながっていたり
当時の話を調べると面白いですよ。
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2006-02-10

ペンタングルは、感覚的に名前を挙げてしまいましたが
当時のイギリスは、メリーホプキンなど天使系の声が人気でしたね。
日本でも現在、ハンバートハンバートあたりは同じ香りがします。

>赤い鳥の本来の姿は、和製フリーデザイン
村井邦彦は日本のカーペンターズを目指していたようですね。
いずれにしても、J-POPの歴史を語るなら、
絶対に外せないグループだと思います。

by Cliff (2009-03-01 13:16) 

Cliff

☆tsukikumoさん

武庫之荘情報、ありがとうございます。
行ったことはありませんが、地図を見ると
広範囲に「武庫之荘」の名前が出てくるので、
田園調布のようなブランドなんだろうな、と推測していました。

赤い鳥が活動していたのは公民館だそうで、駅の北側
ちょっと離れているようです。

「竹田の子守唄」については、
この歌だけで一篇のドラマが出来てしまいますよね。
最初は、著作権の問題とやらで、
「人生」というタイトルで違う歌詞で歌わされ、
リーダーの後藤さんは相当不満だったそうです。
最近、また歌われるようになったそうで、いいことだと思います。
ただ今も「久世の大根飯・・・」の歌詞は封印されたまま、
私なんか、「五木の子守歌」はどうなるのか、と言いたくなります。

by Cliff (2009-03-01 13:18) 

kei

初めまして。
赤い鳥、紙ふうせんファンです。

武庫之荘はもう何年も前に訪れました。赤い屋根の家「公民館」は今は青い屋根の家になっています。

ところで「久世の大根飯・・・」の歌詞は別に封印されていません。紙ふうせんはずっとこの歌詞で歌っています。
2月14日の「ふしみ人権の集い」では、8年ぶりに地元女性合唱団と共演して「竹田の子守唄」の元唄を一緒に歌っています。ちなみにこの合唱団、元唄を歌い継ぐために結成されました。
結成された01年の「ふしみ人権の集い」に共演し、このとき元唄が初めて歌われたのですが、翌年の紙ふうせんのリサイタルでは、この元唄からの数多くの歌詞を引用し、まるで組曲みたいな「竹田の子守唄」が披露されています。

「五木の子守唄」について、今年中には何らかのアクションがあるみたいですよ。
by kei (2009-03-05 16:09) 

Cliff

keiさん、コメントありがとうございます。^^

赤い屋根の公民館が青い屋根になっているというのは残念です。
いろんな事情があるのでしょうが、日本のポップスの歴史や彼らが後輩のアーティストたちに与えた影響を考えれば、もったいない気がしますね。

>「久世の大根飯」
失礼しました。
頭の中にラジオやテレビで歌われないイメージがあったので、封印という表現になってしまいました。
CDでも聴けるし、表現としては適切ではなかったと思います。

赤い鳥はJ-POPの黎明期のビッググループとしてもっと評価されていいと思います。いい意味でも悪い意味でも、「竹田の子守歌」の存在が大きすぎましたかね。

>五木の子守歌
歌の意味や作られた背景をいちいちほじくり返さずに、歌詞の響きやメロディーの美しさにただ感動できればいい、と思う反面、背景を知ってより理解できるケースもあるし。
難しいですねぇ。

by Cliff (2009-03-05 21:59) 

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